第9話 幼馴染

 城に移ってから二年が経つ。


 十歳となった僕は城の中で軟禁に近い状態となっているが、その生活は贅沢極まるものだった。

 元々が酒井家の者である上に将来の将軍様から目を掛けられているのだ。

 それだけで城内での立場は約束されたも同然である。


「何をしている?」


 そして、今日も今日とて姫様は僕の部屋へと来ていた。

 どうしてここまで気に入られているのか良く分からないが、もしかしたら上半身をタダで見せてしまったのが不味かったかもしれない

 このままではエロい幼馴染ポジションだろうか。


 僕の容姿は未だ幼さがだいぶ残る。

 しかし、ミカゲ曰くとても綺麗になってきたらしい。

 無表情と無口のおかげでミステリアスな雰囲気があるのだろうと思う。

 雰囲気美人みたいなものだ。

 もしかして惚れられたか?

 ここまで頻繁に部屋へと訪れる姫様の考えを僕が理解できなくとも、これでは周囲に邪推されて仕方ないと感じる。


「またよく分からないものを色々と……」


 そんな姫様だが、部屋に置かれている様々な機材に呆れていた。

 現在、僕に宛がわれた部屋は僕のための研究室となっている。

 ここに寝泊まりしているのだが、他の人から見たら雑多すぎて信じられない程らしい。

 一応言っておくが汚部屋ではない。

 ミカゲとアシリカ、ウルナの三人が整理整頓をしてくれている。

 ただ少し物の量が多いというだけ。それだけである。


「こちらは何なんどす?」


 鬱陶しそうに陳列されている物をジロジロと眺める姫様の後ろからひょっこりと顔を出し、僕の手元を覗き込んできた少女。

 ふんわりと巻かれた髪から良い匂いがする。梅の香りだろうか。

 もうそんな時期かと一瞬思考が飛ぶ。


 途端、ボッ、と小さな音が持っていた器から聞こえた。


「きゃっ」


 驚き方すらふわっとしているが、今はそんな事どうでもいい。

 少し気を抜けばこれだ。ため息が出る。


「おい、変な爆発とか起こさないよな?」


 姫様の耳にも届いていたようである。そこまで大きな音ではなかったのだが。

 慌ててこちらへと向けた顔は盛大に引き攣っていた。


 大丈夫だと思うが確証はない。

 少し虚空を眺めて考えていると、姫様は僕の側まで寄ってくるなり両肩を掴んだ。


「本当、気を付けてくれよ」


 若干青い顔でそんな心配をしている。

 ここで「止めろ」と言われないのが不思議である。言われないので止めない。


 この感じだと惚れているというよりも、”何かと気にかけてくれる近所のお姉ちゃん”か。

 予想外に親切なのだが、それが返って不安にもなる。

 なんとも言えない、この距離感。


「ウチも混ぜてぇな。いけずやわぁ」


 ゆるふわ少女がタイミングを計ったかのように口を挟む。

 姫様は慌てて僕から離れた。


「何焦っとんの?」


 そんな姫様の様子をニコニコと眺めている少女。


 肩甲骨あたりまで伸ばした黒髪。くりくりとした大きな目。大柄な姫様の隣にいるからか、小柄に見える体躯。

 いつも柔らかな笑みを浮かべている清楚系だが、妙な口調がどことなく胡散臭い。


 僕の判断で言えば随分と可愛らしい容貌のこの少女。

 実は僕と同じ「大老四家」が一つ、井伊家の次女だ。

 姫様の将来の側近であり、今から既にほぼいつも二人一緒に行動している。


 恐らく僕も周囲から見れば同じような立ち位置なのだろう。

 すっかり仲良し三人組のように扱われており、両親もそれを望んでいると思う。


 しかし、僕にはしたい事があった。

 錬金術と科学、そして魔術の調合である。


 始めこそ諦めた気持ちで城へとやってきたが、慣れてしまえばこの環境は天国だった。


 言えば大抵の物は手に入るし、基本的に姫様の相手を適当にしていればよく、他には特にすることもない。

 好きな事を好きなように、好きなだけできる素敵空間だけがそこには残った。

 となれば何をしようかと考えた所、魔術意外の知識を試していない事に思い至る。


 錬金術と科学だ。


 これら技術の根底は自然界にあるものを反応させる事で変化を起こす事。ならば、その親和性も高い。

 科学が最も論理的であるが、科学は熱量、魔術では魔素、錬金術ではエーテルという他の分野にはない特殊な要素を扱っている。


 これらを融合する事が可能かどうか、そういった実験を行いたいのだ。

 こうして、城に来てからは部屋に籠り奇妙な行いを繰り返す不愛想な男子の出来上がりである。


 流石に郊外の別宅にいた頃に比べれば雲泥の差ではあるものの、やはりここでも若干の距離を他の人からは取られている。

 その例外が目の前にいる二人だ。


 普段はムスっとしているくせに、三人になると途端に姫はお喋りになる。

 クールで格好いい姫君で通っているらしいのだが、俺様系なので正直相手が面倒くさい。そもそも、別にクールではないと思う。

 そのため、姫様が意気揚々と僕に向かって喋っている間は、適度にコクコクと首を振って相槌を打ちながら実験の手を休める事はない。

 この間は何をした、あれを見た、どう凄かった。

 十歳児が得意げに語るのをうんうんと静かに聞き流す。

 自慢したいんだろう。


 そんな僕らの様子をニコニコと眺める井伊の姿も薄気味悪い。

 いや、彼女は放置だ。

 下手に話しかけたらいけない気がする。そんな直感が働くのだ。


 部屋の脇にはミカゲたち侍従が待機しているが、姫様がいる時には口を開くこともない。

 結果、そんな事になど気付かずに、姫様は目をキラキラとさせながらじゃべり続けていた。


「どうだ、一緒に行かないか!?」


 ある程度時間が経った頃。

 一頻り満足のいくまで語り終えたのだろう。

 頬を上気させた姫様がいい笑顔で聞いてきた。

 全く途中を聞いていなかったが、つい癖で頭を上下に動かす。


「そうか! では、用意はこちらでする。準備が出来たらそちらの侍従に渡して置くぞ!」


 姫様の十歳児らしい天真爛漫な様子に思わず目を瞬かせてしまう。

 こうして見ると確かに可愛いし格好いい。

 いつも雑に扱い過ぎかもしれない。何故か僅かに良心が痛んだ。


 しかし、何を了承してしまったのだろう僕は。


「ではな!」


 元気よく、そしてすこぶる機嫌の良い様子で。

 姫様はお供の井伊を放って部屋を出ていった。


「あらまぁ。ウチ、置いてかれてしもたわ」


 笑みを崩さずにのほほんと呟く井伊をチラリと見てみる。

 視線が握手をした。


「じゃあウチも失礼しますわ。また」


 一瞬ゾクリと背筋が震える。

 この子には逆らってはいけない気がする。直感がまたしても囁いた。


「あ、そうそう」


 と、姫様によって開け放たれた障子の縁を越えた辺りで井伊は立ち止まりこちらを振り返る。

 そして、こんな事を言ってきた。


「どうせ聞いとらんかったんやろ? 今度の元服の儀、一緒に行こぉ話」


 指摘に変な汗が出る。

 バレていたらしい。


 姫様に言うも言わないも彼女次第。

 直前にあれほどの笑顔で去っていった少女の笑顔を、目の前の悪女がぶち壊す事など容易い。

 厭らしい性格である。


「そないな顔せぇへんでも大丈夫。別に姫様に告げ口したりはせんから。安心しぃ」


 嘘っぽい笑顔を張り付けて、井伊は朗らかに笑いかけてくる。


「ちゃんと知っとった方がえぇやろぉ思て伝えただけですさかい。ほな、また」


 楚々と去っていく井伊の顔は最後まで変わっていなかった。


 話の内容なんて控えていた侍従たちがいるのだから、そちらに聞けば問題ない。

 絶対に嫌がらせである。


 ため息を吐くと、そっとアシリカが手ぬぐいを渡してきた。

 あの一瞬でそこまで汗をかいたのだろうか。

 触れてみると冷たい。そのまま顔に押し付けた。


「えっ」とい言う声が側で聞こえるが気にしない。もしかしたら顔を拭くために差し出した訳ではないのかもしれないが、今は気にしない。


「若様」


 今度はミカゲだ。

 先ほどのやり取りの説明をしてくれるのだろう。


「元服の儀における装いを姫様が御自らご用意して頂けるようです」


 元服の儀。

 そうか、もうそんな年か。

 少々の驚きと共にそんな感慨にも耽る。

 これでようやく僕も『名』を名乗る事ができるのだ。

 そして、それは今後の人生に大きな意味を持つ。


 皇国の歴史に名を遺す、が誕生する瞬間なのだから。

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