第7話 気紛れの君の

 僕の目の前で東方の鬼神、シュトラさんが跪いている。


 右手を地面に押し当て左手は腰に。左足は立てているため片膝の姿勢だ。

 俯いているので顔は見えないが声は酷く真面目である。

 本気としか思えない。


 僕としては聞きたい事が多すぎるが、まずは神ではないという事を明示しておきたかった。

 この騒動の原因は全て「僕=神」という等式を前提に成り立っている。もはや定理だ。

 知らず知らずの内に証明されていたらしい、真なる命題は。


「僕は神などではありません」


 言ってやった。

 心臓がバクバクと音をたてて、そのまま破裂してしまいそうである。

「貴方たちの勘違いです」と宣告したようなものなのだ。怒られたらどうしよう。


 先ほどは何とか受け流しと反転を行えたが、僕の右腕は結構深刻な支障をきたしている。

 魔術と神通力による補助をしてこれだ。

 余裕など全くない。バレたら盤上がひっくり返りそうでもある。


 こっそりと魔術による修復を試みているが、なにぶん無詠唱での行い。時間が掛かる上に効率も悪い。

 もうしばらくは大人しくおきたいところなのだが、如何せんこのままでは妖怪ちゃんたちが家に来てしまう。

 勘違いを抱えたままでは何かしら問題が起こる事など容易に想像できる。


「分かっておりますよ。人の世の変わり目ですからな。人に紛れるには人になる。そういう事でございましょう」


 顔を上げたシュトラさんは悪戯を企てる子供のように笑う。

 子供にしては少々邪悪だが。


 何も分かってくれてない。

 裏切られた想いで、僕は唯一の仲間であろう従者のミカゲへと視線を向ける。


 すると、


「これからよろしくお願いします、先輩」

「よろしくナ、先輩!」


 妖怪ちゃんたちといつの間にか仲良くなっているミカゲがいた。

 凄いな、君は。

 普通、妖怪と始めて出会った人はもっと恐れ慄き我を忘れて逃げ出す。しかも彼は男の子だ。

 本当に彼は”普通の”男の子なのか。疑問がまた鎌首をもたげる。

 しかし、こちらを見つめるミカゲは不安そうだ。


 ミカゲは僕専属の従者であるため、家でもその立場は微妙なところ。

 彼のせいではなく主である僕のせいで。


 そう考えると新しく彼女たち妖怪ちゃんが僕の従者として屋敷に来ることになれば、彼とは仲間とも言える関係性になる。


 彼が一人では、なくなる。


「二の翡翠、五の金糸雀、六の鶏冠石、十の玄。萌ゆる草、沸き立つ雨、見初め奏でるは幻想の唄。永久の微睡にたゆたう汝、久遠の祈りに出ずるは汝――『耕され、種をまかれるエゼキエル』」


 そんな想いが浮かんだら、もう詠唱を行っていた。

 これは諦めるしかないのだろうか。


 呆けた様な三人、苦笑を漏らしながら何か言っているシュトラを思考から追い出し、僕は今後どうするかを考える。


 まずは妖怪ちゃん、アシリカとウルナを侍従として教育しなければならない。

 人間世界の常識や慣習、侍従としての仕事。

 全てミカゲに任せよう。

 友達、のようなものだろうし頑張ってくれることに期待である。要は丸投げだ。


「これをお納めください」


 現実逃避をしていた僕にそっと何かを差し出してきたのはシュトラさん。

 見てみると赤く輝く石が彼女の手の平に乗っていた。


「これは我が碑石でございます。命じて頂ければ神がどこにおわしましょうと、即座に御身の側へ」


 そうして再び頭を垂れる。

 碑石って何ですか、と尋ねる雰囲気でもない。


 シュトラさんの行動に固まっていると、妖怪シスターズも僕へ似たような石を差し出してきた。

 アシリカは金色、ウルナは銀色だ。


 重要なものである事は察せるし、どうやら彼女たちを呼び寄せるような物であるらしい。

 妖怪については殆ど知らないのだが、ここはありがたく貰っておこう。

 これから一緒にいる事も多いだろうアシリカとウルナに至っては非常に便利な代物である。


「それでは、アシリカ、ウルナ」

「はい、長」

「任せるナ、母」


 柔らかい微笑みを浮かべたシュトラさんはそれだけ言うと、僕に改めて礼をして消えるように去っていった。

 随分とあっさりとした別れであるが、最後の顔は母親らしいもの。


 見送るように森の奥を眺めていると、ミカゲが引き締まった表情で僕を呼んだ。


「それでは若様。屋敷へと戻りましょう」


 この子、適応力がとても高いと思うの。




 △▼△




 皇国の中心地、江戸。


 天を突くように聳える城を中心として城下町が広がっており、僕の住む屋敷は郊外に当たる。

 少し歩けば姓を持たない農民が暮らしている村へと行けるので、僕はそちらで過ごす事の方が多いくらい。そんな位置。

 屋敷は大きいが割と質素な佇まいで、大家の御屋敷とは一見して分からないようなものだ。


 父様は妾の上に母様へ女子を授けられていない。

 その扱いも相応のものなのだろう。

 酒井に連なるものとして最低限の環境は、一般的に見れば特上のものであるものの、父様にとっては些か不満なようであった。

 僕を見かけると苦々しい顔になるのだから、その心中は簡単に推し量れる。


 当主である母様は中央の城に詰めているのでここにはいない。

 父様と兄上にその侍従、そして少しの使用人。

 それがこの屋敷に住んでいる人たちだった。


 拾ってきたと言って侍従を増やしてから数か月。

 父様の汚い物を見るような目を放置して、僕たちはのんびりと過ごしていた。



「若様。本日は奥様が帰ってこられます」


 開口一番に平穏の終わりを告げるミカゲを見やる。

 母が帰ってくるのなんていつぶりだろうか。


「さらに幕府の姫様もいらっしゃるようです。そのため、若様は決して表に出てこないようにと旦那様より言付かっております」


 父様は張り切っているようだ。

 まあ、分かる。


 それならば、


「若様?」


 邪魔にならないように森にでも行こうか。


 妖怪事件以来、一人で出歩く事は控えている。

 妖怪ちゃんたちが決して僕を見逃さないからだ。

 それならばと、いっそ開き直って出かけるときには供に付いてきて欲しい事を伝えるようにしてみた。

 始めは引き攣った顔で必死に引き留めていたミカゲだが、最近では諦めの境地に達したらしい。

 立ち上がった僕をポカンと見上げた後、これ見よがしに盛大なため息。


「……分かりましたよ、もう」


 ミカゲとの仲も深まっているのではないだろうか。最近は阿吽の呼吸である。

 無口な僕にとっては非常にありがたい。


「アシリカ、ウルナ」

「ここに、ご主人様」

「はいナ、ご主人!」


 呼べばすぐに来る妖怪。

 忠犬のようだ。


 ちなみに、人の世で神様呼びは止めて欲しいと思っていたら、ミカゲの教育のおかげか僕は「ご主人様」と呼ばれる事になった。

 なんだかむず痒い。


 そんな尻尾を振っている姿を幻視できる彼女たちだが、妖怪らしく気配に敏感だ。

 するとあら不思議。

 彼女たちを先頭にして歩くだけで、母様たちが来るからと警備を強化したお屋敷を難なく抜け出す事ができる。


 何とも頼もしい。




 △▼△




 たまには川で水浴びでもしようか。


 そんな気紛れの思い付きで、僕たちは林の中を流れる小川へとやってきた。


「若様、ここは……。もしかして水浴びをするのですか? 浴衣など持ってきていませんよ?」


 ミカゲの困ったような声が聞こえる。


 別に裸でいいと思うのだが。

 まだ八歳なのだし、身近な人しかこの場にはいない。


 一応パンツくらいは履いておこうか。


 そう考えて、僕は着物の帯を外した。


「若様!?」

「ご主人様!?」

「ご主人!?」


 すると素っ頓狂な叫びが間近で聞こえ、驚いた僕は解いた帯を落としてしまう。

 ビクっと震わせた体に合わせて、着ていた着物もずり落ちた。

 不可抗力で真っ白な内衣だけの姿になると、さらに後ろは悲鳴を上げた。


「な、なな、何をしているんですか!」


 ミカゲが慌てて着物を拾い上げ、僕へと多い被せてくる。

 目の前が真っ暗になった。


「いくら人の目がないと言っても破廉恥ですよ、若様! それにここには女性もいます! いくら彼女たちが身近とは言え、女性の前であられもない恰好など断じて、断じて許せません!!」


 ミカゲが懸命に僕へと男の嗜みを説いてくる。

 今世の価値観を未だによく理解できていない僕は目を白黒とさせながら必死に首を振ろうとした。


 縦に振りたかったのだが、着物で覆われ自由を奪われた僕の頭は横に揺するミカゲによって左右へとゆらゆら揺れる。


「……若様」


 絶望の声が届く。

 どうしろと。


「アシリカ、ウルナ。周囲の警戒を。決して覗いては駄目ですよ。いいですね?」

「わ、分かった」

「お任せナ」


 河原の石を踏む音が二つ。すぐに静かになった。

 素晴らしい運動神経である。羨ましい。


「若様、すぐに浴衣を持ってくるので待ってい下さいね? 絶対ですよ?」


 着物をようやくどかして、ミカゲは真剣な表情で念を押してくる。

 今までにない距離感に驚くが、今度は首を素直に縦へと振れた。

 それを確認すると、彼は心配そうに何度も振り返りながら、急いで元来た道を歩いて行った。


 妖怪である彼女たちにこの場を任せられるくらいには信頼関係を育めているらしい。

 妙な満足感を得ながら、僕は自分の体を見下ろしてみる。


 当然ながら真っ平だ。

 大平原である。男なのだから。

 幼児の体形に比べてある程度メリハリが出て来ているとはいえ、あくまでもある程度は。

 そこまで慌てるような代物ではないと思うのだが。


 着ているのは白い内衣と肩にかかるように着物。

 浴衣と内衣の違いが良く分からない。

 周囲を見てみる。

 アシリカとウルナが散った今、人影は皆無。


「……」


 足を浸すくらいなら大丈夫だと結論づけた。


 僕は着物を再び外し木陰の下へと畳んで置くと、内衣姿のまま小川へと入っていった。

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