第6話 侍従として【ミカゲ視点】

 何が何だか分からなかった。


 若様を探して森に分け入ると、伝承で恐れられる妖怪たち。

 建国神話に登場する鬼神も現れては僕の許容範囲を簡単に超えていた。


 しかし、瞬きの内に鬼が彼方へと飛ばされているのだから、本当に何が起こったのか分からない。


 唖然とした表情で新しく出来た木々の穴を見やる少女のような妖怪たちも、きっと同じような気持ちなのだろう。

 妖怪とはいえ共感できる部分があるのだなと、変な関心を覚えてしまった。




 若様は五歳の時に神通力に目覚めた。


 しかしその反動は大きく、数日の間高熱にうなされ、起き上がれるようになった時には人らしさがごっそりと抜け落ちていた。

 今でこそ黒髪に戻ったものの、意識が戻られた当初の白髪の混じった頭髪は、幼い姿にも関わらず老成された面影を与えるほど。


 皆は人形のようになった若様を気味悪がり、その見た目に反しておよそ男児らしくない活動的な様子に手を焼いていた。


 奥様は末の男子に興味がないのか好きにさせておけと言う。

 旦那様は側室であるため女の子を産んでもらおうと躍起になり、若様など眼中にない。


 常に一人でいる若様の支えになれればと始めは思っていた。

 が、僕の事など御構い無しに若様は一人でどこかへ出かけていた。

 それが妖怪と会っていたとは夢にも思わなかったけれど。


 しかし、ぼんやりと聞いていた妖怪たちの言葉を聞いて納得した部分もあった。


 若様は八歳とは思えない聡明な方で、どこか陰のある雰囲気は神々しさすら感じさせる。

 そこに居るだけで場を支配できるお方だった。


 森へとよく訪れるにしては華奢な手足に小柄な体。

 一見すると可愛らしいお姿なのだが、その目を見ると印象はガラッと変わる。


 どこまでも深く、冷めた瞳をしていらっしゃるのだ。

 まるで、この世の全ての罪を背負っているかのような。

 その瞳で見つめられると目を反らせなくなると同時に、心の奥底を見透かされているような錯覚に陥る。


 妖怪ですら神と崇めてしまう若様は、神通力に目覚めたあの日、本当は何か別の意味で目覚めたのではないだろうか。

 それこそ、神がその身に降りてきた、とか。


 自分で言ってて馬鹿馬鹿しいという思いと、それなら色々と納得できるという思いが頭の中で渦を巻く。

 それほどまでに若様は浮世離れしており、大家のご子息とは別に近寄りがたい美しさと空気を持っていた。




「変化した状態でその力かい。全く、信じられない神力だね」


 思わず意識を飛ばしていた僕は、その言葉で我へと帰る。


 のっそりと身体を引きずるようにして、鬼はめくれ上がった林の間から現れた。

 至る所に傷跡があるが未だに生命力に陰りは見えない。

 今更ながらに恐怖心が生まれ、自らの体を両の手で抱いてしまう。


 僕を守るように佇む若様へと顔を向けると、普段と変わらぬ姿であった。

 顔色はうかがえないが、その様子には動揺が見られない。


 あり得ないほどの胆力に畏怖を覚えると同時に、この方は本当にここに居るのだろうかと存在感の希薄さに危惧を覚える。

 まるで、そのままどこかへと消えてしまいそうな、そんな焦燥。


 何も語らず前を睥睨する若様に鬼神は歩を進める。


 すると、荒れ果てた地面におもむろにかしずき頭を垂れたではないか!


「我が名はシュトラ。東の妖を治める者でございます。我が力を打ち破りしその御力、まごうこと無き”清”の波動。貴方様を試す行い、我が身をもって償わせていただきます。しかし何卒、我が娘を側にてお仕えする事をお許しください」


 内容にも驚くが、微動だにせず発する言葉には真摯な響きが感じられた。

 若様を敬う心に偽りはない。

 そう思うに十分な感慨が彼女の言の葉には乗っていた。


 今までの価値観が崩れそうになる。


 妖怪とは恐ろしく、狂暴で、人に仇名す者たちだと、そう僕は信じてきた。

 しかし、目の前の存在はどうだろうか。

 理不尽な力こそ持っているが、対話が通じない相手ではない。


 もしや、若様は知っていた?

 もしくは本質を見抜いていたが、人の世の認識との祖語を把握していたために憚るように会っていたのではないだろうか。


「ふんふん……。少し、神様の匂いがするナ」

「うわぁっ!?」


 上手く纏まらない考えが頭を埋め尽くしている間に、一人の妖怪が僕のすぐ側にまで近づき犬のように匂いを嗅いでいた。


 神様の、匂い?

 若様の匂いだろうか。


 確かに僕は若様の専属従者であるため常に側に侍るようにはしているけれど。

 ただ、若様はいつもどこかへ一人で向かってしまうので、常に、という事を実践するのは非常に難しい。

 それでも何か若様との繋がりを感じられるのが少し嬉しかった。


「この者も神様に仕える者です。まあ、これからは同僚となるのですから、ただの人間では困ります」

「じゃ、先輩かナ?」

「うっ……。そう、ですね。些か不本意ですが。いえ、神様を前にして醜い心は捨てます」


 金色の毛を持つ妖怪は表情を引き締め、改めて僕へと身体を向ける。

 思わず体が強張ってしまった。


 本当に若様へと仕えるつもりなのだ。彼女の顔には冗談の色がない。

 銀色の少女も顔を引き締めると金銀が並び立つ。

 目に眩しい光。

 人に紛れこめるとは到底思えない。


「これからよろしくお願いします、先輩」

「よろしくナ、先輩!」


 若様はどうするつもりなのだろう。

 僕は困惑を隠しきれず若様へと視線を送る。

 すると僕の救難信号に気付いたのか、若様がこちらへと振り返った。


 その瞳は澄んでおり深い水底を思わせる。

 優しさと冷酷さを併せ持つ、不思議な瞳。

 どれほどの時間が経ってもこの目には慣れる事がないのだろう。


「二の翡翠、五の金糸雀かなりあ、六の鶏冠石、十の玄。萌ゆる草、沸き立つ雨、見初め奏でるは幻想の唄。永久とこしえの微睡にたゆたう汝、久遠の祈りに出ずるは汝――『耕され、種をまかれるエゼキエル』」


 若様が歌うように言葉を紡ぎながら、何かを切るように手を横へと振る。

 見惚れていた僕がハッとすると、妖怪の少女たちが姿を一変させていた。


 どちらも髪が黒くなり角や耳、尻尾といった妖怪らしい特徴が綺麗さっぱり消えていた。


変生へんじょう神賀詞かむよごと……。まさか存在ごと書き換えちまうとはねえ」


 驚きと感嘆、あとは少々の呆れだろうか。

 東方の鬼神は引き攣ったような顔で乾いた笑みを顔に浮かべている。


 姿を変える術など聞いた事がないが、今では若様だからで何となく納得できてしまう。慣れとは凄いものだ。


 どちらにしろ彼女たちの見た目の問題は解決してしまった。

 屋敷に仕える事はこれで決まりだと分かる。


 そこでふと、疑問が湧いて出てきた。


 姿を変えた妖怪である彼女たちが若様の側に仕えるのならば、ただの男子である僕の必要性などあるのだろうか。

 所詮、僕は下っ端の侍従だ。代わりなどいくらでもいる。

 そんな事を考えると、僕はゾッとした。


 若様の側にいたい。若様に仕えていたい。若様の力になりたい。


 ――僕も何か身に着けるべきだ。


 漠然とした不安に突き動かされるように、自分の価値を創出しなければならない使命感が胸を焦がす。


 僕は若様のお役に立ちたい。

 僕を特別と言ってくれた、不思議だけど何か人を惹きつける力を持つあの方のお役にたってみせる。

 まだ怖いけど妖怪たちの若様を敬う気持ちは本物だろう。ならば手を組む事もやぶさかでは無い。

 ここは彼女たちにも相談に乗ってもらおう。

 若様を守る為なら僕は手段を選ばない。

 彼女たちに仕事を教える代わりに妖術を教えてもらうなんてどうだろうか。


 近々、奥様も帰ってくる。


 それまでに彼女たちをある程度――皇国の経済を担う幕府の最高幹部「大老四家」が一つ――酒井家の侍従として相応しいよう教育しなければいけないのだから、その見返りとして……。


 忙しくなりそうである。


 僕は密かに、強く、拳を握った。

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