第5話 東方の鬼神

 人生で三人目の妖怪と出会った。


 赤黒い肌に無駄な脂肪が全く見当たらない筋肉。口元から覗く歯は太く鋭い。

 力強い眼に見据えられたら、そこで蹲っているミカゲみたいになるのが普通だろう。

 長い赤髪は空を覆うようにゆらめき立ちのぼり、左右の側頭部から伸びる角も大きく立派だ。


 ただ、男か女か分からない。


 あまり重要ではない所が一番気になる僕である。


「何のつもりですか」


 腹に響く低い声はアシリカ。

 金色の髪と尻尾を逆立てながら僕と赤鬼の間に立った。


 その隣にはウルナもいる。

 こちらは少し戸惑っているようだ。コロコロと表情が変わっている。


「アタシは自分の目で見たものしか信じないたちだって知ってるだろ? あんた達が言う神を拝みに来たのさ」


 よく聞くと少し声が高い。赤鬼は女性か。

 この世界の女性にしても逞しいな。

 一本角を持っているウルナも鬼だろうけど、その差は歴然としている。


 身長150cmくらいでポニーテールに銀髪を結んでいるウルナ。

 体は細いが既に出るところは出ていて、子供っぽい愛嬌のある顔と言動との落差が僕を誘う。将来有望だ。

 僕の感覚では圧倒的にウルナの方が可愛いが、世の中の男性はどちらの方が好みなのだろう。


 気になってミカゲの方を見やると、それどころではなかった。

 腰砕けになり這うようにして僕の足にしがみついている。

 少なくとも赤鬼の外見は恋愛対象外であるようだ。


 これは普通の人間ですわ。

 演技だとしたら俳優になれるよ。


「母様、そのような無礼は!」

「ここではおさと呼びな」


 長なのかい。


 やけに親し気に話しているなと思ったら、どうやら親子であったようだ。

 すると、赤鬼かのじょがアシリカが言っていた東の妖を統べている妖怪なのだろう。

 その迫力だけでも納得である。


 しかし、何をしに来たのか。


 その発言から妖怪シスターズが言いふらした僕に会いに来たとは分かるのだが、一目見に来ただけ、という雰囲気でもない。

 近づいてくる段階から容赦ない殺気が伝わっており、森の生き物がみな存在を押し殺している。

 動物も、虫も、木も、草も。

 動けない植物たちですら重苦しい重圧から逃れるように身を縮こませ、恐れるような気配が漂っているのを感じる。

 気のせいかもしれないけれど。


「神か……。確かにあり得ない神力だね。土地神を殺すだけの事はある。ただし、新たな氏神となるならその力をアタシに示してもらおうか」


 正直、何を言っているのか良く分からない。

 いつ、どこで、僕が土地神を倒したのだろう。会った事すらないのですが。


 もしかして、妖怪ちゃんたちと始めて出会った三年前の時だろうか。

 あの時、僕は調子に乗って特大魔術を放ったが、確か山の天辺を消し飛ばしてしまった。

 地元の人の中には、「あそこは神の住む霊峰だから祟りの前兆だ!」と騒いでいた人もいたが、本当の事だったとしたらドエラい事である。

 神殺しとか、過去世で異世界を救った時以来だ。


 いや、そういう問題ではない。


「神と争うのは慣れてるんでね。始めから全力で行かせてもらおうか」


 事情を把握しきれず憶測に憶測を重ねて平静を保とうとする僕に対し、赤鬼さんはやる気満々である。

 本当に待って欲しい。


 神と争うのに慣れてるって何?

 神ってよく居る存在なの?

 あと何回も言っているけど、僕は神じゃありません。


「ハアアァァァァァァ!」


 僕を置いてけぼりにする赤鬼さんは構えを取ると、その身に力を蓄え始める。

 比喩ではない。

 腰のあたりに両手を添えながら上げた咆哮に呼応して、大気に含まれている魔素が可視化する程の高密度で凝縮。そのまま彼女の体へと蓄積されていく。


 魔術を使えると言っても魔素は見えない。

 存在はするが、魔術を使用する事で初めて感じ取れるほどの微かなものだ。


 それが目に見えている。

 あり得ないほどの高濃度。


 魔素を扱っているという事は、妖術は魔術と同じなのだろうか。

 しかし、術式は展開されていない。

 という事は動力源が同じでも原理が異なるという事だ。


 こんな時でも思考が飛んでしまう僕を誰かどうにかして欲しい。

 知的好奇心がこんなにも強いとは夢にも思っていなかった。


 僕があんまりな事を考え、ミカゲが「ひゃぁっ!」と情けない叫びを発したのと同時。

 赤鬼を中心とした雷が周囲へと走り回った。


 咄嗟に反応できたのは過去世での経験のおかげだろう。


 ミカゲの体を神通力で強化した体で持ち上げ、瞬時に距離を取る形で後方へと飛び退る。

 荒れ狂う暴威は尚も追いすがるが、


「一重、二重に逢瀬を夢見る。うつつは『逢魔の狭間』成り」


 防御術式を展開。掻きむしる爪をなぞるように弾く。


 視界を茶と緑が埋め尽くした後、霧のように砂煙が立ち込めた。


言祝ことほぎか……」


 開幕早々の派手な振舞いに心臓が奇妙な拍子を刻んでる僕とは対照的。感嘆を含む赤鬼さんの声は随分と落ち着いていた。


 と、言葉の出どころの位置が随分と低くなっている事に気付く。

 声質も幾分か大人の女性らしいものに。


 パラパラとひょうのように降る砂の中。現れたのは、


「遠慮とか言ってる余裕はなさそうだねえ」



 ニヤリと不敵に笑っている、絶世の美女だった。



 目が点になる。

 怒涛の展開についていけない。


 スラリと伸びた手足と引き締まった体には無駄な脂肪など一切なく、燃えるような赤髪と丹精な顔立ちは蠱惑的。

 包む衣装は着物に似ているが、どことなく民族的な趣が強く、彼女の美貌をこれでもかと際立たせていた。

 そんな中、左右の側頭部から覗く双角だけが元の面影を残している。

 今世と過去世の価値観、どちらから見ても美人という完璧なバランスであった。


「東方の鬼神……シュトラ」


 呻くような声に手元を見下ろすと、小脇に抱えていたミカゲが目玉が零れ落ちそうなほどに目を見開いていた。


「へえ、アタシの名前を知っているのかい。人間とは長いこと会ってなかったんだけどね」


 その声に応えるように美女がわらう。

 口元から肉を割く刃が顔を覗かせた。


「母。神様と喧嘩するのは良くないナ!」

「そうです、長。ただでは済みません!」

「あんたらは黙ってな。荒魂あらみたま和魂にぎみたまか、その判断をするのは長であるアタシの役目だよ」

「けどナ!」

「しかし!」


 僕から視線を外さずに会話を続ける妖怪さんたち。


 ”東方の鬼神”は聞いた事がある。

 皇国が皇国として成り立つ以前、この神州の地の覇権を人と争った四天妖怪の一人だ。

 

 寝物語の絵本とされるほど有名で、子供の躾で引き合いに出される大妖怪。

 言われてみれば見た事のある絵柄とそこはかとなく似ている。


 とんでもない大物。


 他に適当な言葉が咄嗟に思い浮かばないが、人生の序盤で出会うような存在でない事は確かだ。



「……その人間は邪魔だな」



 唐突に。

 僕の背筋に悪寒が走る。


 鬱陶しい虫を追い払うように、何気なく振られた赤鬼の腕の先。

 その指先に光が灯る。


「さんざめく『万雷』」


 詠唱破棄――!


 直感と経験による判断がすぐさま体を動かした。


「逆巻く『いわお』」


 地面から土塊がせり上がり、途端、華々しく砕け散る。

 他の事を考える余裕もない。


「人の子を庇う、か」


 苦い感情を伴う響きが聞こえる。

 何も事情は分かっていないが一つ分かる事。

 この場を凌ぐには目の前の鬼を倒さなければいけない。



 ――今はそれだけで、十分だ。



 風が揺れる。


 ミカゲを少々乱暴に後ろへと投げ捨て思考を切り替えた。

 「きゃっ」と小さな悲鳴を背に受け、前へと身体を傾ける。


「三の群青、天の漆黒。我、見上げるは宵闇の彼方」

「後天の覇道、荒天の雲。地に満ちるは降盛の星!」


 重なる言葉の終わりも同じ。

 先んじようと飛び出す相手の右の拳を打ち付けた。



「轟きな!――『崩国天牙・万運招雷』!!」



 叫び、裂く。

 圧倒的な破滅が咲く。

 右手に伝わる濁流が、ことごとくを破壊しようとのたうち回る。


 この体での力比べは、どうあがいても勝ち目などない。

 ならば小手先の技術でどうにかするのが過去世を持つ僕のやり方だ。


「回れ」


 ぶつかり合った勢いを神通力でなんとか持ちこたえるも、拳から肘、そして肩にかけてどうしようもない力の奔流が巡ってくる。


 だから、その力を貰う事にした。


 静かに、しずかに、身体を紡ぐ。

 肩にまできた衝撃を神通力の身体制御で左半身へと。

 右半身は流れに逆らわず下げ左足を一歩踏み込むと、そのまま左手を相手の腹に添えた。


「!?」


 至近距離で見つめ合う顔が驚愕に歪むがもう遅い。

 魔素と絡めた暴力の渦は、そのまま左掌から解放された。



「柔拳一投の終――『宵の月天』」



 破裂。

 そして、轟音。


 木々をなぎ倒し吹き飛ぶ彼女の、一瞬の微笑みが目に残った。

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