第3話 ある日、森の中

「君は……妖怪か」


 僕の声で金縛りが解けたのか、へたり込んでいた幼女の肩が再び大きく跳ね上がる。

 続いて頭を隠すように慌ててフードを被り、ついでに体をガタガタと震わせ始めた。


 どうやら驚きでひっくり返った時にフードが脱げてしまっていたらしい。

 僕に指摘されるまで気付いていなかったようだ。


 妖怪はこの世界の人々から見れば魔物みたいなものだと考えられている。

 神通力とは違った妖術を駆使し、人々を襲って食らう恐ろしい存在。

 と、言われ、何故か異常なまでに目の敵にされている。


 実際、妖怪に襲われた村が皆殺しにあったという噂が時々流れてくるが、本当かどうかは知らない。

 かくいう僕もそういう風に教えられてきたのだが、如何せんついこの間、他の膨大な知識を突っ込まれた。結果、「それは可笑しくないか?」と漠然とした疑問が芽生えてしまっている。


 少なくとも今、目の前でこちらが不安になるくらいガクブルと体を揺すっている子を怖いとは思わない。

 僕にとっては彼女が先ほど見てしまった事を他人に話される方がよっぽど怖い。


 とにかく、だ。


 彼女に他言無用の誓いを立ててもらわなければならない。

 慌てず、彼女を刺激しないように、静かに歩みを再開する。


 ついでに魔術で髪を黒くした。白髪交じりとか恥ずかしい。

 どうせ魔術を一度見られたのだし、髪色を変えるくらいなら無詠唱でもできる。

 そもそも、髪の色が少し変わったぐらいの事を、慄いている今の彼女が気付くとはあまり思えない。


 放った魔術のせいか周囲には生き物の気配が皆無。

 僕と幼女の二人きりだ。

 腰が抜け怯える幼女に迫る、男。

 字面だけ見ると奉行案件だ。事案だ。


 二人の間を風が何事もなく吹き抜け、森の葉を優しく揺らす。

 僕の心と幼女の心も揺れている。

 場の緊迫感だけが高まっていく。


 くそう。凄く喋りかけにくいぞ。



「ウルナ!」


 近づいたは良いが、どう声をかけたものか。

 僕がそう考え始めた時の事だった。

 何か小動物みたいな影が僕の右手前方、幼女の後方左手から現れた。

 いや、幼女だ。と思う。

 こちらの子はきちんとフードか頭巾かなんかを被っているため素顔は分からない。


 しかし、お漏らし幼女の名前はウルナと言うのか。

 知らない人の前で無暗に名前を呼んじゃ危ないよ。こういう風に個人情報がバレちゃうから。


 幼女改めウルナちゃんの方は弾かれたように左へ振り返る。

 泣きそうだ。

 さっきから振り回されてばかりだもんね。可哀相に。

 被りものをしていても、その恐怖心は痛いほどに伝わってくる。


「ウルナ! たって!」


 しかし、新幼女の方はそんな事などお構いなし。

 ウルナちゃんの左の二の腕辺りを掴み、この場から一刻も早く離れようと焦っている。


 その様子から彼女も妖怪なのだろうと察する。

 きっと仲間を助けに来たのだ、人間の魔の手から。麗しきかな友情。


 僕はこの世界から見れば変態かもしれないけど、心根は優しいつもりだ。

 本来なら幼女たちに近づく事なく、僕の方からそっと立ち去るのがスマートで問題も起こりにくいだろう。お奉行さんも必要ない。


 だが今回は駄目だ。

 最低でもさっき見た事は誰にも言わないお約束をしなければ、僕の安息は得られない。


「待ってください」


 出来るだけ丁寧に引き留めてみる。

 新幼女の顔は良く見えないが、それでもこちらを睨んでいるのが伝わってきた。


 と、ここで気付く。


 妖怪は人里から隠れるように暮らしており、滅多に人間とは接触しない。

 当たり前だ。

 見つかった瞬間に虐殺されてしまうのだから。


 では、ここで見られた魔術も人には伝わらないのではないか。

 彼女の心の中で静かな眠りにつくのではないか。

 ならば、別に幼女を苛めるみたいに口封じを約束させなくても問題はない。

 段々とこの場を立ち去るのが最善の気がしてきた。


 無駄に引き留めてしまった。

 どうしようか、この状況。


 僕の言葉を律儀に守っている訳ではないだろうが、彼女たちは様子を伺うようにじっと佇んでいる。

 待ってと言ったのはこちらだ。次の行動を固唾を飲んで見守っている彼女たちに非は無い。


「今日見た事は忘れて下さい」


 しばらく無言の時を共有した後。僕はそれだけを伝えた。

 言葉を多く重ねても怪しいだけだし、誰にも言わないでもらえたらそれでいい。


 僕の伝えた内容が意外だったのか、一転して呆けたような雰囲気が漂ってくるが、僕は一仕事終えた充足感に満ちていた。


 帰るか。


 彼女たちも特に追ってくることはなく平和に解決できた。




 △▼△




 光の柱を立てたその日。

 僕が家に帰ると、予想通り村は大騒ぎしていた。


 屋敷の使用人たちも、今日ばかりは僕が見当たらない事に肝を冷やしていたらしい。

 帰宅するなり何人もの人に囲まれて部屋へと連行された。


 いつもは末の男子だからと適当に相手をしておけばよくても、実際に何かあったら不味いのだろう。

 じゃあ、森に一人で行っていいのかとは思うが、僕が勝手に屋敷を抜け出して追ってを撒いているのだから、そこを責めたら彼らが少々可哀相かもしれない。


 ただ、父親に至っては僕を放っておいて構わない旨を伝えているらしく、僕と親の間に挟まれた人々は常に困った顔をしていた。


 やはり、僕の家庭は異常なのだろう。

 酒井家だしね。


 そんな訳で、僕が再び裏山の森へ足を運べるようになるには暫くの軟禁生活を我慢しなければいけなかった。




 △▼△




 それから三年くらいが経った。


 僕は相も変わらず自己鍛錬の為に裏山の森へと通っている。


 魔術で怖がらせてしまった彼女たちは、何故かあれ以来、僕の前によく現れるようになった。

 御供え物らしきものを添えて。


 怯えられているような視線は相変わらず感じるし、僕が近づこうとすると慌てて逃げて行くのだが、それでも僕が森に入る度に食べ物を持ってやってくる。

 どんぐりだったり木の実だったり果物だったり。

 持ってくるものは様々なのだが、大きな葉に包んでそっと置かれている様子は正しく御供え物である。


 何故だ。

 荒神みたいに見えたのだろうか。

 それはそれで気持ちも分かるけれど。


 しかし、今考えると、妖術と魔術は似ている。

 妖術は幻覚を見せたりする秘術らしいのだが、他者に作用するという点においては魔術と系統が同じだ。

 もしかしたら、幻覚だけでなく攻撃系の術もあるのかもしれない。

 ちょっと聞いてみたい。


「若様!!」


 そんな事をつらつらと考えながら休憩をしている時。

 切羽詰まったような声が僕の耳朶を打った。

 結構な大声だったので、周囲の木々から鳥たちが慌てたように羽ばたいていく。


「若様! こんな所にいらしたのですね。一人で森に入るなんて、何を考えているのですか!」


 凄い剣幕で僕に詰め寄る男の子。


 僕の側仕えをしている同い年の侍従で付き合いは長い。五年くらいだろうか。

 首の後ろで結った艶やかな黒髪を胸元に垂らしている姿は妙に色っぽかった。


 しかし、まさかずっと僕を探していたのだろうか。

 諦められているとばかり思っていた。


「何ですか、その顔は? 僕が若様を放っておく訳ないでしょう? ここ数年間、毎日のように若様を探して走り回っていましたからね」


 困ったように「やっと見つけられました」と僕に笑いかける美少年。

 これはモテるだろうな。

 頓珍漢な思いが頭に浮かんでしまう。


 自分が誰かに気をかけられているとは思っていなかった。

 家に帰れば「どこに行っていたんですか!」と毎度のように怒られていたが、てっきり建前だとばかり。


 村の人たちは優しいが、家の人たちは基本的に冷たい。

 こんな環境で育てばそりゃ碌な大人にならないわと、自分の将来の姿を知っている僕は既に達観していたのだが。


「若様。僕はいつでも若様の味方ですから。だから、たまには僕を頼ってください。あと、出かけるときは僕も連れていってください。本当にお願いします」


 泣きそうな顔でそう言われると咄嗟に言葉が出てこない。


 正直、監視役としての演技なのかとも思う。

 しかし、彼を信じてみたいと思った。


 自分にまだこんな青臭い感情があるんだなと少し驚きもする。

 ポカンと間抜け面をしていたような気がするが、僕はとりあえず小さく頷きを返した。


 そんな僕の様子に花の咲いた様な柔らかい微笑みを少年が浮かべた、その時だった。



「か、神様から離れろ! 人間!」



 怒りか恐れか。

 震えた声が背後から響き渡る。


 鳥はもう飛び立って居ない。

 声の残響だけが残った。


「神様から離れるんだナ!」


 今度は少し舌足らずな可愛らしい声。

 こちらはウルナちゃんだ。


 綺麗な銀髪と、そこから伸びた一本角が今日はよく見えている。

 始めて会った時はまだ小さくて近づくまで気付けなかったが、今では立派な角だ。


 という事は、もう一人はあの時の新幼女かな。

 もう幼女って見た目でもないけど。十代前半くらいの見た目年齢である。

 いつもは見つける前にすたこらサッサと逃げてしまうので、その姿を見るのは地味に久々だ。


 こちらは見事な金髪である。

 ウルナちゃんとは違って頭の上に生えているのはケモミミ。

 それと、これまたウルナちゃんには無いモコモコとした尻尾を膨らませて威嚇しているのが良く分かった。


 今日も御供え物を持ってきてくれたのだろうか。

 やっぱり僕は彼女たちの中で神様になっていたらしい。


「な、妖怪!?」


 それに驚くのは少年。


 そりゃそうだろうさ。

 妖怪なんて伝承で聞くくらいだもの。


 僕を挟んで視線を交わす両者は、果てして異文化コミュニケーションを図れるのだろうか。


 うーん。

 ちょっと難しいかな。


 どうしようか、これ。

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