第14話 マイジュとエイル
私はエイルさんと一緒に、『ノワロ』の商業区に来ました。
理由は、エイルさんに買い物を頼んだからです。
「エイルさん、ありがとうございます。独りの時は自分で買えるのですが、今はハルトさん達と旅行中なので、本当に助かりました。」
私が欲しい物は、下着です。
独りの時は、カツラを付けて女性の姿で買っていましたが、数時間とはいえ、今は女性の姿になるのはリスクが大き過ぎます。
ハルトさんに見られる可能性があるからです。
普段でも、下着の買い物は年1回で済ませるように買い揃えてはいましたが、ミリティーアから受け取ったネックレスの効果で少し胸が膨らんできた為、厚手の生地に買い替えする事にしたのです。
半信半疑で就寝時だけ付けたネックレスの効果は『女性としての性を活性化させる』というもので、そのひとつに胸が大きくなる。
まさか本当に効果があるなんて…
嬉しいのは確かなのだけど、少し複雑な気分でもあります。
店は婦人服のみを扱う店があったので、その店にしました。
「では、私は店の外で待っていますので、お願いします。」
そう言って足を止めると、エイルさんが私の腕に手を回して引っ張りました。
「まあ、ここなら恋人同士で入れる店だし一緒に行きましょう。私が選んだのを見てくれればいいから。それの方が私も安心します。」
まあ確かにその通りなので、私は素直に腕組をしながら店内に入りました。
「この服ってハルト好きそうよね。」
エイルさんが手にとって見せているのは、真っ黒なパーティードレスでした。
「ハルトさんも男ですからね。男性なら皆さん好きだと思いますよ。」
薄地で胸元と肩が大きく露出するドレスは、女性らしさを最大限に見せる服で、男性の視線を釘付けするための服。
「まあ、そうなのだけどハルトって年上の色香に弱そうなのよね。」
「そうかも知れませんね。アイザさんの事は判っていないようですし。」
「でしょ! あれ、絶対に判ってないわよね。」
たぶん、アイザさんの中では、ハルトさんと婚約している事になっている。
きっかけは左手の指輪でしょう。
指輪を送るのという事は、『貴女を愛しています。』ですからね。
「ハルトさんの異世界は、指輪を送るのは日常的なのでしょうか?」
ドレスを戻したエイルさんが首を横に振っています。
「いえ、私のお母様から聞いた話では、こっちの世界と意味合いはほぼ同じでした。」
「なら、ハルトさんはどういう意図で送ったのでしょうね。」
「家族愛的なものとか?」
まあ、そうなるのでしょうね。
普段の行動や本人の言葉から、アイザさんのことを妹のように想っているようですし、女性として見ていないようですからね。
「わたしは面白いから放置してるのだけど、マイジュさんは言ってあげないのですか?」
エイルさんが私を不思議そうに見ています。
「そうですね。二人の関係を私の口から言うのは駄目だと判断しました。それに、ハルトさんがその時にどう対処するのか気になりますからね。」
「じゃあ、わたしと意見は同じって事ですね。」
エイルさんの悪戯をした子供のような笑みに、私は同じ笑みを返していた。
「そういえば、マイジュさんはどうしてハルトに付いて来たのですか?」
私とエイルさんは下着が並んでいる売り場に来ていた。
「それは、ハルトさんがどこか放って置けない感情があったというか…心配になったというか…」
戦闘に関しては私よりも強いのだけど、純粋で無垢というか、楽天的な思考というか、見た目通りの子供みたいな言動をする事が多かったからかもしれない。
私は改めて聞かれて、自分の感情に一つの疑問を浮かべた。
これって、母性本能?
「やっぱり、そう思いますよね。危なっかしいというか、なんというか…心配する姉のような気分にすぐなりましたから。」
エイルさんの言葉に私は頷く。
「私もそうですね。私の場合は少し旅をしてからですが。」
ただ最初は、傭兵の先輩として心配だった。…そう思っていた。
だけど最近は良く判らない。
この旅が終わったら、私はどうするのだろう…
「これなんてどうかな?」
胸用の下着を選んだエイルさんが、私に見せたのは白い生地に花の刺繍が施された物でした。
さすがに女性物だと判る下着なので断りました。
上着を脱ぐ状況になることが、極稀に起こってきたこともあり、無地のみしか着用ないことにしているのです。
男性が着ける肌着と似ているので、誤魔化してやり過ごせる事が出来るから。
「やっぱり無地しか着けないのですね。もう、十分に強いのですから女性剣士として公表しても大丈夫なのでは?」
エイルさんの言っている事は正しい。
新人の頃だと、女性差別や性的目的で近づく男性から身を守る為に、男装する女性も少なからずいる。
だから、傭兵登録には性別記載が無い。
だけど、私はそれだけの理由で男装しているわけでは無いから、まだ公表する事は出来ません。
もしするとするならば、弟のギルミアが王位を継承した後です。
何事も無ければ、一ヶ月後の誕生日に王位継承の儀が行われる。
「そうですね。でも、この旅の間は男性としてハルトさんと接したいので、それに傭兵仲間に今更、女性でしたと言うのは恥ずかしいものですよ。」
「それも、そうですね。」
そして、エイルさんは無地の下着を選び私に見せる。
「じゃ、こっちの下着で良いですか?」
「はい。それを5枚、お願いします。」
「じゃあ、あとはわたしの下着もついでに買いますね。長期旅行になるなんて思って見なかったし、ハルトに買い物の成果を聞かれるかもしれないですからね。」
楽しそうにエイルさんが下着を選んでいます。
「確かに、ハルトさんなら聞きそうですね。」
だからとって、下着を見せるのはどうなのでしょう?
それなら服の方が良いのでは?
「それなら、ドレスとかどうですか? さすがに下着を見せるのは…」
「え? だって、ハルトの戸惑う姿を見てみたいからですよ。あっ! じゃあ、さっきの黒のドレスの方が良いのか。ドレス姿みたいって言ってたし。」
ハルトさん、そんな事を言ってたのですか…
「エイルさんは、ハルトさんの事を異性としてどう思っているのですか?」
「えっ?! 突然どうしたのですか?」
そう逆に聞かれて、私はどうして聞いたのか考えてみた。
エイルさんが、ハルトさんを弟のようだと言ってはいるけど、それとは違う好意を持っていると感じたから?
今も、ハルトさんを女性として見させようとしているように感じたから?
昨日の腕枕もそうだったし、ハルトさんとアイザさんの仲を気にしているようですし…
「いえ、弟のようだと言っても、ハルトさんは男性ですし、女性としてハルトさんの視線をどう思っているのかと思いまして。」
「ん~…胸とか見てますよね。」
そう言ったエイルさんは嬉しそうに笑っていた。
「男性からの視線は、嫌というほど受けてきたけど、ハルトからの視線は嫌じゃないのよね。むしろ可愛いと思えるくらいかも…悪意が無いからなのかな?」
それは認めます。
ハルトさんって女性に対して免疫がないというか、弱いというか、襲われるような害を感じないのですよね。
女性に興味はあるけど、自分から声をかけたりも出来ないようですし、異世界の常識がそういう世界なのでしょうか…
普段から謙虚なのも、そういう事なのでしょうか。
「このままだと、ハルトさんはアイザさんの言いなりでは無いですが、悲しませない為に結婚しそうですよね。」
私は、この旅の最後に来ると思われる状況を思い浮かべた。
「そうなりそうよね。でもそれがハルトらしいし、私は全然良いと思う。」
エイルさんの笑みは変わらずに、本心から言っている言葉だと私は聞こえました。
本当に姉としてハルトさんを見ているようでした。
「そうですね。その時は、笑顔で祝ってあげましょう。」
私とエイルさんは、その状況になった時の、ハルトさんの戸惑う姿を想像し合い、笑い合いました。
「この後、どうしますか?」
結局、私の下着以外に、黒のドレスと、それに合う下着も購入したエイルさんが訪ねました。
「そうですね。エイルさんが他に必要な物があれば、それを買いに行きましょう。実際、次の『バラージュ国』は治安が悪いと聞いてますから、この街である程度買い溜めしたほうがいいかもしれません。」
『バラージュ国』は魔王島に一番近い国で、魔物や魔獣の種類と多さは段違いだと傭兵組合で聞いていた。
なので、魔物討伐の多さで傭兵の数も多くなり、それに伴い、国が傭兵に支払う報酬の為の税金の徴収と、傭兵ありきの生活をしている国民達の立場は低い。
これは皇女時代に教えられた話だった。
「じゃあ、旅用の服や靴。石鹸や香水なども買っておこうかな。好みのが無いかもしれないから。」
「それが良いですね。」
私には無縁の香水…このまま胸が大きくなって、女性としての日々に戻ったとしても、香水をつける事は無いでしょう。
汗の匂いを消せた事だけで、満足しなくてはなりません。
ふと、ハルトさんが私の匂いを好きだと言ってくれた事を思い出しました。
あの時は、本当に恥ずかしくて逃げ出したい程でしたけど…
凄く嬉しそうに、匂いについて語るハルトさんに、少し救われた気がしました。
自分のありのままを受け入れてくれる人が居た事。
私の匂いを好きだと言ってくれた事。
建前でも、社交辞令でもない、本当の言葉だった事。
あの時からかもしれない。
一緒に居たいと思ったのは…
でも、あの後アイザさんがハルトに言った言葉はその通りだと思いました。
「匂いが好きとか、相手に言うのどうなのよ!」
あの時の、ハルトさんの謝る姿は忘れられないですね。
「マイジュさん? 何か嬉しい事でもあったのですか?」
エイルさんの覗き込む視線に、私が下を向いて笑っていた事に気付いた。
「いえ、なんでもないです。少し昔の事を思い出しただけですよ。」
エイルは悩んでいた。
完全に勢いで買ってしまったドレスは今までで一番、布面積が少ない。
どうも私はハルトの事になると、自制がおかしくなるようです。
昨日の夜に、ハルトを腕枕した事、自分でも信じられない行動だったと驚いたばかりなのに…
あの時、ハルトの体温が暖かくて寝てしまったのよね…
ほんと、不覚だったわ。
買い物から戻った私は、リビングで寛いでいるハルトとアイザさんに「ただいま。」と声をかける。
「おかえりなさい。何か良い物ありましたか?」
予想していたハルトからの質問に、私は躊躇する。
「ええ、旅行用の服と靴を買ってきたわよ。この先、好みの物が手に入るか判らないって聞いたからね。」
「そうでしたか。僕も買いに行くべきだったかな…アイザ、明日一緒に行く?」
ハルトがアイザさんのメイド服を真剣に眺めています。
「そうね。靴の換えが欲しいわね。あとは下着も少し欲しいかも。」
「下着の数足りなかった?」
「ううん。色々可愛いのが欲しいのよ。」
「そっか、なら明日は買い物に行こうか。」
ハルトとアイザさんのいちゃいちゃな会話に、私は割って入っていた。
「そうそう、ハルト。あと、パーティードレスも買ってきたわよ。見たい?」
「えっ?!」
ハルトは無言になって言葉を選んでいるみたいだったので、話を続ける。
「買っては見たのだけど、すこし大胆だったかなって思っているのよね。ハルトの感想を聞きたいのだけど。」
「えっと、僕の意見で良いなら是非。」
ハルトの、遠慮しているけど期待している感が出ている返事に私は嬉しくなっていた。
「じゃあ、お風呂上がったら着替えて来るね。」
「はい、待ってます。」
『待ってます。』だって!
ほんとハルトって、可愛いこと言うのよね。
私は、さっきまで恥ずかしいと思っていた、ドレスを見せることを嬉しく思っていた。
下着もドレスに合わせて買った物を着けて、準備万端。
ついでに髪も上げて髪留めで結ってみた。
バスルームの脱衣場にある大きな鏡の前で、私は自分の姿を確認していました。
これは、思った以上の恥ずかしさでした。
むねの上半分から布が無いです。人前に出るには勇気がいるドレスでした。
しかし、もう後には引けない。
ハルトのたじろぐ姿を見る為なのよ。
幸い、ハルト以外の男性は居ないのだから。大丈夫よ。
「おまたせ、ハルト。」
私は意を決して、リビングに入る。
私を見るハルトの視線が、思ってたのと違って真剣でした。
「凄く綺麗です。思ってた通りの美しさです。」
「そっ、そう? ハルトはこういうのが好きなの?」
私は、下心が感じられないハルトの賞賛の言葉に戸惑っていた。
「はい。でもそれは、エイルさんだからですよ。華があるっていうのか、品があるっていうのか、エイルさんが着てるから映えるのです。」
もう、当初の目的はどっかに行ってしまいました。
私の姿を見て、目を逸らしたり、戸惑ったりするハルトをからかいたかったけど、私が嬉しくて何も出来なくなっていました。
「ハルトさんは、どうして、そのように恥ずかしい台詞を簡単に言えるのですか?」
私と同じく、帰宅後にお風呂に行っていたマイジュさんがリビングに戻って来ていました。
「それは、エイルさんに失礼だからです。ちゃんと、思っている事を伝えるのが、僕にドレス姿を見せてくれた礼儀だと思うので。」
そういう所がハルトの良さで…可愛いところなのです。
そして、そう言ったハルトの恥ずかしそうに照れている姿に、私は満足してしまった。
「ハルト、ありがとう。嬉しい感想聞けて、満足よ。」
「ねぇ、ハルト。私もドレス欲しい。」
アイザさんが少し拗ねた声でハルトに強請っている。
「アイザには可愛いのが似合いそうだけど、ドレスも色々試着して決めようか。」
ほんとハルトは、アイザさんには甘いわね。
でも、私は気にならない。
ハルトの言葉には、私とアイザさんを天秤にかけていないのが判っていたから。
「それじゃあ、着替えてくるわね。」
「え?」
「ん?」
「いえ! なんでもないです。」
ハルトが慌てた言葉で、取り繕っていた。
「もう少し見ていたいの?」
私はハルトの思考を読み取って、そう聞き返す。
そして予想通りに、ハルトのたじろぐ姿が見れました。
忘れていた目的を、思いがけない形で達成出来た私は、ハルトの要望を叶えることにしました。
「じゃあ今日の夕食は、このドレスのままにします。」
アイザさんとマイジュさんから白い目で見られているハルトに、私は笑いを堪えるのでした。
私は、独りだけドレス姿でリビングにいる事に恥ずかしくなってきました。
「そうだ! せっかくのパーティードレスなんだから、ダンスの相手をしてくれない?」
私はハルトに視線を送りました。
「え?! 僕ですか? 踊れないですよ。マイジュさんのほうが適任なのでは?」
「そんなのは、判っているわよ。だから、ハルトのダンス練習をしようって話なの。本気で踊るつもりなんてないわよ。」
ハルトが躊躇しているので、私はさらに言葉を付ける。
「広い部屋もあるし、この先ダンスを強要される場面も出てくるかもでしょ。覚えておいて損はないから。それにアイザさんと踊る可能性もあるんだし。」
「そうね。私は踊れるから良いけど、ハルトも覚えて欲しいわね。」
アイザさんの言葉もあって、ハルトは恥ずかしそうに「はい。」と頷きました。
私達はハルトを連れて、ダイニングルームのテラス側の広い場所に移動しました。
「じゃ、基本からね。」
私は向かい合って照れているハルトの手を握りました。
「いち・にぃ・さん、のリズムで私の動きに合わせて右回りに回ればいいからね。背筋伸ばして、離れないように動けばだんだんと判ってくるから。」
ほぼ同じ身長のハルトととは、靴の高さで少し私の方が高くなっていた。
すこし見上げるハルトと目を合わせたまま、私はゆっくりとリズムを唱えていく。
ぎこちなく少し硬いハルトは、時々バランスを崩し、倒れそうになると私に抱きついていた。
その度に視線を外し、恥ずかしがっています。
でも、止める事はなかったので、徐々に合うようになって硬さも取れてきた。
集中し始めたハルトは私の目をしっかりと見て、呼吸も合わせ始めた。
人にダンスを教えるのが初めてだからなのか、私はハルトの事だけを考えて踊っていた。
一つ一つを丁寧に、目を合わせて足を運ぶ。
一歩一歩が綺麗に流れる度に、笑みが零れる。
握る手はいつしか、自分と繋がっているような感覚だった。
ただ、回っているだけのダンスなのに、楽しい気分になっていた。
「それじゃあ、最後のステップね。」
もう、リズムの掛け声は無くなっていたけど、私の動きに合わせるハルトは、体勢を崩すことなく綺麗にその足を止めた。
「ありがとうございました。」
「待って!」
手を離して頭を下げようとするハルトの動きを私は止める。
「左手を自分の胸に当てて、相手の目を見る。それから女性がスカートを掴んで挨拶をするから、合わせるように一礼をしてね。」
私が教えた挨拶を済ませると、さっきまで真剣だったハルトの顔が照れ顔になっていた。
「この挨拶までがダンスの作法だからね。」
そんなハルトを可愛いと思いながら、私は少し暑くなっていた。
「ハルト、次は私と踊るわよ。」
アイザさんが休もうとしていたハルトの手を掴んで、さっきまで踊っていた場所に連れていきました。
「ハルト、さっきの要領で大丈夫だから。」
私は、疲れた顔を見せずにアイザさんに付いていったハルトに、声援を送った。
私はマイジュさんが用意してくれた冷たいお茶で暑くなった体を冷やしました。
「お疲れ様でした。ハルトさんとの息が合ってましたね。」
マイジュさんから褒められて、また体が熱くなりました。
自分でも、驚くくらいだった。
学院生活で何度も踊っていたけど、初めての体験でした。
「ええ、教える立場だったから、私も集中していたのかも知れないです。」
もっと踊りたいと思ったのも、初めてだった。
私はアイザさんと踊っているハルトのダンスを眺めました。
そうよ! また練習をすればいいのよ。
そして、他の男性に見せるのはちょっと恥ずかしいから、このドレスはハルトと踊る時だけにしようと、心に誓いました。
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