第10話 温泉は最高ですね。

 『タラス』は森の中にある温泉街。

 色んな所から湧き出ている源泉の横に宿が建って大きくなった街なので、宿が森の中に点在している。

 僕達はその中でも、初代勇者が伝えた露天風呂を、逸早く取り入れた老舗宿に向かった。

 『イストエトリア』

 初代勇者が実際に泊まった宿でもあり、エイルさんの希望もあったから。

 それと、唯一の露天風呂付の離れ部屋に、僕が惹かれたのもあった。

 8割はこれなんだけどね。


 元々の文化で大浴場に沢山の人が入るような習慣ももちろんあって、そういう宿や施設もあったけど、高級感ある露天風呂付き離れなんてものはまだ少ないらしい。


「ハルトさん、宿が見えて来ました。」

 騎手のマイジュさんが小窓を開けて僕に伝える。

「アイザ、そろそろ着くよ。」

 途中からアイザは僕の膝の上で寝ていたので、起こす。

「んっ、やっと着いたのね。」


 宿の前に馬車を止めて外の出ると、人の気配がまったく無かった。

「マイジュさん、なにかおかしいですね。」

「はい。どうやら、休業中みたいですよ。」

 異変に気づき入り口前にある小さな立て看板に書かれている内容を僕達に教えてくれる。


 僕は静か佇む迎賓館のような建物を見上げる。

「源泉が出なくなったって…ここだけ?」

「そのようですね。ここまで来るまでに、見かけた宿は営業していましたから。」

 マイジュさんも僕と同じように宿を見上げていた。


「ねぇ、どうするの?」

 エイルさんが困惑した顔で僕を見ている。


「そうよ。やってないんでしょ? 諦めて、別の宿にすればいいじゃない。」

 露天風呂付離れ…アイザも楽しみにしていたから、少し拗ねている。

 僕も同じ気持ちです。

 だけど、それとは別のエイルさんの目的があるから、ここの主人が居ないかだけでも調べることにした。


「アイザ、ちょっとその前に、宿の人が居ないか見てくるよ。初代勇者のパーティーの話をしてくれる人がいるかもしれないから。」

 僕は、入り口になっている大きな扉を叩く。そして、大きな声で呼んでみた。


「はい。どちら様でしょうか?」

 気苦労で生気がない表情だと見て判る女性が、扉を開けて僕達の事を不思議そうに見ている。


「えっとですね。こちらの女性が初代勇者パーティーに参加していた『イリーシャ・ラミナス』さんの娘さんで、当時の事を何か聞けたらと思って訪ねてきたのですが。」


 エイルさんの姿を確認した女性の表情が、少し明るくなっていた。

「ええ、よく似ています。もちろん覚えていますよ。あの時は私は12才でしたが、あの出来事は忘れないです。」

 当時を思い出しているようで、声も張りが出ている。


「エーイルと言います。当時の事を、何でも良いので教えて貰えませんか?」

 エイルさんが女性に詰め寄るように頼んでいる。

「はい。それでしたら、何もお出しするものは無いのですけど、当時泊まって頂いたお部屋でお話しましょうか?」

「是非、お願いします。」

 即答するエイルさんに、僕達は顔を見合わせて笑みを溢していた。


 本館の最上階の部屋。案内してくれたのはこの宿の主人の奥さんのラーシルさん。

 当時は12歳の子供だったけど、勇者と直接話す機会が多かったと聞かされ、その時の思い出を話してくれた。

 エイルさんが目を輝かせて聞いていた。


 僕が外の景色を眺めていたら、ラーシルさんが寂しい面影になっていた。

 僕は気になって聞くと、部屋から見える景色は、大きな岩肌の上部の切れ目から湧き出る源泉が滝になって、流れている庭園を一望出来る。と教えてくれて、今はその源泉が止まっている現状が見えていた。


「ここの源泉だけなんですよね? いつからなんですか?」

 僕が買った情報誌は最新版で1年前に発刊されたやつだったので、最近の事なのだろうと推測していた。

「4ヶ月前くらいです。 原因を調べるのに地質調査をしてみましたら、地下2000メートルほどに硬い岩みたいな物で塞がっているらしい…との結果がでました。」

 顔を見せないように、下を向く女将さんの辛さが伝わってくる。

「魔法でも無理なのですよね。」

 魔法で出来るなら、とうにそれを実行しているだろうし、エイルさんが何も言わないって事も、そうなのだろう。

「地面に穴を開けるように、それを2000メートル下までなんて、よっぽどの魔法士でも難しい事です。出来たとしても、数ヶ月の依頼になるでしょうね。そうなると、依頼金も凄い額になりそうですね。」

 エイルさんがその難しさを僕に教えてくれた。


「レーザーみたいな魔法ってないのかぁ~」

「レーザー?」

 エイルさんが僕の言葉に興味を示す。

「えっとですね。高火力の光の線かな。鉄だろうと、岩だろうと貫通する光の線です。」


「あぁ~あれね! そうね、貫通する魔法っていうのは無いのよ。魔法が物に当たるとその魔法の効果が発動するから、攻撃魔法だと、爆発現象になるの。」

 エイルさんはスマホの動画の中で見たことがあるのだろう、僕の説明を理解して答えてくれた。


「あるわよ。貫通する魔法なら。」

 アイザの言葉に、僕達一同は驚く。そして、聞き直す僕達に「だったら見せてあげるわよ。」と、窓の外に手を向けた。

「地面に穴を開ければいいのでしょ。」

 アイザが嘘をつく理由なんて無いのは知っているけど、反射的に聞き返してしまった僕は、アイザを怒らせてしまったみたいだった。

「ごめん。アイザが嘘を言うはずないのは知ってるから。ちょっと驚いただけだから。それと、適当に穴開けたら宿の人が困るから、ちゃんと決めてから開けてくれるかな。」

「分かったわ。じゃあ、どこにするか決めてくれる。」


 僕達は、源泉が沸いていた岩の上に案内された。

 そこには亀裂があって、ここから温泉が出ていたと教えてもらう。

 少しの水分も感じられない岩肌に僕は胸が締め付けられた。

 温泉宿で温泉が出なくなる。その事の意味は容易に想像出来る話だった。


「じゃあ、この真下に穴を2000メートル開ければいいのよね。」

「うん、そうなんだけど、ちなみにどんな魔法か教えてくれる?」

 僕はアイザに問いかけた。


「えっとね、炎の槍よ。大きさはこれくらいの穴になるかな。」

 そう言ったアイザが両手でその穴の大きさを作ってくれた。

 直径20センチほどの円を見せるアイザに僕以外の皆が驚く。


「ラーシルさん、これくらいの穴になるそうだけど、良いですか?」

 僕の質問に、落ち着きを取り戻したラーシルさんが小さく深呼吸をしている。

「はい、どういう結果になるか判りませんが、これ以上悪くなる事はないと思いますから。」


 庭が丸ごと無くなるとかじゃないし、源泉が出ない宿からしたら、そうですよね。


「アイザ、ってことで頼んだよ。」

「任せてよ。」

 振り上げたアイザの右手に魔力が集まっていくのが目視でも確認出来た。


「命の焔を守りし煉獄の王イズルタージュ。神に抗う愚かなものに裁きを。轟炎の槍で全てを討ち抜け!」

「ふぁいやぁあああ!」


 どんどん大きくなる魔力の塊は、長さ5メートル・直径20センチほどの、赤く光る1本の槍だった。

 それがアイザの掛け声と共に地面の切れ目に向かって放たれると、バターに熱い金属棒を差したような穴と熱気を残して地面に消えていった。

 

 『ファイヤー』って、言ってなかったか? 

 普通は前に飛ばす魔法だろうし、言葉的にも見た目にも合ってる。

 槍じゃなくて、ミサイルだしな・・・大きさ的に。

 そして物騒な掛け声だけど、アイザが言うと可愛くなる。可愛いいのです。

 実際は、とんでもない事をしているのだけどね。


「アイザ、ちょっと気になることあるんだけど。」

 僕は満足気に立っているアイザに尋ねる。

「なに?」

「2000メートルであの槍は消えるんだよね?」


 じゃないと、溶岩が噴出すよ?


「たぶんね。 岩盤の固さが判らないから大体だけど、それくらいの距離の魔力にしたから。そろそろじゃないかな?」

 アイザが満足気の笑顔で答えたとほぼ同時に、源泉が噴水のように噴出した。

「あっつ!」

 数メートル噴きあがったお湯が雨のように降ってくる。


 穴の近くに立っていたのは僕とアイザの二人。

 少し離れたところで見ていたエイルさんがラーシルさんとマイジュさんの前に立ち魔法の壁を作っているのが見えたので、僕はアイザを抱きかかえて林になっている後ろの木々の下に飛んだ。

「アイザ、凄いよ! アイザの魔法はやっぱり凄いね。」

 僕は嬉しくなって、子供のようにはしゃいでいた。

「ちょっと! ハルト、痛いから。判ったから力抜きなさいよ。」

 僕はアイザを抱きかかえたままだったので、少し締め付けるくらいの力が入っていたみたいだった。


 アイザに謝って、地面に下ろした僕は、徐々に小さくなる噴水に動揺する。

「え?! 失敗?」

「いえ、まだ分かりません。溜まっていた圧で噴水になりましたけど、湧き出る程度に収まってから、源泉が切れなければ成功です。」

 ラーシルさんの言葉通り、湧き出す湯量になるまで僕たちは静かに見守っていた。


「成功のようです。」

 ラーシルさんの言葉に、僕は込み上げる嬉しさを静かに喜び、アイザの頭を撫でていた。

「アイザ、ありがとう。」

 僕の言葉に続くように、ラーシルさんが涙を流して感謝の言葉をアイザに伝えている。

 エイルさんとマイジュさんもアイザの魔法を褒め称えていた。


 僕達はラーシルさんから、お礼として今夜の宿を無料で泊めて貰う事になった。

 一人一部屋の離れ部屋は、流石に寂しいのと、急な準備になる事だと思い、2部屋の離れを使わせてもらうことにした。

 当然、僕とアイザで一部屋。そして、マイジュさんとエイルさんで一部屋。

 これからの旅行で、エイルさんとマイジュさんが個別に部屋をとるのは控えた方がいいだろうという話になって、この部屋割りになりました。

 エイルさんもマイジュさんなら安心だと言っていたので、これからの旅の宿代は僕が持つ事にした。


 そして僕とアイザは今、小さな少女と一緒に館内を散歩しています。

 残ったマイジュさんとエイルさんはロビーで寛いでいるはずです。


 離れの部屋の露天風呂にお湯を引いたり、食事の材料を買出しに入ったりで、紹介された旦那さんとラーシルさんは忙しく仕事を始めたので、一緒に紹介された一人娘の『ルレール』ちゃん9歳の案内で宿を探索中なのです。

「おねぇちゃん、こっち!」

 アイザの魔法でお湯が戻った事を知ったルレールちゃんは、アイザに嬉しさと感謝を伝える為に、一生懸命です。

 そんなルレールちゃんに笑顔で応えているアイザを、僕は微笑ましく眺めていた。


 癒される。

 理屈や意味とか、すべてを思考停止するほど、癒されています。

 僕は二人を追い駆けるようについて行く。


「可愛いは正義って、ほんと誰が言ったのか…」

「ハルト何か言った?」

 僕の独り言にアイザが怪訝な顔で聞き返してくる。

「何も言ってないよ。」


 館内からの景色や、お気に入りの場所を色々回った僕達はロビーに戻る。

 ロビーのソファに、ラーシルさんがマイジュさんとエイルさんと話をしているのが見えた。

 初代勇者の話やエイルさんのお母さんの話をしているみたいだった。


「ママぁ~」

 ルレールちゃんがラーシルさんの膝の上に座る。

「ダメですよルレール。お客様の前ですよ。」


 悲しい顔になったルレールちゃん。

 そっか、宿が休業中の今だから甘える時間が沢山あったんだ。

 営業再開も嬉しい事だけど、お母さんに甘える時間が減る事になるんだよね…


「僕達はお客さんじゃないですから、ルレールちゃんを叱らないで下さい。我慢は明日からでお願いします。」

 僕の意図に気付いたマイジュさん達も、同じような言葉をラーシルさんにかける。


「ありがとうございます。」

 ルレールちゃんを抱き寄せて僕達に頭を下げたラーシルさんが、ソファから立ち上がる。

「それでは、お部屋の準備が整いましたので、ご案内します。」

 ラーシルさんの隣をルレールちゃんが笑顔で歩いて行くのを、僕達は後ろから眺めながら離れの部屋に向った。

 

 リビングと寝室。その奥に、木の塀で囲まれた岩の露天風呂。湯気がうっすらと見えている。

 僕とアイザは最初の離れの部屋に決めたので、隣の離れにマイジュさんとエイルさんを案内するのに、ラーシルさんとルレールちゃんが行ったので、アイザと二人になっていた。


 時刻は18時過ぎ、うっすらと夜になり始めた空に温泉の白い湯気が昇っていく。

 僕は岩の露天風呂を眺めて静かに感嘆の声を漏らしていた。

 「和がある…どこから見ても和だよ。この景色が見られるなんて、嬉しすぎる。」


「アイザぁあ、今から入りたいんだけどダメかな?」

 お風呂の順番はアイザからって決めていたけど、この温泉を取り戻してくれたのもアイザだったけど、僕はこの誘惑に負けて、口に出していた。

「うん。先に入っててもいいよぉ~。わたしも後から~」


 リビングに行ったのか、後半の言葉が聞き取れなかったけど、先に入って良いって事は聞こえたので、僕は『インベントリ』からリュックとアイザのカバンを取り出し、寝室に置いてお風呂に入った。

 

 魔法付与のアクセサリーは温泉でも大丈夫だと教えて貰っていたけど、腕輪を着けたまま入るのは邪魔な気分だったので、着替えのところに置いてある。

 日も落ちて暗くなってきた露天風呂は、ランプの灯で雰囲気をさらに上げていた。


「やっぱり日本人なら露天だよなぁ~」

 少し熱いと感じる、丁度良い温度の露天風呂に、僕は心身ともに癒されていた。

 

 もっと入っていたいけど、アイザも待っているし、ご飯の後でまた入ろうかな。

 そのまま、朝まで浸かっていたい気分です。

 そうだ、明日も連泊しよう。明日はちゃんとお客として、この宿に泊まろう。

 それじゃ、アイザと代わるかぁ~


 僕がお風呂から出ようとすると、アイザがタオルを巻いてお風呂に入って来た。


 え? なに、このテンプレイベント? …あれ? そんなフラグあったか?


 僕は岩の上に置いてあるタオルで前を隠す。 

「ちょっ! アイザ、どうして入って来てるの?」

 アイザはいつも通りの感じで、『当然でしょ。』って顔で僕を見ている。


「どうしてって、露天風呂は一緒に入るものでしょ。他人じゃないんだから。」

「いや、まぁ…間違ってはいないんだけど…」

 僕は取り合えずもう一度、露天風呂に浸かることにした。

 アイザが普通にしているのに、僕が慌てるのは変だからね。


「体洗うから、こっち見ないでよね。」

 アイザが、シャワーを出して背中を見せていた。

「あっ、うん。判った。」

 アイザから後ろを向いた僕は、気にしないように夜空の月を眺めていた。


「もういいわよ。」

 聞こえたアイザの言葉と一緒に、アイザが僕の隣に入ってくる。

 

 タオル着けてないんですけど…

 僕もタオルは岩肌の上に戻したから一緒なんだけどね…

 これ、どうリアクションすれば正解ですか?!


 アイザの変わらない態度に、僕も普段通りの態度を取る。

「露天風呂って良いよね。アイザも家族と一緒に入ってるんだよね?」

「うん。家のお風呂で、お父様とお母様と一緒に入ってる。」


 僕を家族としてみてくれてるって事なんだよな。

 僕も妹みたいに思っていたから、嬉しいな。

 実際、アイザは小さいけど幼児体系じゃなくちゃんと女性らしい体系しているから、欲情しても不思議じゃないんだけど、そういう気持ちよりも、『可愛い・綺麗』っていう気持ちが大半なんだよね。

 

 僕はまじまじとアイザを見ていたようで、

「そんなに見なくてもいいじゃない。」

「あっ、うん。やっぱりアイザは可愛いなぁ~って見てた。それと、アイザが家族と同じように僕を扱ってくれて嬉しくてね。」

「だってハルトは家族だからね。」

「うん。僕もアイザは家族みたいに思ってるから。」

「みたいじゃなくて。家族でしょ!」

 アイザが少し怒ってしまった。

「ごめん。うん、家族です。大切な家族だよ。」


 家族かぁ~。ほんとアイザの存在って、僕にとってそうだよな。

 ん? あれ? そうなると、魔王と家族になるってこと????

 いやいや、それは無い無い。

 … … …

 アイザが僕を家族だと紹介したら、ありえるのか…

 え?! いいのか? んぅうううう…考えるのは止めよう。うん、止めよう。


 僕は露天風呂の心地よさに、気持ちを戻す事にした。

「アイザと一緒に露天風呂なんて、僕の人生いい感じかも。勇者にならなくてほんと良かったぁあ。」

「私も。ハルトと出会ってから、毎日楽しいんだからぁ~」


 ん? アイザの口調が…

 少しほっぺを赤くしているアイザの目が泳いでる?

「アイザ大丈夫?」

「うぅ~ん。ぜんぜんだいじょうぶぅ~」


 お風呂に溶けていくようなアイザの姿に心配したけど、普段からこの状態でお風呂から出てきてるから、アイザが言うように大丈夫なのだろう。


「それじゃ、僕は先に出るね。」

 アイザのいつものダラけた返事を聞いた僕は、脱衣部屋に戻って服に着替えた。

 離れ部屋の食事は、コース料理のお弁当版のような感じで部屋で食べるのだけど、今日は宿の方のレストランでの食事になる。

 レストランっていっても、休業中で従業員が誰もいないから、旦那さんとラーシルさんの手料理を皆で食べることになっている。


 それにしても…マイジュさんがエイルさんとの同室に嫌な顔せずに同意したのは驚いたな。

 それも、エイルさんが遠慮しているのを、収めるほどだったしな…

 もしかして、マイジュさんの好みだったりして?

 今頃一緒に、お風呂とか入ってたりして?

 いやいや! 会って初日にそれはどうなのよ。でも大人同士だし…あるのか?

 だあぁああ! 気にするな俺! 考えても無駄だ。 別の事を考えるんだ!


 執事服に着替えた僕は寝室に行き、脱ぎ散らかしてあったアイザのメイド服と自分の服を干す作業に集中する。

 そして僕は、寝室の窓際に干した服を眺める。

「よし! なんか落ち着く。」




 ハルトとアイザと分かれたマイジュは、ラーシルさんに案内された部屋にエイルさんと入る。

「マイジュさん、今日からよろしくお願いします。」

 丁寧なお辞儀でエイルさんが私に挨拶をしたので、私も返しの礼を返す。

「はい。こちらこそ、よろしくお願いします。」

 

 早速気になっていた場所に私は向かった。

 リビングを抜けて脱衣室に入ると、仕切り板の向こうに湯気が見えている。

「え?! ほんとうに外にある…」

 露天風呂という物を知らなかったので、その光景を見て驚いた。

 立て板で周りからは見えないようにはなっているけど、岩で出来た浴槽に屋根は付いていなかった。

「どうかしましたか?」

 エイルさんが私の後に入って来て、戸惑っている私を心配そうに見ている。

「いえ、外にあるお風呂って初めて見ましたので。」

「そうですよね。日本の文化を知っている私でも、実際に見ると壮観な景色で驚いています。」

「エイルさんは母親から色々と異世界の事を聞いているのですよね。少し羨ましいです。」


「ハルトに出会えたマイジュさんは、これから他の人達から羨まられる事になると思いますよ。」

 エイルさんの笑みで私は「そうですね。」と笑みを返した。


「それじゃマイジュさん、先にお風呂を使ってください。」

 エイルさんに「ありがとう。」と言って、私は寝室に行き、鎧を脱ぎ置く。


 今は依頼中では無いので鎧をまとめて置くのだけど、『インベントリ』の腕輪を手に入れたので、収納した。

「まさか『インベントリ』を手に入れるなんて、思いもしなかった。これもハルトさんのおかげですね。」

 私は着替えの入ったカバンを取り出し、ベットの上で広げる。

「便利だとは知っていましたけど、高額な品だし、剣や防具の方にお金を使うから諦めていたのですけどね。」


 隣のベットでエイルさんも荷物の整理を始めていた。

「エイルさん。これはお願いなのですが、誰にも内緒にして欲しい話があるのですが、良いですか?」

 私の突然に言葉にエイルさんが振り向き、顔を強張らせている。

「えっと…はい。大丈夫です。誰にも言いません。」


 エイルさんとはまだ出会ったばかりだけど、アラガル家の人達から聞いた話で、信用してもいい人だと思った私は、自分が女性だと明かす事にした。

 まあ、知っている人もいるので、最悪ハルトさんに知られるのが早いか遅いかの違いになるだろうとも、思った行動だった。


 私は、シャツを脱いで下着姿になる。

「実は私は、女性なんです。」

「?! え?! えぇえええ!」



 エイルさんの驚きが納まったので、私は話を続けた。

「国を出る時に、私には傭兵業しか思い付かなくて、その時に男装する事を選びました。何かと便利だったのと、女性としての面倒事を無くす為でした。なので、ハルトさん達は私を男性として見てくれています。私はこの関係が好きなので明かすつもりが無いのですが、エイルさんと同室になるにあたって、打ち明けた方が良いと判断しました。なにかと安心でしょ?」

 私はエイルさんの緊張を取るために最後に笑みを浮かべる。


「えっ、ええ。そうですね。部屋でくつろぎ易くはなりました。」

「でしょ。ハルトさんと同室の時は、全然休めなくて大変でした。部屋でこんなふうに下着になるとか出来ませんでしたからね。」

 私の笑みにエイルさんも合わせるように笑っていた。


「それじゃあ、お先にお風呂使わせてもらいますが、広いですし、一緒に入っても私は構いませんので、良かったら来て下さい。」

「あっ、はい。なら、そうさせて貰います。着替えの準備をしたら行きますね。」


 傭兵時代からずっと、憧れみたいなものがあった。

 友人や仕事仲間と一緒にお風呂に浸かりながら、他愛のない会話をする事。

 エイルさんとは、ハルトさんの話でもしようかしら。


  露天風呂に向かう私の足取りは軽く、そして、小さく歌も口すさんでいた。




 ハルトは、レストランに向かう時間が近づいてきたので、お風呂からなかなか上がって来ないアイザを呼びに行くことにした。

「アイザぁ~。そろそろご飯行くよぉ~。」

「はぁあいぃぃ。いまぁでるぅ~。」

 タオルを体に巻いて脱衣部屋に戻ってきたアイザの髪からは、当然ポタポタと水滴が落ちている。

「髪拭いてあげるから、リビングのソファに座ってよ。」

「はぁ~い。」と少し意識を取り戻したような返事をしたアイザがソファに寝転ぶ。

「いや、座らないと。」

 やっぱり、グダグダだったアイザを起こして、ソファに座らせ髪を丁寧に拭いてあげた。


 アイザの家族の基準ってこういうこと?

 って、そんな訳ないか。アイザにとっても、兄みたいに思ってくれてるんだよな。

   

 僕は意味もなく思い浮かんだ疑問を払拭した。

「はい、終わったよ。次は服を着てね。」

 返事をしたアイザはフラフラと寝室に向かっていった。

 そして少ししてから僕を呼ぶ声が聞こえる。

「ハルトぉ~。着させてぇ~。」



 本館にある宿のロビーに僕達は集まっていた。

 僕とアイザはいつもの執事とメイド服で、マイジュさんもいつものスーツ姿。

 エイルさんはカジュアルなドレスっぽい服だったので、隣に立つマイジュさんと似合いのカップルに見えた。

 心なしか、距離感も近いような気がする。(物理的な意味も含め)

「やっぱり、宿で着る服って要りますよね。手荷物を少なくする必要も無くなったから、明日にでも、探してみようかなって思ってます。」


「と、いうことは明日もこの街で一泊するのですか?」

 マイジュさんの質問に僕は「はい。」と答えた。

「ラーシルさんに聞いてからですが、明日も出来ればこの宿に泊めて貰おうかと思っています。もちろん明日は、普通に宿代を払ってです。露天風呂をもう少し堪能したいってのが、本音ですけどね。」

 マイジュさんも頷いている。

「そうですね。私も初めて露天風呂というものを体験しましたけど、心地良いですよね。」


 それから露天風呂の話をしたり、服がどんなのが良いのかとか、話に夢中になっているとルーレルちゃんがレストランの入り口から出てきた。

「お食事の用意が出来ましたぁ~」


 お母さんの手伝いですね。

 背筋を伸ばして頭を下げる仕草も、その声も、何もかもが可愛いです。


 僕はほんわかした気分で、ルーレルちゃんが待っているレストランの入り口に向かった。

 ルーレルちゃんと一緒にレストランに入ると、旦那さんとラーシルさんが大きな丸テーブルの前で待っていた。

 僕達はルーレルちゃんに案内されて、そのテーブルの席に座った。

 テーブルの上には沢山の料理があり、氷で冷やされている飲み物が夫妻の席の隣の小さなテーブルの上に並んでいた。

 

 改めて源泉の復活のお礼の言葉を3人から受けた僕達は、明日からの営業再開の祝いの言葉を贈った。

 そして乾杯をする事になるが、当然、僕はワインが駄目だった事を話す。

「それでしたら、こちらのお酒などを試してみてはどうですか?」

 旦那さんから勧められたのは3本のお酒だった。

「開けて、飲めなかったらどうしよう…」


「それなら、私が。」

「私が飲んであげる。」

 ほぼ同時にマイジュさんとエイルさんが声を出していた。

 

 マイジュさんとエイルさんが顔を見合わせて、笑っていた。

「お二人はお酒に強いみたいですね。じゃあ、せっかくなので、3本とも試してみます。」


 旦那さんの乾杯の合図で、食事が始まった。

 最初に注いで貰ったお酒は、透明でさっぱりした味のお酒『カシュラ』だった。独特の香りは甘いような花の香りのような感じで、小さなグラスだったこともあり、全部飲んでしまった。

「これは、飲みやすいです。」

「それは、カシュラミネスっていう果実から出来たお酒です。癖が無く、甘い香りで、女性に人気なんですよ。」

 ラーシルさんが空になったコップに再度注いでくれる。

 僕と同じお酒に付き合ってくれたアイザやマイジュさんとエイルさんも、美味しそうに飲んでいた。


 テーブルには食べやすいように一口サイズに並べられた色とりどりの料理。

 好きな物を、皿に取ってフォークひとつで口に入れられるので、お酒を飲みながらに最適だった。

 ルーレルちゃんは大好きだと言った葡萄ジュースで楽しんでいた。


「どの料理も美味しいです。」

「ありがとうございます。料理も自慢の宿でして、主人が料理長をしていますので、普段と変わらない物を出させてもらっています。今日は、祝いの席なので、こういう形になりましたけど。」

 それから旦那さんとの馴れ初めなど、ラーシルさんが嬉しそうに話してくれた。

 宿の一人娘だったラーシルさんと幼馴染だった旦那さんは、料理の腕を磨いてプロポーズ。

 ラーシルさんの両親を納得させたらしいです。

 その両親は、営業停止になってから、知り合いの宿で働いてるので今日はいないけど、明日には戻ってくる。勇者の話を聞けると知ってエイルさんが喜んでいた。


 2本目のお酒は『リーシュ』。少しアルコール度数が強く、炭酸が少し喉を刺激したけど、慣れてきたら美味しいと感じる刺激に変わっていた。

 これも渋みとか全く無く、飲みやすかった。

「アイザ・・・大丈夫?」

 アイザも僕と同じお酒に変えていたので少し心配になった。

「うん。これも美味しいね。お父様やお母様にも飲ませてあげたい。」

「ああ~お土産に買って行くのも良いかも。」

 まだ飲んでいない次のお酒も含めて、3本ともリビエート王国の特産品と聞いていた。

 そして、もう一つ気になっていたのが目の前にあった。

 テーブルの真ん中に「どーん!」って感じで飾ってある大きな海老。

 見た目はオマール海老のような感じだったけど、頭の大きさだけで30cmくらいはある。

 もちろん料理の中に、その海老が使われているのが沢山あった。


 これも、めっちゃ美味しいのです。

 1匹まるごと食べたい気分です。









「この海老も、この地方の特産なのですか?」

 少し酔いが回った旦那さんが、意気揚々と答えてくれる。

「ああ、もちろんだとも。」

 そして、少し悔しそうに話す旦那さん。

「だけど、急遽買い付けた品だから、小さいんだ。この海老は大きいほど甘くて美味いんだ。」

「これで、小さいのですか? 僕の世界では、全長30cmあればすごい大きさですよ。」

「そうなのか。明日の朝市に行けばもっと大きい海老が手に入るはずだから、期待してくれ。」

 僕達は、明日は客として宿泊させて貰える話を済ませていたので、旦那さんも気合が入っているらしいです。

 自慢の料理を振舞えるからと。

 今日のも十分過ぎるほどの振舞いだとおもうのだけどね。


「全長4メートルくらいの巨大海老もいるみたいですよ。」

「私も聞いたよ。洞窟の奥にいるんだよね。」

 突然のラーシルさんの言葉に、娘のルレールちゃんが、口の周りに色々と付けたまま、笑顔で答える。

 それをラーシルさんがハンカチで拭いてあげている。

「それって、どういう話なんですか?」

 僕は気持ちの高鳴りを自覚するほど、興味が沸いていた。


 ラシールさんと旦那さんの話によると、

 ここから馬車で1時間くらいの場所、観光場所になっている鍾乳洞の奥にある大きな地底湖で見つかったその海老は、あまりの大きさと力で捕獲出来ず、危険な存在だということで、傭兵組合に依頼されているほどの難題になっている。


「鍾乳洞の観光ついでに捕獲してみたいです。」

 僕がその言葉を言う事が判っていたアイザ達が「やれやれ」って顔で承諾してくれた。


 3本目のお酒は琥珀色のお酒。『オージュン』これも甘い香りがした。

 だけど度数がすごく高いので、少量ずつ飲むお酒だと教えてもらう。

 僕が水で薄めたりはしないのかと尋ねたら、味が薄くなるからそれはしないとのこと。

 

 お酒も料理も堪能した僕は結構酔っているアイザを連れて部屋に戻る事にした。

 マイジュさんとエイルさんはまだ飲んでいます。

 3本目のお酒も、ゴクゴク飲んでいます。

 楽しく飲んでいる二人に、僕は何も言えなかったです。


 明日、大丈夫なのだろうか…


 朝9時にロビーで待ち合わせだった僕はアイザと二人で待っていた。

 マイジュさんとエイルさんが遅刻しないで、ロビーにやってきたのを見た僕は、「さすがだな~」と、感心していた。

 『タラス』の街にある傭兵組合で話を聞くのと、服を買うこともあって、朝食は施設が集まっている商業区で食べる事にした。

 宿の再開準備の手を、煩わせない為でもあった。


「朝からの露天風呂も最高でした。」

 僕とアイザは朝7時過ぎから露天風呂に入ってきた。アイザは眠そうにしていたけど、目を覚ますのに丁度良いと誘って一緒に入った。

「朝からお風呂ですか? それは思い付きませんでした。」

 大きなあくびをしたマイジュさんは少し眠そうに話、そのあくびにつられたエイルさんもあくびをしている。

「明日の朝に試してみようかな。」

 エイルさんは眠気を払うように、腕を伸ばしていた。


 ギリギリまで寝ていたのかな?

 まあ、気を許せる間柄には、なっているようだし、これからの旅も気を利かさなくても良いかな。


「それじゃあ、行きますか。」

 ラーシルさんとルレールちゃんの見送りで、僕たちを乗せた馬車は商業区に向かった。

 喫茶店っぽい店で朝食を取り、僕はアイザと二人で服を探しに。

 マイジュさんとエイルさんは、傭兵組合に情報を聞きに行ってもらった。


 宿で着るアイザの服は、ワンピースを数点選ぶことにしていた。

 淡いオレンジ色の、飾らないカジュアルなワンピース。

 少し大人びた黒のドレス風のワンピース。

 真珠色のシルクで、可愛いリボンがアクセントになってるワンピース。

 

 僕が似合うかなって選んだ3点だったけど、アイザが喜んでくれたので全部買いました。

 全部でメイド服1着程度の支払いだったしね。

 金銭感覚がちょっとずれてきているかも、と思いながらも財布の紐は締めないのでした。

 そのあと、自分のカジュアルなスーツを1セットとスーツケース用のカバンを買って、僕とアイザの服を入れて『インベントリ』に収納する。

 持ち運びを気にしなくて良くなったのも、買い物に拍車がかかる要因です。


 そして、僕達は商店街の中心にある広場で、マイジュさん達を待っていた。


 馬車は目的の観光地に向かっています。

 巨大な海老が鍾乳洞にいる理由は、その観光地のすぐ近くに大きな池があり、そこで海老の養殖をしているから、そこから流れたのが原因だという事らしいです。

 傭兵組合で聞いてきた話を客車の中でエイルさんから教えて貰っている。

 そして、組合からの依頼書は『鍾乳洞の巨大海老を買い取る』でした。金額は金貨8枚。

 通常の海老が銀貨1枚から2枚なので、約40倍の値段の買取なんだけど、必ず見つかるものでもなく、鍾乳洞の中から外に出すまでを、やらないとならないので、依頼を受ける人が居なくなった。

 あとその他にも、鋼鉄のような硬さで剣が効かないとか、依頼内容が地味過ぎるとかの理由もあるみたいです。

 まあCランクの依頼で、この面倒臭さですからね。そりゃ、やらなくなるだろう。


 そして、目的地の鍾乳洞にやってきました。

 馬車置き場に馬車を預けて、岩肌に開いた大きな穴に、観光客が歓声を上げながら入って行くのを僕達は眺めている。

「行きは、のんびりと鍾乳洞を観賞しましょう。」


 観光用の通路は全長一kmで、その先200メートルほどの奥に地底湖が広がっている。以前は地底湖の際まで通路があったけど、巨大海老の危険から、今は手前までになっている。

 なので、海老を捕獲出来たら、観賞する余裕は無くなるから、行きに済ませておこうという話です。


 入り口は、棚田のような小さな池が無数に広がっている上を橋で渡る。

 そこから木で出来た通路で洞窟内に入ると、ランタンに照らされた、幻想的な岩肌や鍾乳石が僕の視線を釘付けにした。

 日本にも有名な鍾乳洞があるけど、僕は行ったことが無かったので、比べる事は出来ないけど想像以上の景色に、はしゃいでいた。

「凄いねここ。アイザはどう? 鍾乳洞って、僕は初めてなのだけど。」

 アイザは僕と対象的に静かに見ていた。

「そうね。私が知っている洞窟は、これよりももっと大きいわ。あと、ここには無いけど、光る石とかが生えてて不思議な場所だったかな。人間みたいに観賞しようとか思わなかったし、まあ、あそこはドラゴンの家だから観賞する場所でもなかったからかな。」

 当然、僕とアイザはマイジュさん達から離れている。だから、こんな話が出来るのだけど、アイザが全然興味が無かったのが寂しかった。

「ああ、この非日常的な世界はそっちだと普通の光景なのかぁ…そういや、マイジュさんとエイルさんもあまり楽しそうに見えないけど…二人はなんでだろ?」

 僕は気になったので、二人が追い付くのを待って聞いてみる事にした。


「魔獣の討伐依頼で見慣れていますから。」と、マイジュさんがさらっと答える。

「どっちかって言うと、気持ち悪い景色じゃない?」と、エイルさんが答える。


 えぇ~。テンション上がってたのって僕だけ?

 

「まあ男の子は、そういうものでしょ? はしゃいでいるハルト見てて楽しいわよ。」

 エイルさんが微笑ましいものを見ている目で僕を見ている。

 僕は何も反論することが出来なかった。

「んぅ~! それじゃあ、巨大海老に向かいます。とっとと捕まえて、今日の晩御飯にします。」


 傭兵組合の依頼は買取だったので、依頼は却下です。

 もともと、僕が食べたいから捕獲に来たのだからね。

 マイジュさん達は半分呆れてたので、実際に捕獲するのも僕だけになります。

 こんなことなら、独りで来ても良かったんじゃ?

 実際、走ってきたら5分ほどで着く距離だしな。

 これで、海老が捕れなかったから、ほんと辛過ぎる。


 色々と考えながら歩いていたら、地底湖前に着きました。

 ロープと看板で仕切られた場所を越えて入ります。

『この先は、危険です。入るのは勝手ですが、自己責任です。』

 と、書いてあるとマイジュさんが教えてくれた。

「それじゃ、僕だけで見てきますね。何が起きるか判らないですから。」


 3人に見送られながら、僕はロープを跨いで地底湖の淵まで伸びた橋を進む。

 大きく開けた、その空間は東京ドームくらいはあるんじゃないかと思えるほどだった。

 湖の深さは、測れないほどの深さらしいから、巨大海老が居ても不思議じゃない。

 むしろ、別の何かが居ても不思議じゃない。

 あっ…余計なフラグ立てた?

 なんて考えながら、湖を覗き込むが、なにもなかった。


 透き通った水はどこまで深いところまで見えているのか、吸い込まれそうになる。

 所々で、天井から落ちた水滴が波紋を作っているが、波一つない静かな水面だった。


 魚も居ないみたいだけど、生き物が生きていける環境なのか?

 まあ、目撃情報はあるのだし、取り合えず試しにやってみるかな。


 僕は『インベントリ』から、80cm程度の魚と30メートルほどのロープを取り出した。

 生きた生物は、『インベントリ』に入らないから、死んだ魚を使ってみることにした。

 ロープは商業区で売っていた中で、最長の長さだったので仕方が無いです。


 魚をロープで括って、静かに湖に沈める。

 目視出来るところまでゆっくり沈めることにして、なにか見えたら取られないように引き上げる作戦だった。追いかけてきたら、『ミラージュ・ハンド』で捕まえて、打ち揚げるのです。


 ロープを下ろしてから、数分が経った。ロープの長さは残り3メートルくらい残っているが、これ以上沈めると目視出来ない。

 何も反応が無いので、その位置で上下に動かしてみる。

 その行動を数回繰り返していたら、黒い影のようなものが動いているのが見えた。

 僕は上下に動かしながら、少しずつロープを手繰り上げる。

 影が確実に大きくなっていた。そして一瞬で、その姿を湖の中に現した。

 その姿は昨日見た海老だった。大きさはまだ把握できないけど、確かに海老の姿だった。


 よし! このまま、追いかけて来い。

 僕の手に緊張が伝わる。

 子供頃にしたザリガニ取りを思い出していた。

 桁が違うよな。

 そんなツッコミを自分に入れながら、僕の緊張は最高値になっていた。

 海老の鋏が魚を掴もうとしていたからね。あの鋏で挟まれたら、魚なんて粉々になってしまうだろうし、そうなったらそこで終わってしまう。

 僕は、海老の速さに負けないように、力を込めてロープを巻き上げていく。

 そして、最後は思いっきり持ち上げて、湖の上を飛び上がる魚を演出する。


『バシャーン!』と、小さな音の次に、さらに大きな音を出して飛び上がる巨大海老。

 海老が水面からジャンプするなんて思わなかったけど、こっちの海老だし驚きは無かった。

 海老が魚を掴んだ瞬間、僕は『ミラージュ・ハンド』で海老を掴み、橋の上に叩き落とした。

『ドーン!』と凄い音が洞窟内に響く。

 裏返った海老が体勢を戻そうと暴れ始めたので、僕はインベントリから巨大な石を取り出し、海老の腹の上に置いた。石は宿の裏にあったのを借りてきました。

 生け捕りにするのです。

 重みで動けなくなった海老を釣りで使ったロープで縛っていく。

 さすがに一人では出来ないから、マイジュさんとエイルさんが手伝ってくれている。


 エイルさんが勇者譲りの力でロープを縛っている。

「まさか、インベントリの使い方をこんな風に使うなんてね。ハルトの怪力がなせる業よね。」

 それなら、エイルさんも出来ますね。なんて事を言いたくなったけど、我慢しました。

「武器とか、盾とか、皆さんしないのですか?」

「それはしてると思うわよ。ただ、ただの石を使うっていう発想が無いと思う。」

 

 なるほど。武器は武器、岩は岩。って固定された用途を重視する感じなのかな。

 代用とか応用とかの考え方が、あまりないのかもしれない。


 海老が暴れないように縛り終わったので、僕は重石をインベントリに戻す。

 鍾乳洞の通路には、僕達の騒動を見る人達で、一杯になっていた。


「次は、運搬だけど、この人垣をどうにかしないとか・・・」


 鍾乳洞からの脱出は、マイジュさんが先頭になって道を開けて貰った。

 海老はもちろん、僕の頭の上に乗せる感じで運んでいます。

 はっきりいって、生臭いからね。

 最後尾を歩く僕の姿を、驚きの眼差しで観光客の人達が見ています。

 ライエさんみたいに魔法で身体強化している人は少ないのだろうか?

「エイルさぁ~ん。」


 アイザと並んで少し前を歩くエイルさんに聞いてみた。

「そうよ。ファルザ国民の中でも、3割程度だと聞いてるわ。それも、多くて3倍程度の力なのよ。あと、魔気っていう魔法とは違う力で身体能力を上げる人達がいるみたいだけど、それは私も見たことないわね。」


 だから、こんなに注目されているのか。

 まあ、隠すつもりもないからいいのだけどね。


 鍾乳洞から出たら、噂を早速聞きつけたのだろう。商人らしい人が話しかけてきた。

 当然、直接買い取る交渉だった。もちろん、丁寧に断りました。

 

 馬車に乗り込むアイザに「行ってくるね。」と伝えて、僕はマイジュさんとエイルさんに「よろしくお願いします。」と言って、海老を頭に載せたまま、走りだす。

 人目の付かない所を走りたかったけど、迷子になるから街道が見える場所を走るしかなかった。


 馬車が通る街道の近くを、巨大な海老が飛んでいる。

 そんな馬鹿げた話を、これから見る人は誰かに話すんだろうなぁ~。

 まあ、『タラス』の街中も通過することになるし、大丈夫だろう。

 あと、『イストエトリア』の今日の記念料理にもなるかもだし、全然問題ないよね。


 僕はタラスの商業区を馬車程度の速度で走り、宿に戻った。

 宿の宣伝になると思っての行動だった。

 まだ、時間は14時前。これから宿を探す人達の目に映るかもしれないからね。

 宿名を言って宣伝したかったけど、旦那さんとラーシルさんの許可を貰い忘れたから、それは出来なかった。

 そもそも、持って帰ってくること自体を、言い忘れてました。

 捕獲したとしても、依頼内容通りに渡してくると思っているだろうし。

 というか、この巨大海老を調理出来るのか?


 ちょっと、不安になってきたところで、僕は『イストエトリア』の前に着きました。


「えぇええええええ!」

 庭の手入れをしていた女性従業員さんが、僕の姿をみて悲鳴に近い声をあげていた。

 僕はそれ以上驚かれないように、ゆっくりと宿の敷地に入る。

「こんにちわ~。ラーシルさんか旦那さんを呼んで貰えませんか?」

 固まっている従業員さんに、そう話した時、入り口から旦那さんが出てきました。

「うわ! え?! ハルトさん、捕ってきたのですか?」

「はい。僕が食べてみたくて、持って来ました。それでですね、これを調理してもらえたり出来ませんか?」

 僕は、石畳になっている玄関前に巨大海老を降ろす。

 旦那さんが海老の殻を叩いて確かめていた。

「さすがにこれほど大きいと、殻が段違いに分厚いですね。ですが、料理人の腕を試したくなりますよ。」

 旦那さんの笑みから、調理する意気込みが伝わってきた。

「じゃあ、今日の営業再開の祝い料理にしませんか? 営業再開の宣伝にもなりますし、泊り客に振舞いましょうよ。さすがに僕達だけで、全部食べれないですからね。もちろん、僕からの祝いの品なので、買取とか無しでお願いします。」

「それは、ありがたい申し出です。是非、そうさせてください。」


 それから僕は、巨大海老を裏口から調理場に運び、ラーシルさんと、戻ってきていた両親に感謝されながら、海老の解体作業をルレールちゃんと眺めていた。

「お父さん、凄いね。」

 硬さなんて物ともしない包丁さばきで、巨大な海老をバラバラにしていく。

 包丁っていっても、見た目は刃渡り1メートルくらいの剣なのです。それを、関節に滑り込ませたり、突き刺したりで、迷いなく切り込んでいる。

「うん。パパはすごいのよ。」

 ルレールちゃんの笑顔を見た僕は、次の本題を聞くことにした。

「その巨大海老で、何人分の料理になりますか?」

 ほぼ解体の終わった海老を前に、一息ついている旦那さんは少し考え込んでいる。

「そうですね。調理方法は焼きに、揚げ物。あとは・・・新鮮なので、生も味わって貰いたいので、3品をそれぞれメイン料理にするとして、80人くらいでしょうか。」

 おお~! 3品食べれてその人数あるのか。

「それじゃあ、従業員の人達の分も数に入れて、宿泊者全員に出せるのかな?」

「そうですね。客室数が52名様分で、家族と従業員で10名ですので十分足りますね。」

 余裕です。満室でも結構余るほどでした。

「じゃあ、宣伝してきても良いですか?」


「いえ、もう伝わっているようで、数多くのお客様が受付前に集まってますよ。」

「え?!」 

 仕事に戻っていたラーシルさんが、厨房に戻ってきたところでした。


「どういう訳か、ハルトさんが海老をこの宿に運んだ事が既に商業区などに伝わってまして、巨大海老が今日の料理に出るのかと、お聞きになるお客様が押し寄せている状態です。今で、もう半分の部屋が埋まりました。」


 まあ、そういう意図で商業区を通ってきたのだけど、ここまで反応が早いってどうなのよ。

 海老好きめっちゃ多いな! 人の事は言えないけどね。


 僕はお腹を抱えるほど笑っていた。

「みんな海老すきなんだなぁ~! 海老採れて本当に良かったです。」

 アイザ達には、ちょっと申し訳ない気持ちだったけど、僕はこの宿の、役に立てた事を嬉しく感じていた。

「お兄ちゃんも大好きだよね。」

「うん。そうだね。」

 ルレールちゃんのツッコミに、厨房の中に笑いが広がっていった。


 時間的に1時間経ち、そろそろ戻ってくる時間だったので、僕は外に出て、アイザ達が戻ってくるのを待つことにした。

 宿の外の街道が見渡せる木の上に座り、眺めていると馬車が見えてきた。

 木から飛び降りて馬車を出迎えた僕は、宿の賑わいの経緯を話して、受付をしていたラーシルさんの母親に離れ部屋に戻って寛ぐと伝えた。

 本来ならラーシルさんが若女将さんで、こっちは女将さんなのだろうけど、娘と婿に宿を譲り渡したようで、補助的な仕事をしているみたいです。


「ハルトぉ~、においとれたぁ~?」

 僕は今お風呂で一生懸命、体を石鹸で洗っています。

 海老の生臭さが染み付いていたようです。

 アイザやエイルさんから、指摘された時はちょっとショックでした。

 これでもか! って気合で洗い終わったので、温泉で洗い流す。

「たぶん~。消えたと思う。」

 アイザは先に露天風呂に入っていたので、一度上がってもらって確かめて貰う。

「うん。もう大丈夫。」

 僕はアイザのOKを貰えたので、やっとお風呂に浸かることが出来ました。


 あとは、服の臭いを取るだけです。

 この世界では、クリーニング店なんてものは無いことは聞いていた。

 だけど、僕が着ている執事服やアイザのメイド服などは、販売店が仕立て直しやクリーニング的な手入れをしてくれると服を買った時に聞いていたので、次の街で頼む事にした。


 夕食は、僕とアイザの部屋にマイジュさんとエイルさんが合流する形での食事になりました。

 普段のお弁当タイプの料理に、海老料理が追加で並んでいた。

 海老のステーキに、フリッターのような揚げ物、そして、カルパッチョのようなお刺身。

 海老味噌の団子が入った海老のスープもありました。


「乾杯~!」

 エイルさんが何故か仕切ってます。

 生魚などの臭いは駄目みたいですが、調理された美味しい料理は大好きみたいで、昨日同様のテンションでした。

 当然、お酒も並んでいます。

 今日は、マイジュさんが好きなワインもあります。

 マイジュさんとエイルさんは、ワインを飲みながら、海老の揚げ物やステーキをつまみにしていたけど、僕は海老のスープからいきます。


 臭みなど一切ない濃厚の海老の香りと、口一杯に広がる海老の味が一口目からドーン! と存在感を見せ付ける。

 そして、海老味噌団子を食べる。


「ちょっとハルト、ニヤけ過ぎよ。」

 笑い声が出ていないだけで、完全に笑い顔になっているとアイザが言った。

「いやだって、このスープ凄いから!」

 僕はお酒を飲んでいるマイジュさんとエイルさんにも勧める。


「ほら、そうなるでしょ。」

 3人とも至福の顔を通り超して、笑いそうになっていた。


 ステーキの香ばしい味に、揚げ物も衣まで海老の旨味があり、プリプリの刺身も弾力から甘味からなにもかもが、想像以上だった。

 炭酸のお酒『リーシュ』が気に入った僕はそれをメイン酒にして、料理をほおばる。

 アイザは甘い果実酒『カシュラ』がお気に入りみたいです。

 マイジュさんとエイルさんはワインから始まり、全部のお酒を料理に合わせて飲んでいました。

 さすがお酒好きは違います。

 多すぎる料理だと最初は思っていたけど、最後はお酒のつまみになる料理を追加で頼んでいました。

「朝風呂、忘れないでくださいよ。」

 僕の言葉に、二人のお酒を飲む手が止まりました。

「あ…」

「えっ…」

  

 笑い声が絶えないその日の夕食は、家族と食べているような幸せな時間だった。

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