第1章「ギフテッド」1

 狭い路地を淀みなく歩いていく青年の後ろ姿を見失わないように若根裕輝は早足でその後を追う。青年は人通りのない路地を進んでいく。

 日が暮れた路地には冷たい風が吹き込んでくる。裕輝は思わず肩をすくめて、ポケットに忍ばせていた使い捨てカイロを取り出すとそれを手で揉んで暖をとる。

 ふと前を歩く青年の足元に目が止まった。真冬だというのに彼はボロボロのサンダルを履いている。おまけに穴の空いた靴下もセットで。なぜ、そんなにも寒そうな履物をチョイスしたのかとても気になったが、この状況で前を歩く青年に「なんでサンダルを履いてるんですか?」と気軽に質問する度胸を裕輝は持ち合わせていなかった。

 五分ほど歩いたところで青年は小さなバーの前で足を止めた。「avaritia《アワリティア》」という看板が掲げられている。それがこのバーの名前なのだろう。小洒落た木製のドアには「クローズ」の札がかかっていたが、青年はそんなものお構いなしにドアを開けた。カランとドアに付いたベルが小気味いい音を立てる。

 青年の後に続いて裕輝も店内に入った。バーに入ったのは初めてだったが、中は想像の域を出ない造りで特筆すべき箇所はない。カウンターがあり、いくつかのテーブル席がある。ごくごく一般的なバーだと思われる。ドアにかかった「クローズ」の札が示す通り開店前らしく、イスは全てテーブルの上に重ねられていた。店内には客の姿は勿論のこと従業員の姿も見えない。

 青年は担いでいた男をカウンターの上に乗っけると「寒い寒い」と言いながら床に置いてあるストーブのスイッチを入れる。

「そんな所に突っ立ってないで、こっちに来たらどうだ。寒いだろ」

「はい」

 青年に言われて裕輝はストーブの前まで行く。裕輝は暖をとりながら改めて隣に立つ青年を見る。身長が高く肩幅も広いガッチリとした体躯を持っており、ちょっと強面だ。着ている学ランはサイズが合っていないのか裾も袖も短かった。そして何よりボロボロだ。この格好で学校に行ったら間違いなく周囲から浮くだろう。もしかして金銭的余裕がなくてこのような格好をしているのではないかと、裕輝は自分の来ている学ランと見比べて思った。

 しばらくストーブの前にイスを並べて無言で暖をとっていた。裕輝はストーブの中で燃え盛る火を眺めていた。青年は男が持っていたカバンを物色していた。

「勝手に店のものを使わんで欲しいの」

 カウンターの奥から声がした。グラスを拭きながら現れたのは、口元にヒゲを蓄えて眼鏡をかけた還暦は迎えているであろうお爺さんだ。

「ケチ臭いこと言うなよ、ジジイ。心が貧しくなるぞ」

「お前さんにだけは言われたくないわ」

 青年は男のカバンに入っていた財布からお札を抜き取って、それを自分のポケットにねじ込んだ。

「欲深じゃな」

「アンタにだけは言われたくない」

 老人はグラスをカウンターの上に置くと「手数料」とだけ言った。青年は舌打ちすると抜き取ったお札をグラスの中に押し込んだ。お札がねじ込まれたグラスは老人の手によって酒瓶が並ぶ棚へ移された。

 青年はタバコを取り出して口に咥えた。そして右手を鳴らすとタバコの先端で小さく火が燃え上がった。そのまま紫煙をくゆらせる。老人は灰皿を取り出して青年の前に置く。裕輝は驚きを持ってその光景を見ていた。

(この人、ライターもマッチも使わずに火を起こした。てことは、さっきの爆発もこの人が)

 裕輝は十分ほど前の光景を思い返す。青年は確かに今と同じように指を鳴らしていた。そしてその直後に爆発が起こった。この青年が爆発を起こした張本人だと考えて間違いなさそうだ。

 裕輝が青年に驚愕の眼差しを向けている一方で、老人は裕輝を見ていた。そして、おもむろに口を開く。

「して、そちら様は?」

「そこの悪魔に襲われていたから小遣い稼ぎのついでに助けたんだ。お前、名前は?」

「若根裕輝です」

 裕輝は二人に向かって頭を下げた。

「わしはこの店のマスターをしておる。よろしくな」

 老人が差し出した手を裕輝は慌てて握った。

「俺は五味隼人ごみ はやと。よろしく」

 隼人と名乗った青年はタバコを持った手を軽く上げた。裕輝はそれに会釈で答える。

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