第三話

(わたしは呪われてるのかも知れない……)

 その日の夜。リリィは自分のベッドに腰掛け、髪の毛にブラシを当てながらぼんやりと思った。

(まさか、こんなことになるなんて……)

 布団に足を入れ、キキを抱き寄せる。キキは素直にリリィの隣に入ると、ゴロゴロと喉を鳴らし始めた。


 ダベンポートが出した条件は、リリィが出演する際には必ず自分も客席に入れること。いかなる理由にも関わらず、同席できない場合にはリリィの出演は許容しない。

 それに対して老人が出した条件は以下だった。リリィの出演料に関しては双方承諾の上で最大の金額とする。但し、黒猫とのデュエットを許されたい。

 ブラウン老人は散策の帰りにリリィとキキが合唱しているところを聞いていたらしい。猫と女優のデュエット。確かにそれは話題になる。

 しかも舞台にはレーヴァも居て、さらにはオーケストラピットに控えるソプラノ歌手も加わるのだ。これがハーモニーを奏でれば話題にならない訳がない。

「いいでしょう」

 最終的にダベンポートは頷いた。

「但し、最初の条件、僕が同席できない場合には出演しないは絶対に守って頂きますよ」


(でも、旦那様はなぜ、こんなことをわたしに……)

 布団の中でリリィは静かに泣いていた。

(いつもはこんな意地悪、なさらないのに……)

 何か気に障るようなことをした覚えはない。

 ひょっとして、黙ってお散歩に行ったことを咎めていらっしゃるんだろうか?

(旦那様、なぜ?)

 考えがぐるぐるする。

 外でフクロウが鳴いている。今日はその鳴き声がリリィを慰めているように聞こえた。

…………


 いつの間にかに寝てしまったらしい。

 朝起きた時、リリィの目はまだ赤かった。

(あとで旦那様に聞いてみよう)

 旦那様を信じない訳ではない。でも、こういうことはちゃんと確かめておかないといけない気がする。

 リリィはバシャバシャと何度も洗って泣き腫らした顔をスッキリさせると、朝の支度に取りかかった。


 いつもの掃除。いつもの朝食。だが、リリィの気分は浮かなかった。

「ふむ、何か気にかかっていることがあるのかい?」

 ダベンポートはミューズリーをすくう手を休めると、リリィの方を振り向いた。

 いきなり図星を突かれて思わずドギマギする。

「い、いえ、でも、あの、……はい」

 ダベンポートの背後でリリィがもじもじと身をよじる。

「あの、なぜ旦那様はあんな意地悪を……」

「意地悪?」

「わたし、大勢の人の前になんて行きたくないのに……」

「ああ、昨日のブラウンさんの話か」

 ダベンポートは身体を少しずらすと、リリィの方を向いた。

「安心したまえ。リリィを一人では行かせないから」

 そう言いながらニッコリと笑う。

「でも……」

「リリィ、君も少しは蓄財が欲しいだろう? これはちょっとしたチャンスだと思うのさ。ブラウンさんはいくらでも払うと言ってくださる。ならば頂こうじゃないか」

「それってどういう……」

「むろん、僕が生きているうちはリリィのことはちゃんと僕が面倒を見る。だけど、いつ死んでしまうか判らないからね。この前のカーラ女史のことでちょっと思ったんだ。僕がいなくてもリリィが生きていけるだけのことをしておかなければいけないってね」

「旦那様が死んだらわたし困ります!」

 びっくりしてリリィは目を大きく見張った。

「ははは、そりゃ僕だって死にたくはないさ」

 ダベンポートは笑った。

「だがね、長く仕えた主人を失ったメイドが不幸な目に遭う姿も僕は何度も見ているんだ。リリィにはそういう思いはさせたくなくてね。大丈夫、怖い思いはさせないから」


(よかった。旦那様はわたしに意地悪をした訳ではなかったんだ)

 ダベンポートが登院した後、リリィはダイニングの椅子に座って少しぼうっとしていた。

(旦那様はわたしのことを思って、あんなことを言ってくださったんだ)

「ニャア?」

 トタトタとキキが歩いてくる。リリィはキキの柔らかい身体をすくいあげると膝に乗せた。

「でも、どうしようかキキ」

 困ってリリィはキキに話しかけた。

「ステージで歌うのって、すごく怖いの」


+ + +


『リリィー、ちょっと来れるかな?』

 夕食の後、地下のキッチンでお鍋のを落とそうと悪戦苦闘していたリリィはダベンポートの書斎から呼ばれたことに気がついた。

 お鍋をシンクに残したまま、手を拭ってすぐに階上の書斎に上がる。

「はい、旦那様」

 礼儀正しく四回ノック。

 リリィは中からダベンポートに招かれ、書斎の中に入った。

「なんでしょう、旦那様?」

 まだ夜のお茶の時間には早い。

「ああリリィ、ちょっとこれを見て欲しいんだ」

 ダベンポートは椅子を回すと、入り口のリリィの方を向いた。

 手には何やら大きな赤いブローチのようなものが乗せられている。

「どうだい? これならリリィの服にも似合うと思うんだが……」

 ダベンポートはそのブローチをリリィに差し出した。

 真ん中に大きな赤い石、その下には布のリボンがつけられている。首元につけるとちょうどいい感じだ。

「素敵です」

 リリィは笑顔を見せた。

「つけてごらん? これはリリィにあげよう。僕が作った特別製だ」

 ダベンポートは手を振って促した。

「……はい」

 ブローチの後ろ側には大きなピンがつけられていた。それを使って首元にブローチをとめる。

「こ、こんな感じでしょうか?」

 ちょっと恥ずかしくなって頰を赤らめながらリリィはダベンポートに言った。

《ああ、いいね、よく似合う》

「!」

 不意にダベンポートの声が耳元からしたような気がして、リリィはビクッと身を強張らせた。

《ハハハ、ちゃんと働いているようだな》

 見ると、ダベンポートは同じ色の小さな四角い石に話しかけていた。

《これは僕の最新の研究結果だよ。空中に漂うマナを媒介にして音声を伝達するんだ。これがあれば舞台に登っても怖くはないはずだ》

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