第二話

「驚かせてしまったかな。わしだよ。ブラウン・カンパニーのブラウンじゃ」

 ブラウン老人は帽子を脱ぐと立ち上がった。

「ブラウンさん? ど、どうしてここが?」

 思わず聞き返す。

「なに、お嬢さんは自分が『魔法院のハウスメイド』だって名乗ったじゃないか。それでわしもな、少々調べたんじゃよ。あなたの髪はとても綺麗だ。すぐに誰のメイドかは判ったよ」

 ブラウン老人はニッコリ笑うとお尻を払った。

「さて、わしはお嬢さんのご主人様と相談がしたいんだが、まだご在宅ではないようだね」

「……旦那様はまだ帰ってこないと思います」

 リリィはおずおずと答えた。

「ならば、待たせてもらおうか。リリィさんや、申し訳ないけど中に入れてはくれまいか。そろそろ冷えてきた。冷えは老骨には堪えるのだよ」


 仕方がないのでリリィはブラウン老人を玄関口の応接間に通すとお茶を出した。

 これ以上奥に入れていいのかどうかは旦那様と相談しないといけない。

「やあ、これはいいお茶だなあ」

 お茶をひと啜りし、ブラウン老人がため息を漏らす。

「これは王国のお茶です」

 リリィは前においたティーポットにティーコゼー(お茶が冷めないようにティーポットに被せる保温用のカバー)を被せるとブラウン老人に言った。

 王国のお茶。要するに一番安いお茶という意味だ。

「うむ、淹れ方が良いんじゃろうな」

 ブラウン老人は砂糖をひと匙、牛乳も少し加えるとティースプーンで混ぜてもう一度お茶を飲んだ。

「ああ、うまい」

 だが、リリィは気が気でない。

 旦那様の知らない人を家に上げてしまった。後で叱られないだろうか?

「リリィさん、」

 そんなリリィの様子を見てブラウン老人は微笑みを浮かべた。

「お嬢さんの旦那様にはわしからちゃんと話すよ。そんなに心配しないでしておくれ」


 ダベンポートは六時すぎに帰ってきた。

 カラン、カラン……

 いつものようにドアベルが鳴る。

「ただいま、リリィ」

 ダベンポートは自らコートを脱ぎながらドアをくぐった。

「お帰りなさいませ、旦那様」

 慌てて駆け寄り、魔法院のインバネスコートを受け取る。

「……どうしたんだい、リリィ?」

 ただならぬリリィの表情にダベンポートが怪訝そうが顔をする。

「実は、お客様がいらっしゃっているんです」

 リリィは丁寧にブラシをかけてからコートをコート掛けに下げると、申し訳なさそうに頭を下げた。


+ + +


「ははあ、先日のリリィが歌をうたったのはブラウンさんの舞台でしたか!」

 夕食の後、リビングでダベンポートはブラウン老人の言葉に両手を広げた。

 ダベンポートはブラウン老人を暖かく迎えると、辞去するブラウン老人に夕食まで振舞っていた。

 今晩はビーフシチューのようです。リリィのシチューは絶品ですよ。これを逃す手はないでしょう。


 裏がありそうな相手に対してダベンポートが『酒蒸し』の手を使うことをリリィは十分に理解していた。『酒蒸し』、要するに多量に酒を飲ませ必要のないことまで喋らせてしまうダベンポートの手口だ。

 だから、夕食の時もリリィは率先してブラウン老人にワインのお酌をした。

 なぜ急にブラウン老人が訪ねてきたのか? それは不安と同時にリリィの疑問でもあった。

 ならばここはの旦那様の尋問に任せてしまった方がいい。下手に取り繕うとかえって面倒なことになりそうな気がする。

 案の定、ブラウン老人は簡単に口を割った。

「うちとしてもリリィさんのようなスターをもう一人欲しいと思っていたんですよ」

 とブラウン老人は身を乗り出した。

「そこで、どうしたものかと思っていたんじゃが、それであれば本人を説得する前に雇用主を説得してしまったらどうかと考えた次第……」

「…………」

 リリィはダベンポートに言われて隣のソファに座っていた。居心地の悪いことおびただしい。

「ははあ」

 ダベンポートは笑みを浮かべた。

「つまり、ブラウンさん、あなたはリリィをスカウトしにいらっしゃったと、そうおっしゃる訳ですな」

「まあ、身も蓋もない言い方をすればその通り」

「ま、ダメですな」

 ダベンポートはソファの背に身を預けた。

「うちも小さな所帯だ。リリィが居なくなったら僕が死ぬ。それは到底飲めません」

「は、ハハ」

 にべも無いダベンポートの返答にブラウン老人が身を小さくする。

(良かった)

 内心リリィは胸を撫で下していた。

(やっぱり旦那様はわたしのことを判って下さってる)

 だが、次のダベンポートの言葉にリリィは耳を疑った。

「とは言え、僕も鬼じゃない。条件次第ではリリィをそちらに行かせることはやぶさかではありませんよ」


 え?


 たまにも何も、わたしは絶対行きたくない!

「え?」

 驚愕に目を見開いたリリィは思わずダベンポートの顔を見上げた。

「条件ですよ、ブラウンさん。何事も条件です」

 涼しい顔でダベンポートは言葉を続けた。

「なるほど?」

 何がなるほどなのか判らないが、ブラウン老人がニンマリと笑う。

「むろん、リリィさんはお宅にお住いのままで構わない。いつもはメイドとして働いてもらって結構。だが、舞台があるときはうちのテントに来て頂きたい。むろん、馬車は用意します。それくらいはしても惜しくない逸材だ」

 気がつかないうちに、どうやらリリィはダベンポートとブラウン老人との駆け引きのチップにされてしまったようだった。

(えー、なぜ?)

「それほどまでにリリィに歌わせたい、と?」

「もちろんです。リリィさんは王国随一の逸材だ」

 明らかにブラウン老人は酔っ払っている。

「ならば、その条件では不十分ですな」

 とダベンポートは人指し指を立てた。

「まず、出演料。これに関してはこちらの言い値でお願いしたい。もう一つ。リリィが出演する際には必ず僕が客席にいること。これが条件です」

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