第13話 宣誓


 そして、時は流れ。



 ……十年後。



「大尉殿、結局その女性とはどうなったのでありますか?」


  

「あぁ、その後何回か電話で話はしたんだけどね、一度も会っては貰えなかったなぁ」



 どこまでも続く大海原。


 ただ、普段見慣れた水平線とは何か少し違う。


 なぜだろう、空と海との境界がとても曖昧な感じがするんだ。


 この海域の特性なのかもしれないな。


 近隣の国名を冠したこの海は、その国の特徴までをも受け継いでいるんだろうか。



「それでは恋人Loverとは呼べませんね、大尉殿」



 こいつ……年下のくせにいつも一言多い。



「いやいや、今でも俺の恋人Loverだよ。まぁ、向こうがどう思っているのかは知らんがね」



 艦尾外周に設けられたキャットウォーク。


 ここが俺の唯一の憩いの場所だ。


 艦上の生活は何かと大変……と言うイメージを持つ人も多いだろう。


 もちろん、ひとたび戦闘配備レベル1状態にでもなれば、各区画は完全に閉鎖され、全ての行動が制限されるのは当たり前の事。


 ただ、通常の航海中である哨戒配備レベル4であれば、一日三交代、途中の休憩時間などを含めると、かなり自由な時間も多い。


 俺は暇が出来るたび、ここに来て水平線を眺めているのが大好きだった。


 ……コイツが来るまでは。



「大尉殿。そんな事を言っているから彼女の一人も出来ないのでありますよ」



「うるさいなぁ。俺は一人が好きなのっ」



「大尉殿、嘘はいけませんよ嘘は。人間、嘘をつくと幸運Luckが逃げると言いますからね。だから大尉殿はいつも辛気臭しんきくさい顔になっているのだと思います」



「はぁぁ……嫌な事を言うなぁ少尉は。言っておくが、俺はもともと正直者だし、お前が思うほど不幸でも無いからな」



 確かにこの航海ミッションがスタートしてから、気が滅入る事が多いのは事実だ。


 なにしろ、この海を取り巻く近隣諸国の政治情勢悪化に伴い、公式に第七艦隊我が艦隊がこの海域へと派遣される事になったのである。


 全世界の注目が集まる中、公海上をゆっくりと北上する巨大空母スーパーキャリア


 恐らく各国から派遣された潜水艦たちも静かに身を潜め、俺達の動向を見つめているに違いない。


 しかし、このグローバル化が進んだ現代において、政治的な問題を軍事力で解決しようなどとは、ナンセンスの一言に尽きる。


 元々平和主義者の俺としては、この様な示威行動は本意では無いのだ。


 場合によっては軍事的緊張を一気に加速させてしまう事にもなりかねないのだから。


 それは、辛気臭い顔にもなろうと言うものである。



 戦争は……したくない。


 それならば、なぜ俺は軍に入隊したのか?


 話は至って簡単だ。


 俺の希望する研究が、好きなだけ出来る。……国の金で。


 ただそれだけ。


 思い起こせば十年前、残念ながら金の工面が出来ず、大学への進学を諦め、更に一年の浪人を覚悟していた頃。


 突然、SAEKIホールディングスと言う投資会社から連絡をもらったんだ。


 確か、担当となった大谷と言う男は、新たにいくつかの投資ファンドを計画していたらしく、その中に学生支援の為のプログラムも用意されているとの事。


 資産担保に保証人、一切不要。


 唯一の関門は、SAEKIホールディングスの社長との面談のみ。


 しかも、返済金利は驚くほど低い。


 本当にそんな上手い話があるものだろうか? これは投資では無く単なる慈善事業ボランティアじゃないのか?……いやいや、新手の詐欺か?


 ただ、喉から手が出るほどに金が欲しかった俺は、いっそ騙されたと思って社長の面談へと向かったんだ。


 都内にある超高層ビルのワンフロア。


 今でも思い出す。


 窓から望む煌びやかな東京の街並みを背景に、大きなテーブルに腰掛ける一人の


 彼女は俺と会うなりこう言ったんだ。



「いくら欲しいんだい? 金なら出してやるよ」



 革張りの大きな椅子に腰かける彼女。


 まだ若そうに見えるのだが、ハスキーで、かつ落ち着いたその声音は、数々の経験を積んで来た人物である事を如実に物語っていた。



「返済も気にしなくて良い。ただ、ウチも商売だ。アンタが出世して、年に百万ドルも稼げる様になったら、倍返しにしてもらおうか。どうだい、乗るかい? 乗るんだったら、いますぐ私の手を握りな。疑うんだったらそれでも構わない、そのまま後ろのドアから帰ってくれ。さぁ、どうする?」



 全てを見透かす様な彼女の鋭い目。


 この女性に嘘はない。この女性は本気だ。


 俺はその場で、彼女の手を握ったんだ。


 そんな社長彼女のおかげで、俺は無事大学へ入学する事に。


 そこは世界最高峰の工科大学。


 俺は元々やりたかった人工知能AIの研究に没頭したのさ。


 そして、更なる研究を行う為、博士課程に進むつもりだった俺に、一本の電話が。


 当時、世界最高と言われたスーパーコンピュータは、この国に三台あった。


 一台は自分の大学。もう一台は世界的証券会社で使用されていた。


 そして、最後の一台は、国防省に。


 破格の待遇が提示された事は言うまでも無いし、隠すつもりも無い。


 ただそれ以上に、論理的に突き詰めた自身の研究を形にしてみたい……と言う欲求に駆られたと言うのが、偽らざる自分の気持ちだったんだ。


 そして、いつもは軍の研究施設に閉じこもっている俺だけど、ようやく完成した新システムの評価も兼ねて、この作戦ミッションに参加する事になった……と言うのが今の現状だ。



「まぁ確かに、私と出会った事自体幸運Luckと言えますものね。良かったですね、大尉殿。大尉殿は幸せ者であります」



「いやいや……それが不幸の始まりだよ……」



「何か言いましたか?」



「いや、別に……」



 この少尉は、俺の平穏をいつも邪魔してくる。


 確か、航空隊に所属するルーキーだったはず。


 ルーキーで、原子力空母の艦載機乗りに抜擢されるとは。


 見かけによらず、腕は良いのだろう。



「それじゃあ、そんな正直者のくせに、一人で世界中の不幸を背負い込もうとしている大尉殿に朗報であります」



「なんだよ、朗報って」



「はい、わたくし、ジェニファー・クロフォード少尉が、神様に代わって大尉殿の願いを一つだけ叶えて差し上げます」



「へぇぇ。それは凄いね。本当に?」



 明るめのブラウンの髪に、非常に珍しいグリーンアイを持つ


 先日聞いた話では、本来の髪の色は赤み掛かった黒だとの事なのだが、その髪色が嫌で、時々染めているらしい。


 うぅぅん、俺としては、そっちの方が好みなのだが……まぁ、どうでも良いか。



「えぇ、お任せ下さい。本当です。それでは大尉、まずは私の目を見て下さい」



「はいはい。目を見ましたよ」



 グリーンガーネットに輝く彼女の瞳。


 確か、グリーンアイは全人口の二パーセントしかいないと聞いた事がある。


 とにかく珍しいし、綺麗な事は間違いない。



「それでは、次に私の両手を握って下さい」



「はい、はい。両手を握れば良いのね」



 彼女の瞳を見つめたまま、そっとその手を握りしめてみる。



「あぁんっ!」



「……やめたっ!」



 その声を聞いた途端、俺は彼女の両手を放り投げてしまう。



「あぁ、嘘ウソ、ちょっとだったんで、ついつい、声が漏れてしまっただけであります。今のは嘘です。訂正しますっ!」



「なんだよぉ、嘘はつかないんじゃなかったのかよぉ」



「あぁ、はい、嘘がウソです。あれ? いやいや、嘘では無く冗談ジョークであります。小官は冗談ジョークは言いますが、嘘はつきません!」



「……」



「大尉殿、早くっ、手、手っ!」



 彼女はそう言うと、無理やり俺の手を取ったのさ。



「はぁぁ……。はい、手を握ったよ。それでどうすれば良い?」



「それでは、私の言う事を復唱願います」



 にっこりと微笑む彼女。



「はいはい」



「それでは行きますよ。私、コーヘー・ヨシダは、神に誓って嘘は申しません」



「私、コーヘー・ヨシダは、神に誓って嘘は言いません」



「私、コーヘー・ヨシダは……」



「私、コーヘー・ヨシダは……」



「とっても素直で可愛い、彼女が欲しいですっ!」



「とても素直で可愛い……彼女が……欲しい……で……すぅ?」



 この娘、どさくさに紛れて、俺に何をさせる気だ?



「えへへ、そうですか、仕方がありませんね。それではそんな正直者である大尉殿の願いを、早速私が叶えて差し上げましょう!」



 そして、ゆっくりと瞳を閉じる彼女。



 ――プルルルル



「はい、コーヘーです……はい、……はい。わかりました、直ぐにTFCC打撃群司令部指揮所に参ります」



「少尉、悪いな呼び出しだ。神様ごっこは、また今度な」



「あっ、あぁぁん……もぉぉ」



 俺は恨めしそうに見送る彼女をその場に残し、急ぎ艦内へと戻って行ったんだ。

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