㊻【カルトナージュとミッドナイトレディオ】
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黒い歴史の詰まったパンドラの箱に『希望』なんてものは残っていない。
残っているものがあるとすれば、それは『絶望』である。
――小森
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198×年【FMアッキーミッドナイトレディオ】
『こんばんは。3月9日土曜日、今日も眠れない恋人たちに楽しいおしゃべりと音楽をお届けするFMアッキーミッドナイトレディオ。お相手は、いつもあなたのそばにDJアッキーです。さて、今日はみなさん、どんな一日でしたか? 僕はですね、そうだなぁ、部活帰りに買い物頼まれたんですけど、卵買って帰ったらどういうわけだか全部割れてました、ハハハ。おっちょこちょいなんですよ、基本。でもまぁこればっかりは治らないですね。ということで、最初にお届けするナンバーはみなさんに愛情をとどけるこの一曲、あれ? ないな、テープしまっといたはずなんだけど。やっぱりおっちょこちょいだな。あ、あった! それではお聞きください、僕のオリジナルナンバーで『君だけの世界でボクは幸せにたたずむ』、ちょっとタイトルから恥ずかしいかもハハハ……』
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20××年【小森家にて】
その日、私こと小森良明は押し入れの片づけに取り組んでいた。
というのも娘のサクヤがとうとう自分の部屋が欲しいと言い出したからだ。まぁそろそろ言い出すかなとは思っていた。マンション暮らしではあるが、四畳半の部屋が一つある。倉庫のように使っていたので、物であふれかえっており、この際だから押し入れに詰め込んである物を断捨離しようということになったのだ。
そして禁断の押し入れのふすまを開けた時、雪崩を起こして崩れてきたのは大量の空き箱だった。
「ねぇ、三奈ちゃん、この箱、全部いるの?」
ちなみに三奈とは私の妻である。元々ご近所に住んでいた幼馴染同士で結婚して、もう7年になる。子供のころからの付き合いを含めれば20年以上になる。ちなみに結構サバサバしたドライな性格である、基本的には。
その妻は足元に散らばった空き箱の中心にぺたんと座り選別をはじめる。と、娘のサクヤもそこに加わり、これまでに貯めに貯めた空き箱を珍しそうに眺めはじめた。
「ママ、この箱、すっごくきれいだよ?」
「わぁ懐かしい! これ、修学旅行で買ってきたお菓子が入っててね、どうしても捨てられなかったのよ。もう少しとっとこうかな」
「この箱はがっちりしてるね、なんか入れられそう」
「あー、これねぇ。バッグが入ってたの、デパートで買って超高かったんだぁ。これはとっとこ」
「パパに買ってもらったの?」
「まさか! ママがまだ働いているときにボーナスで買ったの」
「これ、スマホの箱だ!」
「これも丈夫で、なんか綺麗だから捨てられないんだよね」
「この青いのは食器の箱だね、これもすっごくかっこいい!」
「でしょ。これも高かったんだよね」
なんて箱を眺めては楽しそうに思い出話に花を咲かせている。娘と母と仲良さそうにしているのはいいんだけど、ちっとも片付けが進んでないのは明らかだ。そして要るものと捨てるものに選別はしているが、圧倒的にとっておく箱が多い! 妻は基本的にドライなのだが、この空き箱を取っておく行為に関しては例外のようだ。
「この箱も大きくて丈夫そう」
「あったあった。これはブーツが入ってた箱。これはさすがに要らないかな?」
「でもこの大きさだとなにかに使えそうだよ? とっといたら?」
妻の三奈がちらっとこっちの様子をうかがう。どうやら片付けが進んでいない自覚はあるようだ。もちろん却下、捨てるに決まってる。
「やっぱり捨てたほうがいいんじゃない? 場所も取るし」
「だったらあたしがもらう! これでカルトナージュ作る!」
そう言ったのはもちろんサクヤだ。
「え? なに、カルトナージュって?」
と、つぶやいたのだが、それは三奈の歓声にかき消された。
「それだ! サクヤよく覚えてたね」
「うん。昔ママと作ったことあったよね、あれ楽しかった!」
とさっそく二人で盛り上がっている。
「そのカルトナージュってなに?」
わたしの疑問に答えてくれたのはサクヤだ。
「箱に布を貼っておしゃれにするの」
説明はそれだけ。しかたない、ここはグーグル先生に……先生によればフランスの伝統工芸だそうだが、とにかく箱にボンドで布を貼りつけて飾り付けていく、というものだそうだ。綿を詰めてフカフカにしたり、レースで飾り付けをしたり、たしかに完成品はまるで別物だ。同じ箱とは思えないほどに。
ただ……形を変えるだけで箱そのものは減らない気がする。
しかし、楽しく盛り上がっている女性たちに水を差す行為だけは絶対にやってはいけない。私は義父である北乃さんからそう教わっていた。ここはもう自由にやっていただくしかないのだろう。
ちらりと二人を見ると、取り出した箱は大きさ別にきれいに積み上げられていた。もちろん数は減ってない。
どうやら私がここにいる意味はなさそうだ。
そう思ってこの場を去ろうとした時だった。
「ママ、これなに? なんか入ってるけど」
と箱をふりながら娘のサクヤ。箱の中で何かがカチャカチャと音を立てている。
なにかプラスチック同士が当たっているような音だ。
「あー、アレここにしまってたんだ」
と、三奈。サクヤから箱を受け取る。20センチ四方くらいのピンク色の紙箱だ。その蓋を大事そうにそっと開く。
「ねぇ、なにが入ってるの? これカセットテープってやつ?」
「これ? 『FMアッキーミッドナイトレディオ』のテープなの」
ご丁寧に三奈はわたしにそのカセットテープの一つを見せてくれる。なつかしいTDKのカセットテープ、しかもちょっと高いクローム。そしてラベルにはマジックで書いた手書きの文字……。
なにか黒いものが胸を貫いた。なんか息苦しい。心臓が痛い。変な汗が流れてくる。多感だった私の中学生時代。純粋な感情が変な方向にねじ曲がっていた暗黒時代。どうしてあんなことしてたんだろう? かつての自分が理解できない。むしろ𠮟責してやりたい、考え直せ、バカなことはやめるんだ、と。
「ママ、ラジオ番組なんか聞いてたんだ」
「うん。ちょっと特別なラジオでね、毎週カセットテープで届くのよ。それ編集してとっといたんだよね」
ああ、やめてほしい。今からでもその箱を閉じてほしい。それはいわば『パンドラの箱』。少なくとも私に災いをもらたすものが詰まっている。
が……私はそのパンドラの箱の中に小さな希望をみつけた。
ああ、神話は間違っていなかった!
「カセットテープかぁ、懐かしいね。でもカセットテープを再生できるデッキってもうないんだよね、この際だから捨てちゃったら?」
つとめて平静を装い、さりげなく伝える。
「あ。それなら大丈夫。ちゃんとウォークマンも封印しといたの。電池で動くやつ」
ニッとわらって三奈が告げる。
準備万端かいっ!
勢いよく心の中で突っ込みを入れたが、変な汗は止まらない。この羞恥心はいったい何なんだろう? 自分でもよく分からないが、恥ずかしいものは恥ずかしい!
「……あ、でも電池がないなぁ」
「電池ならあるよ?」とサクヤ。
あるんかいっ!
もうダメだ。箱は開けられてしまったのだ。
だが……三奈はそっとカセットテープを箱に戻した。
「ううん、いいの。このラジオ放送はあたしだけの特別な番組なの。だからまた大事にしまっておくの。ね、いいでしょ、アッキー?」
私にはうなずくことしかできなかった。
もう、いいかげん捨ててください。
おわり
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