幕間 ~カノーさんと脱走計画~

「内見の話、どうやらデッパはお気に召さなかったらしいな」

 と言ったのはカノーさん。その両手に大きな葡萄の粒を抱えている。


「なんかキャラクターが弱いって。意外とちゃんと見てる」

 そう答えたのは私。


 前回のお題で書き上げた短編は不合格を言い渡された。そういうわけで、労働免除はなくなり、こうして葡萄の収穫労働に回されたというわけだ。


「そうかな? オレはけっこう楽しめたぜ」

 カノーさんが大きな粒を両手に抱えて走り出す。その隣で私も葡萄を二粒抱えて並走する。

「ありがとう。そういってもらえてうれしいよ」

 なんとか言葉を絞り出すが、もう体は限界だ。もともとこの手の労働に向いていないのだ。走るたびに肺が痛くてしょうがない。

 それに比べてカノーさんはまだ余裕があるようだ。鍛え上げた肉体が汗でキラキラと輝いている。ただ睡眠不足だけはどうしようもないようで、目の下にはくっきりとクマが浮かんでいる。


「はぁはぁ……だめだ。カノーさん、先に行ってくれ……」

 もうこれ以上は走れない。体が先に音を上げる。


「誰が休んでいいといった?」

 不意に背後から聞こえる声。冷たさの中に面白がるような響きがある。

 一番見つかりたくない奴に見つかってしまった……

「すみません、バルバラ様……」


 バルバラ監督はこの農場の管理責任者の女性である。かつてのドロンジョ様を思わせるコスチュームに身を包み、その手にはイバラを模した鞭を常に携えている。赤いアイマスクで素顔を隠した謎めいた存在。


「今は休憩時間か?」

 バルバラがその手首をわずかに動かしただけで、鞭の先端がピシリと私の頬を裂いた。とろりと血が流れだしたのが分かる。

「いえ、違います……すぐに、運びます……」

 走り出そうとしたが、足がもつれて転んでしまう。当然、抱えていた葡萄が手から転げ落ち、それは弾みながらバルバラの足元に転がった。


「あ」

「貴様、デッパ様の大切な葡萄をよくも!」

 バルバラが大きく手を振り上げ、その鞭の先端が……思わず顔をそむけたが、痛みも衝撃もやってこない。

「このっ、このっ、このっ!」

 バルバラが何度も鞭を振り下ろす。だがその鞭が打ち据えていたのはカノーさんの背中だった。カノーさんはわたしをかばうように両手を広げ、その背中ですべての鞭を受け止めていた。


「カ、カノーさん!」

「なに、オマエのためじゃねぇよ。オレはこういうのに慣れてんだ。むしろオレにとっちゃご褒美さ」

 カノーさんはかっこよくそういって片目をつぶって見せた。


 と、その時だった。

 農場にサイレンが鳴り響き、同時にフランク・デッパの声が流れ出した。


『今日の労働は残念ながらコレまでだ。それから次のお題を発表する。次のお題は【箱】、ボックスだ。労働を休みたいものは面白い作品を仕上げて来い。書けない者は労働だ!』


「どうやら命拾いしたようだな」

 バルバラはクルクルと鞭を巻き上げると背を向けて歩き去った。


「カノーさん、大丈夫ですか?」

「まぁな。それより関川サン、ここを逃げ出す気はないか?」

「え?」

「オレはここの生活にはうんざりだ。オレはこの農場を逃げ出すぜ。決行は一週間後だ。その気があるなら明日までに返事をくれ」


 カノーさんはそういって宿舎へと戻っていった。


 脱走か……もう選択肢はなさそうだ。このままこの農場シャトー・マサキにいても、過労死するのは目に見えている。


 とはいえ、まずはお題小説をクリアしよう。

 箱。例によってさっぱりアイデアはわいてこない。ただこの農場自体が一つの箱と言えなくもない。どうやってこの箱から抜け出すのか。ちらりと農場に据えられたスピーカーを見上げる。たまにはラジオか音楽でも流してくれりゃいいのに……


 といういきさつで書き上げたのが『カルトナージュとミッドナイトレディオ』である。


 

  

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