㊸【言い訳を優しく聞いてあげられる人間になりたいな】
その日、私はとある外資系の会社の面接に来ていた。
ちょうど前職を辞めたばかりで、次の就職先を探していたところでとある知り合いからこの会社を紹介されたのだ。
その会社、主に証券と先物取引を扱う投資会社だった。
「なんでウチの会社入ろうと思ったの?やっぱ給料?」
と聞いてきたのは20代半ばくらいの、ポロシャツにジーンズ姿の若者だった。髪はツーブロック、ちょっと吊り上がった眼鏡、腕には高そうな時計を巻いている。
「御社が顧客と社員を大事に扱う会社という事で、応募させていただきました」
私はもちろんスーツ。
ちなみに当時は50歳。面接官の彼は私よりも20歳以上は若いだろう。
「あー、あれね。ホームページにそんなこと書いてたわ」
彼はフンと鼻で笑いながらそう言った。
それから腕時計をちらりと見た。
ああ。たぶんダメだな。というのがすぐわかる。
彼は私に対してこれっぽっちも興味を抱いていないのが分かる。
出来ればそうそうに切り上げて帰ってほしいと思っているのだろう。
「ちなみに英語は?ウチの顧客、アメリカ人が多いんだよね。あとは中国かな。中国語喋れたりする?」
「どちらもしゃべれません。日本語だけです」
「まぁオレも英語だけだけどね。帰国子女だからさ。でもなんで英会話とか勉強しなかったの?常識じゃない?」
「これまで必要がなかったので。それにお金も時間もなかったですし」
「あー、それ言い訳だよね。結局やる気がなかったってことでしょ、自分に投資する気もなかった」
まぁずいぶんとはっきり言ってくれる。
当たってはいるだろうけど。
ただこちらにも事情はあった。結婚とか子供の誕生とか家の購入とか。
金も時間も余ってなかったのだ。ただただ一日を生きていくのに必死でいつもカツカツだっただけだ。
「どうして前の会社辞めたの?成績はどうだった?」
そう言って高そうなボールペンを取り出してひねり、サラサラと履歴書に何か書きこんだ。
まぁ離れていたけれど、大きくバッテンをつけているのは分かった。
「会社が大手に吸収されて、その方針が変わったのについていけなかったんです」
「なるほどねぇ。自分で組織を変えようとは思わなかったの?」
「最初はそうしようとしていたんですが、個人で変えるのは無理がありました」
「ハイ、またいいわけだね。つまりあきらめたってわけだ。現状に満足していたのに、居場所がなくなって嫌になったから逃げた」
またずいぶんとはっきり言う。
まぁ間違ってはいないけれど、この人はまだまだ社会が分かっていないようだ。
人の人生ってそんな簡単に理解できるものではないのだ。
たしかに私は新しい環境になじめなかった。
それは会社の方針があまりに社員を無視したものだったから。
成績だけがすべての世界、即座に結果を出せない社員は容赦なく切り捨てた。
だが社員全員がスーパーマンになれるわけではないのだ。
まして一人だけでスーパーマンになれるわけではないのだ。
そこには人を支える、会社を支える裏方たちだってたくさん必要なのだ。
「そうですね、でもわたしは逃げたとは思っていません。私が見切りをつけたんです。そういう会社はこれ以上伸びないだろうし、私を信じてくれている顧客も裏切るだろうから」
「あー、なんか分かってきましたよ。そもそも顧客って、あなたのものじゃないんです。顧客はあくまで会社のモノで、会社を信用しているからお金を預けてくれるんですよ、あなた個人じゃなくてね」
「私の考えとはちょっと違いますね」
「ちょっとじゃなくて、根本的に違うよ。いるんだよね、あなたみたいな人。ビジネスは人と人とのつながりだと思ってる人。ビジネスはあくまで利益。利益があるから信用が生まれる、もっとドライなものだよ。あなたには理解できないかも、だけど」
最後には決め台詞のつもりかビシッとそういって、早々に履歴書をたたんでしまった。
これまでだな。
私は静かに立ち上がる。
「どうやら不採用のようですね。まぁ言い訳になりますが、私としてはアナタとこうして話せて、この会社にどんな人がいるか分かって、不採用になってよかったです」
「ハハ。逆切れするんだ?」
「いや、切れてなんかいないです。あなたが私を面接したように、私もまたこの会社を面接していたんです。私から見てあなたの会社は不採用ですね」
「では丸く収まったわけですね。お互いWIN-WINだったというわけだ」
今度、笑うのは私の方だった。
「そういうの流行なのかな。でも一つだけ教えてあげるよ。この世にWIN-WINなんて都合のいいものはないんだよ。どこかで誰かがその負債を背負っているんだ」
彼はバカにしきった様子でわたしを見ている。
たぶん私の言葉が彼に届くことはないだろうと思う。
それでも続ける。
「信頼ってのはLOSEもWINも分け合うことから生まれるんだ。人生なんてそう都合よく運ぶことばかりじゃないからね。ま、これも私のいいわけだがね」
「だね。ひどい言い訳だ」
「今日はお時間いただきありがとうございました」
私はそう言って面接室を後にする。
ガラス張りのビルを後にすると、太陽がまぶしかった。
ちょうど昼時、近くのウナギ屋さんで義母のハナさんと要三郎さんが待っている。
彼は知らないだろうが、ハナさんは売れっ子の漫画家で、かなりの額の株券をこの会社に預けているのだ。
会社の様子を見てきてほしいというので面接を受けてみたのだが……どうもこの会社は信用できないなぁ。
ま、それにしても嫌な世の中になったものだ。
言い訳なんてほめられたものではないが、完璧な人間なんていないのだ。
言い訳を優しく聞いてあげられる人間になりたいな、そう思った一日だった。
おわり
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