㊶【アンチ筋肉同盟】

「はぁぁ」


 と、テーブルで盛大にため息をついているのはかな子だった。

 昼間の暖かな光が差し込むリビング、つけっぱなしのテレビにはワイドショーが流れている。

 だがそんな明るい日常から離れ、かな子は自らの手で覆った深い闇の底にいた。


「はぁぁ……そうよね、男の子だもんね」


 そのため息を聞きつけたのは、遊びに来ていた娘の三奈だった。

 いつも明るい母親のこんな姿を見るのは近年では記憶にない。

 なにかあったに違いなかった。


「どうしたの?母さん、なんかあった?」

 三奈はそっと母親の肩に手をかけてそう聞いた。


「ええ。実はね、カタリの部屋を掃除していたら……を見つけちゃったのよ」


 なるほどね。

 三奈にはピンとくるものがあった。

「まぁ、思春期の男の子だからね……」


「ほら、男の子って近くにいなかったでしょう?あんたの幼馴染の小森君くらいしか」

「だよね。まぁあたしのとこも女の子だしね。正直男の子の子育てはよく分かんないよね。でもそういうものなんじゃない?」


「そうなのかしらね」

「そうよ、それが自然なことなんじゃない?そういう事に興味が出てくるって、普通なんじゃない?」

「そうなのかしらねぇ、あの子がマッチョになりたいだなんて……」


「ちょっと待って。なんの本見つけたの?」

「雑誌。ムキムキマッチョボディーを手に入れるんだって」


 三奈は素早く思考を切り替えた。

 考えてみれば北乃家は典型的な女系家族。カタリ君は養子とはいえ、初めての男の子だったのだ。しかも誰もが認める美少年。


 かな子をはじめ、北乃家の女性一同はひそかにカタリのファンであり、その成長をずっと温かく見守ってきたのだ。

 ……本のことは安心したものの、マッチョボディーになりたいというのはまた別の大問題だった。


「はぁぁ、マッチョか……」

「ええ。マッチョなのよ……」


 と、そこにやってきたのは祖母のハナだった。


「どうしたの?二人ともそんな暗い顔して」

「あ。お母さん。実はカタリの部屋を掃除してたら、本を見つけちゃって……」


 ハナはそれだけですべてを察した。

 かつて少年漫画誌にも連載したこともある。男の子の生態については多少の知識はあるつもりだ。


「まぁ思春期の男の子だからね。そんなにがっかりすることもないんじゃない?」

「そうだよね。思い返してみると、小森君もそうだったし」


 そういえばそうね、とハナは思った。

 小森君も草食系なイメージだったのだが、やっぱり男の子だったのだ。


「そうよ。小森君だってそうなら、それは自然な事よ」

「まぁ漫画でも主人公はたいていマッチョだしね。憧れるのよね」


 マッチョ?ハナはそれだけでピンとくるものがあった。たぶん勘違い。

 だとしても、カタリがマッチョになるというのは、それはそれで問題があった。

 というのもハナの最近の作品はカタリをモデルにしていたからだ。

 今の少女漫画の主人公、流行はあくまで細マッチョなのだ。


「はぁぁ……でも本人の希望なら仕方ないわよね……」


 ハナもまたテーブルに肘をかけ、うつむいて、ため息の列に加わった。


「どうしたの?みんなそろってため息ついて」


 と、今度はサクヤがやってきた。


「実はね、お母さんが、カタリ君の部屋掃除して、ショックな本を見つけちゃってね……」


 ショックな本……となればやはりアレ系か……

 サクヤにはピンとくるものがあった。

 正直いえばなんだかショックでもあったけれど、カタリ君も普通の男の子だったんだな、という不思議な安心感もあった。実際のところ、高校のクラスの男子たちなんてそういうことで頭がいっぱいらしいし。


「そ、そのそれってどういう系の本だったのかな?」


 あまりそういうジャンルには詳しくはないのだが、なんとなく、いや、かなり興味がわいた。

 でも自分がそういうターゲットの外だとしたら……とちょっと不安にもなる。


「筋肉」

「そう、筋肉ですって」

「マッチョ?」

「そう。ムキムキボディーを手に入れるんだって……」


 そこでサクヤも自分の勘違いに気づいた。

 かなり恥ずかしかったが、まだ大丈夫。カバーできる。

 さりげなくテーブルにかけて、みんなと同じく机に肘をついて頭を抱える。


「そっか……男子ってそういうのに憧れるんだよね」

「らしいわね、残念だけど」


 そう。すごく残念だ。サクヤにとってはカタリの繊細さが一番の好きなポイントだったからだ。


「あたし反対だな、カタリ君がマッチョになるなんて」

「あたしも本音を言えばそう」

「作品イメージが変わっちゃうし」

「でもカタリが望むなら仕方ないのかしらね」


「はぁぁ」

 と一同のため息が重なったその時、当の本人が現れた。


「あれ、みなさん、どうしたんですか?そんなに落ち込んで」


「カタリ君、カタリ君は今のままで十分カッコいいよ」

「そうよ。男の子らしさっていろいろなんだから」

「あこがれは大事だけどほどほどにしてほしいな」

「でもあなたがどうしてもというなら仕方ないけど」


「そのなんの話ですか?」


「ううん。なんでもないの」

 それから四人がまた「はぁぁ」と大きくため息をついた。


「ならいいんですけど……じゃあ、僕はお父さんのトレーニングに行ってきますね。なんか急に体を鍛えるって言いだしたんですよ」


 その一言で四人の誤解は溶けさった。

 あ。そういうことね。北乃さんね。ならべつにいいわ。


「そ、そう!」

「あら、いいわね」

「気を付けていってらっしゃい」

「頑張ってね!」


「はい!では行ってきます!」


 カタリはいつものようにスラリとした手を一振りして出ていった。


 ここのところカタリの美少年ぶりに拍車がかかっている。

 最近は指先や髪の先や笑顔からも光がこぼれるようになってきた気がする。


 四人のアンチ筋肉同盟はそのキラキラした光に包まれ、あらためてホッとため息をついたのだった。


 おわり


 

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