幕間 ~恋のバミューダトライアングル~

「なぁ、関川。この『おもしれぇ女』って今風なの? そんなの流行ってたっけ?」

 バーバラ先輩の第一声はそれだった。

 そうか、この世界ではまだ流行りの言葉じゃなかったのか。


「よく知りませんけど、なんか今風になるかなって」

 つっとメガネを上げてクールにごまかす私。

 外見は中学生だが、中に入っているのがいい年をした大人だというのは今も秘密なのだ。まぁ、言ったところで信じないだろうけど。


「それよりバーバラ先輩、今回の作品はどうでした?」

「そうだなぁ……」


 バーバラ先輩は部室の真ん中にあるソファーでゆっくりと足を組み、もう一度原稿をパラパラとめくった。その仕草は元の世界のバーバラ編集長そっくりである。


「なんか全体的に文章が荒っぽいんだけど、まぁ締め切り時間を考えたら及第点ってとこだな。でも、これを推敲したところで、これ以上良くなる感じもないんだなぁ」

 ズバリ言われてしまった。

 でもこれは私自身も感じていたことだった。まったく鋭い。


「あとさ、なんか読むたびに新しいキャラクターが登場しているみたいだけど、これって家族ものかなんかなの?」

 この指摘も鋭い。この作品は『北乃家サーガ』というシリーズの一つとして書いたのだ。実際これまで三十作以上はこのシリーズで書いていると思う。もっとも以前の作品に関しては、バーバラ先輩は読んでおらず、途中から読み始めていることになる。当然『初見殺し』もたくさんあるはずだが、あえてそのまま書き進めている。

「まぁ、そんなところです。でも、なんとなくの設定はあるんですよ」

 と、またお茶を濁しておく。


「そうか。わりとすんなりキャラクターが掴める感じはいいと思うぞ」

「ありがとうございます」


「あとな、ココ」

 そう言ってバーバラ先輩が原稿の一部を指さした。

「どこですか?」

「ここだよ、ココ、見えねぇならちょっとコッチ来い」

「はい」


 バーバラ先輩の横に座ると、思ったよりクッションが柔らかくてバーバラ先輩の体が弾んだ。

「きゃっ!」

 その勢いで原稿がパッと宙に舞い、バーバラ先輩は私の体に抱き着くような格好になってしまった。


「あ、すみません」

「いや、あ、こっちこそすまない……」

 お互いに頭を下げて、視線を戻すと、顔がくっつかんばかりの距離だった。

 なんか、気まずい距離感。

 でもこの距離になって初めて、バーバラ先輩の赤い眼鏡の奥の目がすごくきれいなことに気が付いた。まつげが長くて、綺麗な二重で、少し茶色がかった瞳がじっとわたしを見つめている……なんだか甘酸っぱい匂いが先輩から漂ってくるようだった。


「バーバラ先輩……」

 なにか心臓が変な鼓動を刻んでいる。

 心は大人のはずなのに、思春期の甘いつかえが喉元にせりあがってくる。

 な、なんだこの感覚……


「な、なんだよ、関川……」

 そういうバーバラ先輩も微妙なこの距離を保ったままで、離れる様子がない。


 その瞬間、ガラっと扉を開ける音が響いた。

 そこにいたのはもちろんバーグさんだった。

 バーグさんはわたしたちの様子をにらみ、はぁ? という表情を浮かべながらわたしたちのところにツカツカと歩いてくると、両手で私とバーグさんの体を無理やり引き離した。


「はい、離れてくださいね。で、関川先輩、なにしてるんすか?」

 およそアイドルらしくない侮蔑の表情を私に向けてくる。


「いや、作品の問題点を教えてもらおうと……」

「そ、そうなんだ、勘違いするな」

 と、弁明する私たちをバーグさんは冷たい目で見下ろしてくる。ついでに腕組みして、さらに胸をそらせて見下ろしてくる。


「はぁ? いったい、なんです? その問題点って」


「そ、それはだな、ハテナとかビックリのあとはだな、一マス開けるのが常識なんだ。 関川、オマエのはみんな間隔がない、これは原稿作法の一つだから直さないといけないぞ」

「は、はい。ご指摘ありがとうございます。これから気を付けます」


「で。これで話は終わりですよね? 編集長」

 そういえば、バーグさんがバーバラ先輩を『編集長』と呼ぶのを聞いたのは初めてな気がする。


「いや、あともう一つある、関川に次のお題を考えてあるんだ」

「お題? なんですか、それ」

「いやな、少し前から関川の筆力アップのために、お題を与えて短編を書かせているんだよ」


「えぇー、いいなぁ、編集長、それならわたしにもお題出してくださいよ! 編集長のお題ならわたしきっといい作品が書けると思うんです」

「いいのか? 次のお題は【筋肉】だぞ。マッチョは苦手じゃなかった?」


 筋肉……なんでそんなお題?

 と、思ったのだが、それはバーグちゃんも同じだったらしい。しばらく顎に手を当ててなにやら考えていたが、やおら私の肩を叩いた。


「関川先輩、ちゃんと書けなかったら承知しないから」

「って、バーグさんも書くんじゃないの? そういう流れじゃなかった?」

「本当は書きたいけど、収録が詰まってるの思い出しました。時間的に無理ですね」

「いや、さっきと言ってることが……」

「違わない。今回から参加するとは一言も言ってない。ということで、関川先輩、さっさと家に帰って筋肉小説を書いてきてくださいな」


 言うが早いか、無理やり私を立たせ、自分はバーバラ先輩の膝の上にちょこんと座った。

「さ、先輩、私に創作のレッスンをしてください!」

「わ、わかったから、とりあえず膝から降りろ」

「えぇー、せっかく特等席をとったのにぃ」

「いや、マジで重いから」

「もぅー、編集長いっつも塩対応なんだからぁ」 


 窓からは烏の鳴き声が聞こえている。

 そろそろ森へ帰る時間なのだろう。

 そしてわたしもまた帰る時間なのだろう。


 それにしても筋肉か……まるで書ける気がしない。


 それでも書き上げたのが続く『アンチ筋肉同盟』である。

 それにしても編集長のお題センスはどの世界でも変わらないらしい。



 

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