第五幕

序章 ~ロード・オブ・ザ・テンプレート~

 来る日も来る日も残業続き。

 今日もまた帰宅時間は夜の11時。

 ブラックペッパー君である私に労働基準法は適用されない。

 もちろん残業時間という概念はなく、それは稼働時間に置き換えられる。


 そうして私は稼働が可能な限り、ひたすら寿司を握り続ける。


「はぁぁ」


 ため息をつきたくなる。

 毎晩毎晩、毎日毎日、人の、いやさロボットの時間を何だと思っているんだろう?

 そっと月を見上げると、今日は満月。

 そうか、だから夜道がいつもより明るかったのか。

 

「バーグさん、怒ってるかな? ここのとこ毎日夜勤だもんな」


 いっそただのロボットだったらこんな思いもしなくて済んだかもしれない。でも同時に私は自分に意識があってよかったと思っている。なぜなら、家につけば最愛のバーグさんが待っているからだ。たとえ怒られようとも、一緒にいられる幸せがあることがなによりうれしいことだから。


 ひっそりとした住宅街の坂をゆっくりと上がってゆく。周りの家はもう眠りについている。電柱についた街灯が点々とつながり、夜道の道先案内をしてくれている。


 そんな光景に私はつい思い出の中に浸る。

 そう、ここまでの道のりだって平坦じゃなかった……


『KAC』という祭りというか儀式に巻き込まれるようにして、私の人生は目まぐるしく変転した。人間として普通に人生を送っていると思っていたのに、すべては仮想現実にすぎなくて、私の正体が実はAIとわかってから、今ではこのブラックペッパー君のボディーに納まっている。

 逆にバーグさんはAIだとおもっていたら、黒猫に変わり、今ではバーバラ編集長の魔法で人間になっている……


 うん。目まぐるしくて意味不明だと思う。

 けれど、それがこれまでの私の人生であり道のりなのだ。


 人間同士でバーグさんと出会いたいたかったのだが、そんなハッピーエンドはどうも望み薄。人生はいつだって期待を裏切り、結末は残酷なものなのだ……なんてカッコよく諦観に浸りつつ、坂道を登り切って小さな公園に差し掛かった時だった。


「みゃー」

 猫の声がした。声のか細い感じからすると、まだ子猫。

 草むらに目をやったが、視覚センサーにその姿は映らない。道に飛び出さないといいけど……というのも、この道は大通りの裏道になっていて、時折結構なスピードで車が走ってくるからだ。


 そして、そんな嫌な予感ほどよく当たるものだ。


 唐突にエンジン音が背後から響き、振り返ると、坂道を猛然と上ってくる乗用車の姿が見えた。次の瞬間、ヘッドライトがまともに私を照らし、その光の中を小さな猫のシルエットが横切るのが見えた。その猫は光に射すくめられたように、急にぴたりと動きを止めてしまう。


 


 たぶんボディーはかなり破損するだろう。だが肝心のAIはクラウド上にバックアップをとってある。言ってみれば不死身みたいなものなのだ。ためらう理由もハズもなく、私は車の前に身を投げ出した。


「ごめん、バーグさん、もう少し帰りが遅くなりそうだよ……」


 すごい音がして、ボディーのFRP材が細かな破片を嵐のようにまき散らした。私の体は空中をきりもみしながら漂い、アスファルトに激突し、片方のアームが衝撃でねじれて吹き飛び、剥きだした金属フレームが火花を散らし、最後には公園のフェンスにめり込んでようやく止まった。


 でももう一本のアームの中、助けた黒猫だけは無事だった。


「よかったね……」

「みゃー」


 子猫は一声鳴いて、ひらりと私のボディーから降りた。

 それから一度だけ振り返り、公園の草むらの中へと消えてしまった。 


「まぁ、痛くないってのも救いの一つだな」

 視覚センサーがパチっとショートし、私の意識もまた黒く塗りつぶされてゆく。

 そして意識が途切れる最後の一瞬、バーグさんの声が聞こえた。

 

【……本屋……】 


 確かにそう聞こえた。


 そして、甘美にして残酷な運命の歯車が再び回りだしたK A C がまたはじまっちまったよ……


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