㉖【気が付けば二刀流】

「ただいまー、ごめんね、少し遅くなった」

「おかえりー、仕事だもん、仕方ないよ」


 扉の向こうから現れたのは北乃君。

 結婚してから、かれこれ3年が過ぎている。


「本当はもう少し早く帰る予定だったんだけど、新人さんにトラブルがあってさ」

「それじゃ仕方ないね。トラブルは解決したの?」


 北乃君はくたびれたように大きく息を吐き、それからにっこりと笑った。


「ま、何とかね。上司って、そのためにいるようなものだからね」

「えらいえらい、ちゃんと係長やってるじゃん」


   〇


 いつもこんな感じだ。

 北乃君はスーツを脱いで、スエットに着替える。

 それからその日あった出来事なんかを話しながら、北乃君はビール、あたしはハーブティーを飲む。

 これが一日で一番落ち着く時間で、幸せな時間なのだ。


「かな子はどうだった?」

「まぁいつも通りかな。特にトラブルもなかったし」

「でも庶務課って大変なんだろ? トラブル解決がメインだろうし」

「まぁあたしって、そういう才能があるみたいよ、トラブル解決の」


 ニッと笑ってそういうと、北乃君は苦笑する。


「そうだね。キミには勝てる気がしないよ」


   〇


 家庭内ではあたしのほうがなんとなく主導権がある。

 北乃君は今みたいに苦笑してあたしのいうことはたいてい反対しないで聞いてくれる。北乃君はそれを自分の気が弱いせいだと思っている。

 まぁ実際そういうところはあるけれど。


 でもね、あたしはちゃんとわかってる。

 わかってるんだよ、北乃君には言わないけどね。


 北乃君は度量が大きいのだ。

 たいていのことは笑って許してくれる。

 あたしのどんなわがままも笑って許してくれる。


   〇


 ちなみに手抜き料理でも許してくれる。

 ということで今日はレトルトカレーにさせてもらった。


「やっぱりレトルトといえばこのカレーだよなぁ」

「たまに無性に食べたくなるんだよね」


 こんなところも気の合う二人。

 北乃君といるのはやっぱり楽しい。


   〇


 リビングのテレビではスポーツニュースが流れだす。

 今は大リーグのダイジェスト。

 メジャーリーグに乗りこみ、ピッチャーとバッターの二刀流で大活躍しているあの選手の特集だ。


「天は二物を与えずっていうけど、ちゃんと持ってる人もいるんだよなぁ」

「ホントすごいよね」


 画面では相手バッターが豪快に空振りするシーンが次々と流れる。

 本当にすごい。野球をしらないあたしでもすごいと思う。


 続くのは彼のホームランのシーン。

 鮮やかな緑の芝生、相対するピッチャーとバッター。

 鋭く投げ込まれた白球に対してのフルスイング!


 抜けるような青空に白球が音もなく飛んで行く。

 一瞬の静寂が流れ、それを打ち破る割れんばかりの歓声があふれ出す!


   〇


「二刀流なんてほんと考えられないよ。しかもメジャーリーグでさ」

「そういうものなの? あたし野球のことはからっきしなんだけど」

「そりゃすごいことだよ。どちらかだけでも大変なのにさ、どっちもやるんだから天才だよ」


 北乃君はそれからちょっと寂しげな溜息をついた。

 なんかちょっとわかる気もする。

 あんまり輝いている人を見ると、なんとなく自分が情けなくなってしまうのだ。


「二刀流なんてものじゃなくていいから、なんかすごい才能とかほしかったな」


   〇


 そうかな?

 それはちょっと自己評価が低すぎる。

 北乃君は自分のすごさがわかっていないようだった。


、知らなかった?」

「え? 僕が?」


「そう、すでに二刀流。しかも完璧」

「いやいや、一刀もないと思うけど」


   〇


 さて、なぞなぞの時間です。


「ちゃんとありますよ。考えてください。チクタクチクタク」


 北乃君、ちょっと考えている。

 でもたぶん、北乃君は答えられない。

 北乃君、自分のことはちっとも見えてないみたいだから。


「だめだ、わかんないよ」


   〇


 やっぱりわかんなかったか。

 あたしはハーブティーをちょっと飲んでから指を二本立てる。

 ちょうどピースサインの形。


「正解は『仕事』と『家庭』の両立。これは立派な二刀流だよ」


「そうかな?」

「絶対そう! たぶん今日の新人さんも北乃君に感謝してる。そしてあたしはいつも楽しい日を過ごしてる」

「そんな二刀流でいいのかな? なんか小っさい二刀流だけど」


 また自己評価の低い発言を……


   〇


「いいのよ。それだってすごく難しいことなんだよ。あたしの会社の人なんか良くてどっちか、どっちもダメな人がほとんどだし」

「そっか。そんな二刀流でもいいんだよなぁ」

「そうそう。仕事と家庭、ちゃんと両立させるのは難しいんだから」


 あたしの言葉に北乃君はにっこりと笑ってくれた。

 うんうん。笑顔、笑顔。

 それが一番だ。


   〇


「ちなみにあたしはこれからの修行に入ります。ビールもやめました」

「え? どういう意味なの?」


 そう。またなぞなぞの時間。

 でもやっぱり北乃君は答えられないだろう。

 あたしはまだ膨らんでいないおなかに手を当てる。


「あたしは仕事と家庭、今度はに挑戦だから!」






 おわり 

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