⑦【北乃君の最高の目覚めの話】
『最高の目覚め』をお約束します……
○
という枕を娘の三奈がプレゼントしてくれた。
低反発素材というやつなのだろうか、押してみるとグーッと引っ込み、ジワーッと戻ってくる。
グーッ、ジワーッ。うん。なんだか楽しい。
それに妙にクセになる感触、なかなかいい感じじゃないか。
○
「どぉ? 気に入った?」
これを渡してくれた時、娘の三奈はえへへと笑いながらそう言った。
「でも、いいのか? 高いんじゃないのか? コレ」
「そ、そんなに高くないよ。五千円くらいよ」
○
む……なにかあるな。
ボクはすぐにピンときた。これでも勘は鋭い方なのだ。
なんだろう? 枕で恩を売って、なにかねだるつもりだろうか?
○
いや、それはないか。
何かねだるなら、義母のハナさんにお願いするのが近道だ。
ハナさんは売れっ子の漫画家だから、収入もボクとはケタ違いだ。
○
「……ホントはね、ダンナに買ったんだけど、ちょっと合わなかったみたいで」
「そうか、そう言う事か。ならありがたくもらっておくよ」
やはりワケありだったか。
でも、そう言う理由なら喜んでもらうとしよう。
とにかくボクはこの枕がすごく気に入った。
○
明日は土曜日、会社は休みだ。
ボクは普段の出社時間が早いせいか、いつも早朝に目覚めてしまうたちだ。
だがこれならもう少し遅くまで寝ていられるかもしれない。
そんなことを考えながら、その日は少し早くベッドにもぐりこんだ。
○
「あら、その枕どうしたの?」
妻のかな子はソレにすぐに気が付いた。
「ああ、コレか? 三奈からもらったんだよ」
「三奈か、なるほどね。コモリ君、その枕を買った日に会社遅刻したらしいの、熟睡しすぎたんですって」
「ハハハ。そんなに眠れるんだ」
「もうぐっすりだって」
「それは楽しみだ」
○
妻のかな子が隣に潜り込んできて、パチリと部屋の電気を消す。
それからちょっと手をつなぐ。
結婚して以来、それがボクたちの習慣だった。
そうして少しだけおしゃべりをする。
これもずっと同じ習慣。
○
「そうそう、明日は母さんたちとランチだからね。今回はフグ食べに連れてってくれるって」
「そうだったな。一年ぶりかな、いつものところだろう?」
「そう、あそこの割烹屋さん」
ハナさんの行きつけのフグ屋さんは、とにかく豪華なのだ。
残念ながらボクの給料で行けるようなところではないので、いつもご馳走になっている。
○
「相変わらず、お母さんは羽振りがいいね」
「ホント。次の連載もすごく評判がいいんだって。そのお祝いも兼ねてね」
「そうなのか。ボクはまだ読んでなかったな」
「まだ単行本になってないからね」
「なんか家族ものなんだよね?」
○
それにしても……実にいい。この枕。
態勢を変えるとたびにグーッと沈み込んで、ジワーッと持ち上がる。
高さも絶妙だ。
ついついあくびが漏れてしまう。
「寝坊しないでよね」
「大丈夫だろう。いくらこの枕でも、昼までなんか寝れないよ」
すぐにボクは眠りに引き込まれた……
○
その夜、ボクはふぐを食べる夢を見た。
六人掛けのテーブルに座り、ちょっと庭の景色を楽しみながら料理を待つ。
まず運ばれてきたのは綺麗に並べられたてっさ(刺し身)。
みんなでビールやシャンパンなど好みのお酒を飲みながら、その絶妙な味わいを楽しむ。
それから次々と料理が運ばれてくる。焼きフグのアツアツを楽しみ、唐揚げのサクサクに舌鼓をうつ。
お酒も少し回って、なんだか笑い声が大きくなるけど、やっぱり料理が届くと思わず無口になって食べてしまう。
最後に大きな鍋が運ばれて、てっちりが始まり、雑炊、デザートと、フルコースを楽しんだ。
○
その夢はほとんど現実の光景と同じだ。
厳密には去年にみんなで食べた時の記憶そのものだ。
それはすごく幸せな記憶。
その記憶に包まれながらボクは目覚めた。
○
「あら、泣いてるの?」
かな子がそう言っていた。
目を開けると部屋の中が薄暗くなっていた。
どうやらカーテンが閉め切ってあるようだ。
○
それにずいぶんと熟睡していたらしい。
時計を見るともう12時だった。
「あ! 寝過ごした?」
「うん」
「お義母さんたちは?」
「もう行っちゃった」
「起こしてくれればよかったのに」
「あなた、ずいぶんぐっすり寝てたから、起こしちゃかわいそうだと思って」
○
「でも良かったのかい? せっかくのフグなのに」
「あなたこそ」
「実はさ、夢の中でフルコース食べてきたんだよ」
「だからね、泣いてたの。よっぽど美味しかったのね」
「まぁね。子供みたいだけどね」
○
「どれ、フグには敵わないけど、特製のチャーハンが作ってあるんだけど」
「いいね、寝すぎてお腹がペコペコだよ」
「ん。あなたならそういうだろうと思った」
「あの枕、やっぱり平日は使えないな、会社に遅刻しそうだよ」
「そうね、コモリ君が実験台になってくれてよかった」
○
かな子がニンマリと笑い、そっと手を伸ばす。
ボクはその手を掴み、よいしょとベッドから起き上がる。
○
いつもの光景、当たり前の光景。
これまでずっと続けてきた二人の習慣、これからも続く二人の習慣。
ボクはそれを続けるために、目覚めたのだ。
重いカーテンを開けると、世界は今日も変わらずにまぶしかった……
●
……でもね、本当はキミには話していない夢の続きがあるんだ。
●
あの後、フグのフルコースを食べた後、ボクは急に倒れるんだ。
たぶん毒に当たったんだと思う。
お座敷でばったりと倒れ、自分が間もなく死ぬことを実感したんだ。
●
ボクを囲むように、みんながボクを見下ろしていた。
かな子、三奈、コモリ君、ハナさん、お義父さん。
みんなが涙を浮かべて、何かを叫んでいる。
でもボクにはもうその声も聞こえなくなっているんだ。
●
でもね、ボクはすごく幸せだっんだ。
幸せを感じたんだ。
みんながボクのことを心配してくれている。
ボクはこんなにもみんなに愛されているんだ、ってね。
●
いい人生だった。
たくさんのいい人に囲まれ、たくさんの笑いに彩られた、ボクなんかにはもったいないくらいに素晴らしい人生だった。
それをもたらしてくれたのはキミたちだ。
そして誰よりも、かな子、キミには本当に感謝している。
素晴らしい時間をありがとう。
ボクの目は自然に閉じられ、暗闇が全身を覆っていった。
●
(……やっぱりイヤだよ……)
暗闇に一人きりになると、自然とそんな思いがこみあげた。
(なんでこんなにあっさりとあきらめてしまったんだろう?)
そのことが深い後悔となって胸を満たした。
独りぼっちになってしまったことが、無性に悲しくてしょうがなかった。
いい人生だ、なんてカッコつけたことが悲しくなった。
ボクは情けない気分になった。
●
それでもボクは生きたかった。
生きてみんなと一緒にいたかった。
みんなと未来を一緒に過ごしたかった。
●
そう思うともう叫んでいた。
「ボクは生きたい! みんなと一緒にいたい! かな子のそばにいたい! 日常だけでいい! あたりまえの世界だけでいい! みんなのそばにいられればそれだけでいい! ボクはまだ死にたくない!」
ボクは泣いた。
生まれて初めて声を上げて泣いた。
……そうしたら、かな子、キミの声が聞こえた。
「あら、泣いてるの?」
かな子がそう言っていた。
目を開けると部屋の中が薄暗くなっていた。
どうやらカーテンが閉め切ってあるようだ。
●
それはいつもの日常だった。
ボクの日常はまだ続いていた。
それがどれだけ嬉しかったことか。
かな子、キミがそこにいて、変わらぬ笑顔を浮かべてくれている。
それがどれだけ嬉しかったことか。
それはボクにとって『最高の目覚め』だったんだ。
終わり
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