第25話 極星の姫の帰還

 意識を失った姫をアトラスは無言で見下ろした。

 その傍らに星騎士はもういない。〈転移〉が発動して消えたーー戻ったのだろう。

 一人残されたミア。その丁寧に整えられていた黒髪はふり乱れ、血で染まった服はところどころ裂けてもいる。玉のような肌には短い旅も堪えたのだろう。切り傷擦り傷打撲傷だけではなく、ささくれやひび割れといった些細な怪我も目立った。床に転がっている様はとても姫君に思えない。町人だってもう少しマシな装いをしている。

 アトラスはミアの額にかかる髪を撫でた。人形のような美しさはないが、息づく命を感じさせる。それが、消えてしまおうとしていることも。

「いーのー?」

 背後のカボチャが煩い。アトラスは振り返りもせずに吐き捨てた。

「助けたきゃ自分でやれ」

「えー、はくじょーものー」

「高みの見物野郎に言われたかねえな、ハストラング」

 足元に寄ってきたカボチャを一瞥。アトラスは皮肉を込めてその名を呼んだ。

「それともトレミー=ドミニオンと呼んだ方がいいか?」

 ジャックはぴたりと動きを止め、沈黙した。愉快なカボチャは仮初の姿。彼は〈不死の大公〉ハストラングーーそして七年前、そのハストラングに殺されたとされているトレミー=ドミニオンだった。

「見物したくて見物してたわけじゃない」

 カボチャの奥から低い男の声。彼を知る者が聞いたらトレミーの声とわかるだろう。

「〈憑依〉にしても〈零時の鐘楼〉にしてもエネルギーは消耗する。二つの身体を同時に動かすのって結構大変なんだぞ」

 そもそも二つの身体を同時に動かせるのは大公くらいだ。アトラスにその大変さがわかるはずがなかった。

 今、玉座に座るハストラングの身体は既に死んでいる。星騎士イオもといミアが刃を突き立てた時よりもずっと前ーー七年前に。〈傀儡〉で動かしているだけの人形だ。

 本人とアトラスしか知りえない事実。七年前、トレミー=ドミニオンは大公ハストラングを倒した。ハストラングの狙い通りに。

 しかし、かの大公でさえ予想だにしなかったことが二つも起きた。一つは土壇場でトレミーがハストラングの思惑に気づいて星騎士の身体を捨て、自分の身体を使って倒したこと。ハストラングが乗っ取るのは『自分を倒した者の身体』だ。よってトレミーは星騎士の身代わりになってハストラングの〈星〉を強制的に抱かされた。

 そしてもう一つは、トレミー=ドミニオンが自分を乗っ取ったハストラングの意識を乗っ取り返すという前代未聞の超人技をやってのけたということだ。

「お前、化け物だな」

「よく言われるよ」

 悪あがきが成功しただけだとトレミーは言う。身体を乗っ取られる間際に〈零時の鐘楼〉を発動。ハストラングの〈星〉を怯ませたその隙に得意の〈傀儡〉と〈憑依〉を発動させた。ハストラングの〈星〉は今もなおトレミーの胸の中で輝いている。だからおそらく、消滅したわけではない。しかしトレミーの意識が残っている限り表に出ることはない。

「……殺されてやるつもりだったのか」

〈予言〉にあったハストラングを滅ぼす『極星を抱いた者』は当代の極星の姫ミアを指していると、アトラスは踏んでいる。同じく『極星を抱いた者』であるベルが恨みを捨て切れない限り、ミアはマレに攫われる。そしてマレから自分自身を救おうとするミアがハストラングを滅ぼす。〈不死の大公〉が殺されてやるとしたら、それはミア以外にはいない。

 本当は、とトレミーは呟くように言った。ハリスがミアを攫ってきてしまった時に覚悟を決めた。星騎士イオとしてミアが来るのなら、大公として殺されてもいいと思っていた。

「俺を殺してしまった小さなお姫様を見たら、な。自分の腕がもがれた時よりも悲壮な顔をするもんだから……気にする必要はなかったのに」

 だから、トレミーはハストラングの身体と心中する道を捨てた。抱く〈星〉は赤く染まってしまっても星騎士。姫の心を守るために生き残る道を選んだ。

「俺には理解できねえ。そこまでやる必要があるのか? 血のつながりすらない、たかが他人に」

「どこまでだってやるさ」

 トレミーは苦笑した。

「極星を文字通り命がけで守っている小さなお姫様に、星騎士が『あなたのことを守ります。でも自分の命が惜しいのでここまでしかできません』なんて言えるか」

 感傷を振り払うようにトレミーは「助けないのか」とアトラスに判断を委ねた。

「俺は望んでもいない奴を助けるほど親切じゃねえ」

 あどけない寝顔だった。どこか誇らしげでもあった。どんな夢を見ているのかはわからないが、不幸には見えなかった。

「どうせまた、眠らされる。こいつが変革をもたらす者と〈予言〉されている限り」

 周囲に強要されるよりも、自ら選んだ末の『眠り』ならば、まだいいのだろう。ミアを哀れんだわけではないが、再び眠らされると知っていながらわざわざ起こす気にはならない。達成感に浸って眠る子供は幸せだ。少なくとも、その間は。

 自分が〈予言〉した姫だ。アトラスはミアのことをずっと見てきた。極星の宮に閉じ込められ、王宮内でさえ出歩くことも許されず、肉親とも儀式の折に顔を合わす程度。愛されるどころかグレートコンジャクション〈大会合〉による変革の〈予言〉を恐れた国王にうとまれて、生きてきたことを。

「世界で一番美しいものを問われて答えた鏡に罪はあるか」

 ミアの祝福式でアトラスの〈予言〉を代弁した星読師が問う。

「口にするべき〈予言〉とそうでないものをわきまえなかった。それは立派な罪だ」

 黙っておくべきだった、とアトラスは思う。グレートコンジャクションは言うべきではなかった。国王が変革をもたらすと〈予言〉された姫を脅威に思うことは目に見えていた。

 だが、どうしても黙ってはいられなかった。

 はじめてだった。後にも先にもアトラスが破滅以外の〈予言〉を行ったのは、ミアただ一人だけだった。アトラスはホロスコープを起動させた。自分の予言宮には〈星〉が留まり輝いている。変革の〈予言〉は果たされていないーーまだ、終わってはいないのだ。

「ついでにタラセドを回収しておいてくれ。たぶん、殺されてはいないと思う」

 本気とも冗談ともつかない台詞をのたまうハストラングもといトレミーに、アトラスは冷たい一瞥をくれてやった。

「俺の〈予言〉には直接関係ない。却下だ」

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