87 そして彼は踏み込んだ

 仮面の男が姿を消したという事はつまり、ひとまずこの場からは脅威が消え去ったという事になる筈で、だとすればその脅威から逃避していたリーナはその必要が無くなって。


「……え、あ、あれ? 生きてる」


 リーナの意識が戻ってくる。


「というか向こうの連中がいない……あれ? 一体何が……」


 多分リーナの意識は向こうの男が放ってきた魔術攻撃がギリギリの所まで迫った。そこで途切れているのだろう。全く状況が読めていなさそうだ。

 ……なにせ気が付けば迫って来た魔術攻撃も、それを放ったであろう相手も視界から消えていて。大怪我を負っていてもおかしくなかった筈なのに五体満足の無傷でそこに立っているわけだ。

 そりゃ混乱の一つくらいするだろう。


「……とりあえず全部終わったんだ、リーナ」


 俺は混乱するリーナを落ち着かせる為にそう言って、言いながら考えた。

 ……この状況をどう説明するべきかと。

 流石にもう色々と、誤魔化していくわけには行かなくなるだろうから。


「終わったって……ってそうだ! 先輩! 先輩の怪我! 早く止血しな……いと?」


 今までリーナの目に映っていた意味の分からない光景と。

 今現在俺やグレンに纏わり付く意味の分からない光景と現象。

 それらに対しある程度納得のいく説明をしようと思えば、否応にもリーナのスキルの事に触れないとならないから。


「え、一体何が起きてんすか……というか先輩普通に意識戻って……でも、いや、え……」


「まあ、その……なんていうのかな」


 俺の身に纏わりついている黄緑色の粒子。出血量。目に見えて酷いであろう怪我。

 それらが一辺に押し寄せて来たようでリーナは更に混乱する素振りを見せるが、もう既に最低限まともに話す事ができる程度には俺からは、中々言葉を掛けてやれない。


「……」


 グレンも何か言いたそうな素振りをみせるが、答えが中々見付からないのか結局切り出す事はしない。

 俺もグレンも、中々切り出せない。


 昨日、グレンの工房で話していたのと同じだ。

 スキルの事を話すのは別に良い。自分のスキルがどういうものかを把握しておくのは大事なはずで、リーナのスキルは決して悪いスキルでもないのだから。

 だからそれだけなら、夕食の話のタネにもできるような話なのだ。

 だけどそこに紐付けされている情報には安易に踏み込めない。


 リーナが自身のスキルをそういう物だと把握する事が。

 俺達がリーナのスキルをそういう物だと認識しているという事が。

 それが結果的に芋蔓式に。具体的に話を掘り下げなくても、リーナの踏み込まれたくない領域に片足を突っ込む事になるから。


 俺達が色々と察してしまった事を、多分リーナも察するから。

 あれだけ敏感に踏み込まれる事を拒絶していたリーナなら、それに気付かない訳がないから。


 だけど地雷を踏まずに進むのはきっととても難しくて。

 そんな事よりも……そんな事よりも。


「で、でも意識戻っても! あれだけ血を流すような怪我……と、とにかく何とかしないと、なんとか……ッ」


 今の泣きそうになっているリーナに。

 俺なんかの為に泣きそうになってくれているリーナに、大丈夫だって伝える事の方が大切に思えた。

 だから、こんな形でになるとは思わなかったけど、少しだけ踏み込もう。


「……大丈夫だ、リーナ。大丈夫」


 リーナが隠したい。触れられたくないと思っている領域へ。


「お前のおかげで大丈夫だ」


 ただ俺がリーナに泣いてほしくない。安心してほしいと強く思った。

 何よりもまずそうあってほしいと思った。


 結局のところそんな、自分本位な理由で。

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