第28話 うたびとはあがなう

「なら、まぁ」

「そうさなぁ、ああ」

 ぼそぼそと顔をつきあわせて喋るすなどり(漁り)衆の目が、一瞬気の毒そうにある男を見た。

「タレイアが船さ持ち出したってことか」

「アリオンじゃねぇなら、そう言うことになるさなぁ」

「なあ、ペトロス」

 視線を集めたその先――タレイアの父親、ペトロスは巌のような顔に苦渋の色を浮かべ、

「……そのようだ」

 と、掠れた声で同意した。

 アリオンに責がないとなれば、当然船を失った疑いの矛先は再びタレイアに向く。

 否、そこに居ない者に責任を負わせる、これはいわば欠席裁判だ。

 少人数の村ならではの処世術は、今、一人の男に村の重要共同財産紛失の責を負わせようとしていた。

 ペトロスは日焼けた顔をそうと分かるほど青くして、滝のような汗を流してつま先を見つめ、髭むくつけきアゴを震わせて――しかし、逃げ出そうともせず、逃げることも出来ず、アリオンの家の土間に膝を着いた。

 そうして、広い額を土に擦りつける。

「うちの、馬鹿娘が……申し訳ねぇ……。この詫びは俺がする。だからどうか、どうか妻や息子らにゃ」

「待ってくれ!」

 驚いた顔でしばらく状況を見つめ、数秒遅れて状況を理解して待ったを掛けたのは、家主のアリオン。

 その青年の顔を一瞥し、崖の上の翁はふんと鼻を鳴らす。

(遅いわ馬鹿たれ。だが、良くやった)

 この場で立場上もっとも発言権の強い短剣の家の家長の声に男衆が目を向け、ペトロスが顔を上げる。

「待ってくれ。仮にタレイアが船を持ち出したとして……なら、その責任は俺にある」

「アリオン、何を言う!」

「そうだ」

「お前は悪くねぇんだろ。さっきそれで怒ったじゃねぇかよ」

「そうじゃねぇ。聞いてくれ。もし、タレイアが船を持ち出したならそれは何時だ?」

 声を張り上げ、アリオンは真っ直ぐに言う。

「俺が目を離した隙だろう。なら、タレイアに代わって責を負うべきはオヤジさんじゃねぇ。この俺だ」

「……」

「いや……しかし、なぁ……」

「おぅ……まあ、だがよ」

 それくらいは男衆達も承知している。

 その上で、長者筋の最後の一人であるアリオンに重責を償わせる訳にはいかない。

 故に、タレイアが、ペトロスがスケープゴートに選ばれたのだ。

 仮にアリオンに責を負わせるとなれば、それは必然、ペトロスへの責より軽いものになろう。

 そして、それでは村は立ちゆかない。


 しかし、アリオンはそれも理解した上で声をあげていた。

 彼はもう十六歳だった。

 責任に何が伴うのか、彼は十分理解し、そして自分で無ければ出来ない解決策を、償いを知っていた。


「償いとして、俺の家の船を失った船の代わりに出そう」


 えっ、と誰かが声をあげた。


「短剣の家の長として、この俺が許す。短剣の家は、俺の名において、船を一つ、失った家へ譲り渡す」


 濡れそぼった顔を真っ直ぐ上げ、宣誓した青年に翁が満足げに頷き、男衆が顔を見合わせ、


「お、おお!」

「その手があるか! しかし、良いのかアリオン?」

「良い。二言はねぇ。……けど、整備が要らぁな。その間は俺もすなどりに出るか?」

「いやいや、そんな事ぁさせらんねぇ」

「短剣の船か。そりゃありがてぇが……本当に良いのか、アリオン」

「こんな時に船を惜しんで何が長者だ。遠慮するなよ。俺だってお前らと同じ村の仲間だろう?」

 ありがてぇとバシバシと肩を叩かれつつ、アリオンは呆然としているペトロスの前へ膝を着く。

 そして、その皺深い、潮焼けした両手をそっと包んだ。

「おやっさん……だから、あんたが頭を下げるこたぁねぇよ。タレイアを、あんたを悪者にしなくたって良いんだ。おっかさんと、がきんちょどもと一緒に、失った娘のことを嘆いて良いんだ」

「……俺ぁ」

「うん」

「……俺ぁ、俺ぁなぁ」

 金壺眼からだらだらと涙を流して、思い出したようにおいおいと声をあげて泣き出したペトロスの背をとんとんと叩き、アリオンは「それで良いんだ」と快活に笑う。

「悪かったな、おやっさん。後は俺に任せろ」

「どうする気だアリオン」

「タレイアを追いかける」


「「「「はぁ?」」」」


 男衆の叫びに翁の馬鹿笑いが重なる。

 それを背に、アリオンは落ちたままの紅いリボンを拾い上げ、ぎゅぅと握る。

 全てはこれから始まった。

 リボンを手に括りつけ、アリオンは振り返って言う。

「イルカに頼んで追いかけてみる。もしかしたらまだ間に合うかも知れねぇ」

「阿呆だのぅ。お前はとびきりの阿呆だわい」

 ひゃひゃひゃと歯の抜けた口を開けて笑い、翁はばしぃと力強くアリオンの背を叩く。

「お前に海の男神様のご加護のあらんことを」

「お、俺も!」

 若いすなどりの一人が走り出て、同じようにアリオンの背を叩く。

「海の神さんのご加護のあらんことを!」

「アリオンに海の男神様のご加護のあらんことを!」

「「「あらんことを!!!」」」



 激励と祈りで背を赤くして、青年は「任せろ!」と拳で胸を叩いた。

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