第27話 うたびとはいかる
殴られたら殴り返すのが当然、潮風にもまれて育った彼らの気性は荒い。
あっという間に乱闘になった。
網が破れ、甕が割れ、
砂埃が舞い、柱がきしみ、梁から埃が落ち、折れた歯が床を転がる。
アリオンは特別喧嘩が強いわけでは無い。
怒りっぽいが、冷めるのも早い。カッとなっても一発やりあえば早々に見切りを付け、後はカラッとしたものだった。
崖の上の翁に拳を落とされ、転げ回っている姿ばかり見られていた。
男衆が漁をする間、女衆に混ざって野菜を洗い、子供たちの面倒を見ていた。
故に、男衆は彼を無意識に力の面で侮っていた。
炎のように
近寄る者を力任せにぶん殴り、足の裏で容赦なく蹴り飛ばした。
アリオンには失う家族もなければ、これから漁に出る為に腕を守らねばならぬというような心配も無い。
加減を取っ払った若い肢体から繰り出される力は、恐るべきものだった。
取り押さえろ! とすなどり衆のひとりが叫ぶ。
腕を押さえに行ったものが、逆に腕をひねりあげられる。
殴りかかったものが、手首をつかまれて壁に投げつけられる。
駆け寄った足を払われ、背負い投げが決まる。
押さえ込め! と悲鳴が上がる。
おうと答えた者が四方から襲いかかる。
その一人目のみぞおちめがけて拳を振り抜き、
二人目をまとめて殴り飛ばし、
三人目のあごに下から頭突きを入れ、
四人目は肘を顔面に決められれた。
ぎゃあと悲鳴があがった。
「……おい」
「……おぅ」
疲れを知らぬかのように荒れ狂う青年に、さすがのすなどり衆もひとり、またひとりと距離を取り始めた。
数では圧倒的にすなどり衆に分がある。
だが、彼らにはすなどりの生業がある。迂闊な怪我を負うわけにはいかない。
おまけに相手は船をもつ長者の家、短剣の家のたった一人の生き残り――すなわち家長だ。
そして、ふーふーと肩で息をしながら、未だ目をぎらつかせるその腰には潮でも錆びぬ短剣が一振り。
抜いていないのはまだ理性が残っているお陰なのか。
そういえば、こいつの養い親はあの悪名高き豪腕のアリオンだったじゃないか。
今更のようにそのことを思い出し、彼らは顔色を失う。
「……」
目に青あざをこしらえたり、血の混ざった唾を吐き捨たりしながら、彼らは目線を交わす。
彼らの戦意はとうに収まっていた。
ただ、問題はこの怒れるシャチとなった青年をどうなだめるかだ。
どうする。
お前がなんとかしろよ。
無理だって。
いやいや、無理だこれ。
おい、お前こそ行けよ。
無理無理無理。
無言の攻防が続く中、ゆらり、とアリオンの足が一歩踏み出す。
表情の抜け落ちた顔の中で、目だけが獰猛に輝いている。
ひっ、と誰かが怯えた声をあげた。
そして、
「こん阿呆が」
ずばしゃあ、という音に何が起こったのか、最初は理解できなかった。
ボタボタと髪から滝のように落ちる水に、アリオンの表情がぽかんとなる。
同じ表情になったすなどりたちの囲いが、左右に割れる。
現れたのは水瓶片手に大あくびをする崖の上の
「朝っぱらから何をやっとんじゃ、阿呆たれが」
「ジジイ……」
「豪腕の……!」
「おう、助かったぞ豪腕の」
「近寄るんじゃねぇ、服に鼻血が着かぁな」
寄ろうとした男を押しのけ、翁はじっとアリオンを見る。
「何をやっとる」
「……。こいつらが、悪い」
一瞬眉を寄せ、それでも普段より低い声で答えたアリオンに、翁はこりゃだいぶキとるなと嘆息する。
この青年、常であればもめ事の原因を――たとえそれが完璧に相手が悪かった場合であろうとも、相手の非を口することは無い。それは上下関係の厳しいすなどりの村で、船主である長者の直系に生まれた彼なりの矜持であり、けじめだったのだろう。
幼なじみたちと同じ悪戯をしても、網子と長者の跡取りでは下される罰の重さは違う。だから、彼は自分が絡んだもめ事では率先して「俺がやった」「俺が悪い」と泥をかぶりに行く。けっして、相手に責任を求めない。頑固者が自らに課した枷であり、掟なのだ。
そのアリオンが、こうまではっきり皆の前で相手が悪いと断言した。
この重みを理解している者がこの中にいったいどれほど居るだろうか。
(……しょうがねぇなぁ)
殴りかかろうとする姿勢はやめたものの、暴れた原因については口を開く気が無いのか、それきり頑なな表情で黙り込んだアリオンに翁は肩を竦め、「で?」と、すなどりたちの顔を見回す。
地響きのような声に、ひぇっと誰かが悲鳴を上げた。
「その、ちょっとからかっちまったつーか……」
「それで切れる奴じゃねぇのは分かってんだろうがよ」
「俺たちだって悪気があったわけじゃねぇんだ……ただ、その」
「そうだ。ただ、気の毒だったなって慰めただけで……ひっ」
ギラリと再び剣呑な光を宿したアリオンの目に、言いかけた語尾が悲鳴になる。
その肩を落ち着かんか阿呆と軽く叩いて宥め、翁は「文句があるならテメェで言ってみろ」と促す。
アリオンはそれでも逡巡したが、ややあって重たい口を開いた。
「船が一艘行方不明だ。それで、俺が皆に黙ってタレイアを海に流したと思われた」
「はん? んなヒマ、てめぇにあったかよ」
「……無い」
むすっとした顔で答えたアリオンに、翁はそうさな、と頷く。
「なら、そう言やあ良いだけのこったろうが。あ?」
「……豪腕の。何か知ってるのか」
「知ってるも何も、こいつが夜中に騒ぎやがってからこちとら、顔突き合わせっぱなしだわい」
お陰で眠いわ、と大あくびをする翁に、すなどりたちは顔を見合わせる。
「おい、聞いたか」
「聞いた」
「豪腕よ。もしや、庇っては……」
「なんだ、俺を疑うか」
「い、いや。ち、違う、ただその、皆を納得させるには、な?」
「まあ、ええわい。トベラの家のモンも俺とこいつを見とる。なんせ昨日は送り火の夜だったからなぁ」
送り火、の言葉にすなどりたちはハッとし、そうかそうかと口々につぶやく。
送り火にうたびととして参加したのなら、アリオンは船が見当たらぬ件には関係ねぇだろう。
そうだな。まったくもって。
疑いの芽は一瞬で摘み取られた。
残ったのは、タレイアの不在と、消えた船の問題だけである。
「どうする……」
「そうさなぁ……」
青黒く変色した顔を寄せ合い、切れた唇でぼそぼそと話し合う彼らの中で、ただ一人、顔を青くしている男に視線を向け翁は目を細める。
おそらく、ここに来てから一言も口をきけてはいまい。
身振り手振りを交えて話し合うすなどりたちの中で、無言のままじっと祈りの形に組んだ両手は小刻みに震えており、視線は足下をうろうろと彷徨っている。
無理も無い。
果たして、「男」の様子にアリオンはいつ気がつくだろうか。
(ここからがお前の真価が問われる場面だ――どうする、短剣の家の当主サマよ)
ごとんと脇に下ろした水瓶に腰掛け、爺は鷹の如き目を眇め、独りごちた。
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