第26話 うたびとはとわれる

 歩き慣れぬ山の赤土を踏みつつ麓に戻れば、なにやら家の前が騒がしかった。

 タレイアを連れ帰った翌朝だ。

 まさか、また彼女を捨ててこいと皆が集まっているのでは無いか。

 そんな懸念にアリオンは顔を曇らせ、崖の上のおきなに「先に行く」と告げて斜面を駆け下りる。

 家が近づきくつれ、どうやら村の男衆が中心になって騒いでいるらしいと分かる。

 見渡した顔はどれも険しく、アリオンはこめかみがチリリと疼くのを覚える――嫌な予感。

「皆、どうしたんだ。すなどりにも出ないで……」

「ああ、アリオン。やはりお前では無かったか」

 笹藪を滑り降りて着地したアリオンの姿に、気づいた男衆が少し目を緩める。

 しかしその奥にともる怒りの色に、アリオンの嫌な予感は強くなる。

 返事をした男だけでは無い。

 皆が、腹の底に怒りを抱えている。

 その熱が空気を通じてひしひしと肌にしみてくるようで、アリオンはごくりとつばを飲む。

 まるで沸き立つスズメバチの巣のようだ。

 ほんの少し棒でつつくだけの刺激で、それはワッと爆発するだろう。

「アリオンが帰ってきた」

「やはり無関係か」

「そうだ、アリオンのはずが無い。それは分かっている」

「ああ、アリオンが俺たちを裏切るような真似するものか」

「そうだ」

「そうだそうだ」

「裏切る……って、なんかあったのか」

「アリオン、家の中を見せちゃくれないか」

 な、と笑みを作って問いかけてきた男に、アリオンは無意識に「え、いや」とつぶやく。

 その間に彼を逃すまいと、すなどりたちがわっと詰め寄った。

「時間はとらせねぇ。見るだけで良いんだ」

「なぁに、お前の家に何かするつもりは無ぇ。ただ、ちょっとばかり確認するだけさ」

「そうさ、お前は悪くないんだからな」

「隠すような物なんか、お前は持っちゃないだろ?」

「それは、そうだが……皆、なんかおかしいぞ?」

 戸惑うアリオンに男たちは無言で目配せを交わす。

 問答無用で扉を開かないのは、アリオンが短剣の家の当主だからだ。

 村の中に刻み込まれた血筋の上下関係。

 それでも常なら譲るところを退こうとしないのは彼らの意思で、決意だ。

 ギラギラ光る彼らの視線に戸惑いつつ、アリオンはこのままでは彼らの不満が爆発するだろう、無言で戸を開く。

「ただいま」

 久しく言わなかった言葉を奥へ投げかけたのは、予感があったからだ。

 返事は無かった。

「タレイア?」

 わずかな不安を込めて呼んだアリオンの後ろから、どやどやとすなどりたちが室内に踏みいる。

 蹴立てた砂が入り口にばらばらと散らばった。

「どこだ」

「探せ」

「隠れているかもしれん」

「見つけ出せ」

「お、おい……」

 殺気だった男衆の様子に家主が戸惑う中、すなどりたちはおろしてあった布を捲り除け、水瓶を動かし、隅に積んであった柴の山を崩し、脱ぎ散らかしてある衣服を蹴飛ばす。

「ここだ。黒い」

 幕の奥に入った男が冷えた床を指して声を上げる。

 タレイアを寝かせた場所だ。

 近くには彼女にかけておいた衣が雑に捨て置かれ、紅いリボンも落ちていた。

 拾い上げたリボンの冷たさに、アリオンはむっつりと唇をひき結ぶ。

(タレイアを探しているのか? なんで……)

 昨夜はあれほど近寄りたがらなかったのに。

 視界に入れるのも忌まわしいと言わんばかりの態度だったのに。

(いや、違う)

 嫌悪の情はまだ彼らの目に残っている。

 アリオンのジャカランダの瞳は、同胞たちから同胞だったものへ向けられる嫌悪を、恐れを見抜く。

 恐ろしいから排除する。

 恐ろしいから心を怒りで塗りつぶす。

 恐ろしいから耳をふさぎ、恐ろしいから群れをなす。

 悪では無い。

 悪では無いのだ。

 誰だって、悪い時と良い時があるだけだ――。

 アリオンは目をつむって、すぅと丹田に息を落とし込む。

 発声はうたびとの基礎。

「なあ、皆。ちゃんと話してくれ」

 ぴぃんと響く一声いっせい

 怒りの熱に濁るざわめきが刹那止み、アリオンに視線が集う。

 大の男の、それも多勢の視線だ。

 しかしアリオンは怯まず、黙って彼らを見回し、ひとつ、ゆっくりうなずく。

「大丈夫だ」

 告げた声は力強い。

「俺たちは同じ村で生まれ育って、同じ海に生かされる仲間だろう。困っているなら力を貸す。話してくれ」

 落ち着いた声で言い切った若者に、荒くれのすなどりたちは顔を見合わせ、ややあって気まずげに肩を竦めた。

 カッとしやすいのも彼らの質であったが、怒りが冷めれば引きずらないのも彼らである。

 お互いの脇を肘でつつきあい、ややあって気まずい表情で口を開いたのはアリオンより二つ年上の男だった。

「船が盗まれた」

「!」

 告げられた事態の重さにアリオンもさすがにぎょっとする。

 造船に不向きな柔く細い木しか生えないこの島において、村の貴重な財産である。

 一軒に一艘など夢のまた夢。

 長者の家に二、三艘。それを網子に貸し出して漁をする。それがこの村の船のすべてである。

 まして、先だってのスキュラの災いのため一艘失ったばかりである。

 ここで船をさらに失うことは、彼らの生活の、村の存続の危機に直結するのだ。

「朝、浜に出たら船が足りなくなっていた」

「流された、わけじゃないんだな」

「綱が解かれて、海へ押した跡も残っていた」

 事態の深刻さが能にしみてくるにつれ、アリオンの心の隅が疑問の声を上げる。

 それで何故タレイアを探すことになる?

(疑われて、いるのか)

 まさかという思いを込めて見つめ返せば、話すうちに怒りが再燃してきたらしい男は拳を握る。

「係留場所の近くに、黒いシミがあったんだよ」

「アレがやったに違いない」

「やはりアレは災いだ」

「落ち着いてくれ。今のタレイアは目が無いんだぞ? それに、男でも苦労する重さの船を動かせると思うのか?」

 なら誰かがアレを船に運んで、海に出したってことか。

 誰かがぼそりとつぶやいた。

 可能性としてはそれが一番高いだろう。しかし誰が――と、そこまで考え、アリオンは気づく

 いつの間にか皆が彼のことを見ていた。

 さっきまでとは違う色の目だ。

 哀れむような、優しいような、目。

「……え?」

 疑問は一瞬で諒解する。

(違う)

 まさかそんな。

(俺じゃ無い)

 違うんだ。すぐさま否定しようとした声は震えた息に変わって、音にならなかった。

 混乱した頭の中でいくつもの言葉がぐるぐると回る。

 タレイアは弱っているんだぞ、連れ出すわけ無いだろ。

 大事な船をそんな勝手に持ち出すわけ無いじゃないか。

 どうして疑うんだ。

 なんで。

 俺そんなことしないのに。

 気の毒なくらい青ざめたアリオンに、男衆たちはふっと顔を緩める。

「良いんだ、アリオン。そう自分を責めるな」

「それで良いんだ。船を失ったのは惜しいが……お前がしたことは正しいよ」

「何を、言って」

「ごまかすなよ。良いんだ、誰も責めやしない」

 アレを船で流して捨てたんだろ?

 つらかったな、と幼なじみのすなどりに肩を抱かれた瞬間、アリオンの中で何かがプチンと音を立てて切れた。

 力任せに振り抜いた右の拳が重い音を立て、頬を殴られた幼なじみの体が壁まで吹っ飛ぶ。

 ついでひっくり返した水瓶が派手な音を立てて割れるのを能の片隅で見ながら、アリオンは腹の底から怒鳴った。


「ふっ――ざけんじゃねぇ!!」

 


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