第16話 交差(6)

 アリオンの問いに、ロアンは少し考える。

 ナハルトが名乗らなかった――

 ともすれば顔すら見せなかったのは彼の意思だ。

 同胞の意思を尊重し、沈黙するべきか。

 それとも。


 なぜ 私と 思わない?


 読み取りやすいようにゆっくりと指で尋ねれば、

 アリオンは少し戸惑った顔をして、

 それから

 「なんとなく、手が、違う気がした」とぽつぽつと答えた。


「ロアンは親切だし、優しい。

 俺たちを救ってくれたこと、すごい感謝してる。

 けど、あの手はもっと、なんていうか……

 ただの親切じゃなかった気がするんだ。

 強くて、なのにちっとも怖くなくて、

 ああ俺もう大丈夫だって思っちまうような手で」


 親父に頭撫でられたみたいな。

 お袋に抱きしめられたみたいな。

 安心感。


「ロアンの手は違う手、だと、思う……ロアンだったのか?」


 アリオンの問いかけにかぶりを振り、

 ロアンはもう一つ質問を重ねる。


 知って どうする


 尋ねたロアンに、アリオンの表情の変化は劇的だった。


「一発ぶん殴る」


 ムスッとした顔で言われた一言に

 あまり普段動かないロアンの目が丸くなる。

「……女とか、子供とか、くたばりそうじゃ無ければ」

 小声で付け足された言葉に思わず笑む。

 なるほど。

「礼も言わせねぇで、女みたいなモン押しつけて

「助け逃げ」しやがったんだ。

 このまま引き下がれっか!」

 ロアンの笑みをどう解釈したのか、

 アリオンが子供のようにふてくされ、

 横で見守る翁がやれやれと言いたげに太い眉を動かす。

 口元に浮かんでいるのは笑みだ。

「まったく、頑固者が」

「礼の一つも言わせねぇのは、おかしいだろ! 命の礼だぞ!

 一言いわなきゃ気が済まねぇ!」

「やれやれ、この小童は……

 いい加減にせんか。マーレのお方が呆れてらっしゃる」

「けど! けど、おかしいだろ。

 罰があるように、たすけには報いがあるべきだ」


 報い。

 そんなものはきっとナハルトは望んでいないのだろう。

 彼はただ、愛した人を、愛して、愛し続けているだけで――

 己の行為を自己満足と割り切っている。

 見返りなど求めていない。

 けれど。


「じゃないと、さみしいだろ」


 自分たちよりも遥かに短命な地上人の子は憤っていたが、

 それ以上に、案じていた。


「知っているなら……どうか、教えて欲しい。会いたいんだ」


 瞑目。

 しばしの間。

 ロアンの指がすべる。


 ナハルト


 それをアリオンが読み取ったかどうかを確かめず、

 ロアンはザブンと海へ潜った。

 シャチたちがその後を追いかけ、

 嬉しそうにロアンの周りを泳ぎ回ったり、

 彼の長い髪をモグモグしたり、

 足に体をすりつけたり、

 きゃらきゃらと笑いあう。


 たのしかったね

 かなしいとまって、よかったね

 たのしかったね

 またあそぼうね


 無邪気な猟犬たちの言葉に

 ロアンの唇の端はほんの少しだけ上がっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る