第14話 交差(4)

 ロアンの優秀な猟犬たちはどう猛な笑みを浮かべ波を裂きおよぐ。

 隊列を組んで進むさまはさながら王者の行進か。


 三頭立ての戦車に立ち、黒白の軍馬を指揮するはかりゅうどロアン。

 蹴立てる水しぶきをものともせず、

 手にした三叉槍を雷光のごとく閃かせ、まなざし一つでシャチを繰る。


 その後方、青ざめた娘を抱えて続くはうたびとアリオン。

 奔り、踊り、駆け、自在に海を飛ぶシャチたちの背にすがり、

 星々をしるべに、帰るべき島を目指す。


 やがて、夜のとばりの裾にひとつの光がともった。


 さんざめく星々の中にあって、

 そのかがやきは弱くかすか。

 波間に浮き沈みするそれは変光星、妖精の火。

 めろめろと、

 金に、みどりに、色を変える。


 あれは翁の火だ。


 シャチの背で、うたびとが潮騒に負けまいと声を上げて叫ぶ。


 浜で拾い集めた海のにおいのする柴。

 それを燃やすと、ああして浅い海のような色の火の粉を散らすのだ。


 ならばめざすべきはあの火か。

 音なきかりゅうどのつぶやきに、忠実な猟犬たちは心得たと吠え、

 うたびとは娘をかかえなおして「たのむ」といった。


 青海原というにはいささか濃い色彩の水が果てまで続くなか、

 てまねく火にいざなわれ、

 疲れを知らぬ猟犬たちは狩人の命じるがまま駆けつづける。

 凪いだ海はそれでも波立たぬわけではなく、

 頭からしたたかに水をかぶってむせること数度。

 どれほど力強くしがみつこうとも、次第に疲弊して重くなる腕と

 奪われ続ける体温にアリオンの体が悲鳴を上げ始めた頃、

 水に棲むものと陸に棲むものの奇妙な連れ合いは、目指す島へたどり着いた。


 黒々と、暗々と、どうどうと、ごうごうと、

 夜をのみ、夜にとけ、渦をまき、渦を生む海へ迫り出した崖のたもと

 幾とせも重ね、うちよせる波が巌(いわお)を削り造った洞。

 星の光が差し込まないため中は濃い闇に満たされており、

 黒泥色の千枚岩が水と陸の境目をあいまいにしている。


 ちゃぷりちゃぷりと波が小さな音を立てる入江に尾びれを振って潜り込み、

 シャチたちは どう? ついたよ? ほめてほめて と、

 つぶらな瞳を黒真珠のごとくかがやかせ、

 青い髪の美しい水棲人の周りをぐるぐると泳ぎ回る。

 

 その背から唇を紫色に染めながら降りたアリオンは、

 気の毒なほどぐったりしていた。

 小柄とはいえ背中に人ひとり背負った状態で、

 常に海中に転落する危険と隣り合わせになりながら、帰る方角を探り

 真夜中の冷えた潮風とシャチたちの蹴立てる波にさらされ続けたのだ。

 アリオンが若く頑健なすなどりであったとしても、疲弊して当然である。

 水棲人であるロアンが息一つ乱していないのとは対照的だった。


 陸上にのこった彼らは、もはや二度と海の中で生きていけはしないのだ。


 それはともすれば愛しい少女との決定的な距離を連想させるようで、

 ロアンはかまえかまえとすり寄ってくるシャチたちの相手をしながら、

 そっと聞こえぬため息を水の上に落とした。


 アリオンは水を吸ってすっかり重たくなった衣を海水にくゆらせ、

 体を水中から引きずりあげるようにして岩棚によじ登る。

 赤茶けた藻に覆われた足場は滑りやすかったが、

 それでも彼は最後まで背負った娘を手放そうとはせず、

 試行錯誤の末、最終的に土の上に――地上人のすむ世界に戻った。


 岩場のなかでも比較的柔らかい苔の上に、

 黒ずんだ少女を壊れ物のようにこわごわ横たえ、息を確認してから

 疲れ切った、しかし濁りのないアリオンの目がロアンを見た。


 御礼かしこみ申し上げる


 まだ若干不格好な指話が、ロアンにことばを告げる。

 言い回しが大仰なのは、歌の一節をそのままもってきているせいだ。

 だが、指よりもアリオンのその目が、表情が、

 生き生きと明瞭にロアンへの感謝を告げていた。


 ロアンたちよりも短命で、脆弱な、地上の子は

 もりびとより授けられた短剣のはがねの如くまっすぐで曇りなかった。


 暗闇で笑う顔がまぶしく思えたのは、

 果たして夜と白い歯の対比のためだけか。


 きにするな。


 ロアンは指で応え、かまえと甘噛みしてくるシャチのあごの下をくすぐってやる。

 その一見冷たくも見える青い目が手元を見ていないことに気づき、

 アリオンはロアンの視線の先を追って首を振り向ける。



 金と緑に燃えるカンテラを下げた蓬髪の爺が立っていた。


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