第5話 うたびとはたくす

 他所よそから嫁いできた娘が先祖に居るという時点で察した人もいるだろうが、アリオンの属する「短剣の家」はかつて、この漁村でも指折りの名家の一つだった。この島では貴重な船を所有し、多くの網子も抱え、さらに家名の元となった「短剣の姫様」を交流のあった島から迎え入れてからは毎日のように漁にも恵まれ、いよいよ飛ぶ鳥落とす勢いであった――らしい。

 しかしその隆盛はもう過去のものだ。

 元々漁がふるわなくなった落ち目の長者筋であったことに加え、アリオンが幼子だった頃にあったとある事故で、短剣の家は網元であるアリオンの家族と網子たちが全滅。その後、短剣の家の最後の一人であるアリオンを引き取るすなどり(漁師)がとある事情で現われなかった為、折角の船も陸地でひっくり返った無用の長物となっている。

 財も人も失った名ばかりの長者筋。

 それでも村でアリオンを無碍に扱う者が無いのは、狭い漁村での仲間意識のおかげでもあり、年寄衆が未だ敬意を払う「短剣の姫様」の血を引いてるおかげでもあり、「俺ぁ親父と同じすなどりになるんだ」と嫌がるアリオンの首根っこをひっつかんでうたびととしてのわざを叩きこんだ崖の上の老人のおかげでもある。

 その事実を百も承知であるため、アリオンは不平をぶつぶつ零しながらも、今日も今日とてうたびととしての役目を果たす。



 ポポナウの手伝いに、「かがり火」の島へ人をると決めてから、村の者たちは忙しなかった。

 事情はどうあれ一度ケチのついてしまった祭の仕切り直しだ。海の男神への詫びも含め、今度の祭は前回以上の規模にしなければならない。が、しかし、一つの村にそこまでの余裕があるはずもない。蓄えを作るのが難しいのは、天候や漁獲量、潮の流れなど様々なことに左右される漁村共通の悩みだ。だからこそ、こう言ったときには互いに人を出して助け合うのがすなどりたちの暗黙の了解だった。

 男衆は渡す奉納品の準備や新たなを組む人手の提供を漁の合間に行ない、女衆は航海の安全を祈る文様を刺繍ししゅうしたり、貴重な赤の染め布を作るためのツルを集めている。ポポナウの手伝い――兼、火の女神の身代わりの候補でもある若い娘たちは、忙しないながらもどこか浮き立った様子で、一張羅いっちょうらを引っ張り出したり、唇に塗る紅を回しあおうと約束したり、誰が選ばれたらこうこうしようなどと耳打ちしてはきゃらきゃらと恥ずかし気に、誇らしげにさえずり合っていた。

 アリオンはと言えば、男衆に混じってすなどりに行こうとしたところに崖の上の老人の拳骨を脳天に食らって悶絶し、ゲラゲラ笑うすなどり仲間の眼前で老人と大喧嘩を繰り広げた挙句、不承不承、一日おきに翁の元に通って船出の歌の練習をすることを了承した。

 一度約したら、二言は無い。

 愚痴をこぼしつつ、約束通り翁の元に通うアリオンを見て、幼馴染たちは「お前も大人になったなぁ」と爆笑した。

 当然取っ組み合いの喧嘩になり、その最中に網を破いて久しぶりに老人衆へ並んで土下座する羽目になった。


 そんな風にして日が刻々と過ぎ。

 アリオンの元を一人の娘が訪れたのは、出航の前日の事だった。

 薪拾いという名目の子守りから解放され、板の間で仰向けになってさて昼寝するかという時分に扉をほとほとと叩かれ、アリオンは何事かと疲れた体を起こし、誰だと誰何すいかした。

「兄ちゃん、あたし」

「……タレイアか。待て、今開ける」

 ほんの少しだけ期待した展開には絶対にならない相手だったことに内心肩を落としつつガタつく扉を開けて、アリオンはどこから落ち着きのない様子でぽつねんと立っていた少女を「入れよ」と迎え入れる。

 タレイアは年頃の少女らしく、物がとっ散らかったアリオンの部屋に顔をしかめたが、珍しく小言も言わずに席に着いた。

 足を折って座り、服の裾を直す仕草にアリオン(大きくなったなぁ)とつい父親めいた感想を抱く。

 タレイアは今年十二になる娘衆で、村の子供たちの子守をしてきたアリオンにとっては彼が世話してきた子供たちのうちの一人である。

 日焼けて色の抜けた金の髪に、女としての自覚を持ちだした体。まだ頬に幼い丸みの残る顔はなかなかの器量よしだが、恋愛対象として意識するにはおしめを替えたり、おねしょの始末を手伝ったりと、子守時代の印象が強すぎて妹としか思えない。

(あの大股かっ広げて座ってウリ食ったり、イエスースを棒で追い回して泣かせてた子が、こうやって一人前の女みたいに座るようになるたぁなぁ)

 人は変われば変わるものだ、とアリオンは感慨に耽る。

 しかし、口に出したが最後、かつてのお転婆少女は壺で殴ってくるだろう。

 黙って笑いをかみ殺すアリオンの内心が透けて見えたのか、タレイアは一瞬般若の形相になったが、それをすぐさまきれいに隠して「ねえ、兄ちゃん」と甘えた声で話しかけた。

 その見え見えの猫なで声にアリオンは苦笑いしつつ「何だよ」と問い返す。

「あたしさ、ちょっと……頼みたいことがあってさ。兄ちゃんにしかできないんだ」

「そうか。で、何を借りたいんだ?」

 訊ねたアリオンに、タレイアは「えっ、なんでバレてん?」と素の顔に戻る。

「明日は船出の日だってのに、俺の所にコソコソ来てる時点でバレバレだ」

「ウソ、あの兄ちゃんが気づくなんて……」

「おい」

「じゃあ良いや! 兄ちゃん、ちょっと貸して欲しいモノがあんだけど!」

 コロッと態度が変わるタレイアに現金な奴めと苦笑いしながらも「言ってみろ」と妹分を甘やかしてしまうアリオンも大概シスコンだった。

 だが、次の言葉にアリオンは一瞬反応に詰まる。

「兄ちゃんの持ち歩いてるあの真っ赤なリボン、貸して!」

「……」

「かがり火ン所さ行くときに使いたいんよ。花にしようかと思ったけど着くまでに萎れちまうだろうし。兄ちゃんのリボンなら潮風さ当たっても大丈夫だろ? それに、いっとうきれいな赤だし。きっと誰も持ってないよ。そしたらあたし、身代わりに選ばれちゃったりして……兄ちゃん? どうしたん?」

 やっぱダメかなと不安げに聞かれ、アリオンは自分が険しい顔になっていたことに気づく。


 【マーレの人ら】。

 あの日崖の上のおきなからその名を聞いてからも、アリオンは結局何をどうすることもできないまま、ただ例の深紅のリボンを持ち歩いていた。

 なんとなく、家に置き去りにするのは違う気がしたのだ。

 かといって、こんな女のようなものを身に着ける気もしない。

 結局、手が塞がることを承知で持ったまま歩き回ることになり、すなどり仲間や、女衆に「熱烈だね」「恋文かい?」などとはやし立てられては顔を赤黒くしていた。

 それでも、家に置き去りにしなかったのは半ば意地だ。


 いったい何を考えてこんな物を寄こしたんだと、見るからに高価そうなものを渡されても困ると、自分をあの嵐の夜に引っ張り上げた腕の主に会ったら言って、突っ返してやろう。

 そう思って持ち歩いていただけだ。

 当然それはタレイアの目にも留まっていた訳で、むしろ今日まで譲ってくれと言いだすものが居なかった方が奇跡だろう。否、村人たちの優しさか。


(まあ、良いか……)

 男の自分が持ち歩くより、年頃の娘の髪を飾る方がリボンも本望だろう。

 アリオンはがしがしと頭を掻いて、握りしめていた深紅のリボンを「ほらよ」とタレイアに突き出す。

「良いの!」

「おう」

「やった! ありがと兄ちゃん! やっぱ兄ちゃん大好き! 戻ったらちゃんと返すね! じゃ!」

「返さなくて良いぞ……って、おい……ったく、まだ餓鬼だなぁ」

 扉ぐらい閉めてけよとぼやいて、アリオンは嘆息しつつ引き戸をガタガタと引っ張る。

 出航は明日だ。寝よう。

 かめの水をって飲み、アリオンはゴロンと床の上に転がった。



 着飾った娘たちを乗せた船は快晴の空の下、村人全員に見守られ、アリオンの歌が朗々と響き渡る中、海原に向かって漕ぎ出していった。

 晴れやかな顔の娘たちに混ざって、少し緊張した表情のタレイアの髪には深紅のリボンが飾られていて、昨日の礼のつもりか船べりから身を乗り出すようにして大きく手を振っていた妹分の姿に、海に落ちるんじゃないかとハラハラしたのは秘密だ。

 水平線に青く消えてゆく船を眺め、アリオンは笑む。


 それは晴れやかな、華やかな船出だった。

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