第3話 うたびとはさがす

「おい、クソジジイ。ちょい話聞かせろ」

「なんだ小童こわっぱ。また寝しょんべんでも漏らしたか」

「どんだけ前の話引きずってやがる!」

 砂まみれの素足で家の引き戸をこじ開け、大股に押し入ってきた青年――短剣の家のアリオンを飄々ひょうひょうたる笑みで迎えた崖の上のおきなは、潮焼けた顔を赤くして怒鳴った青年に呵呵かかと大笑した。

 どうもこのジジイは苦手だ。

 アリオンは苦虫を噛み潰したような顔をしつつ、「んっ」と手土産を翁の前に突き出す。

 ちゃぽん、と音を立てて揺れた山羊やぎ革の袋に翁が相好を崩した。

「おお! おしめの取れとらん小僧も、ちったぁ分かるようになったか!」

 喜色満面、受け取ろうと手を伸ばした翁の手前でスイッと濁酒どぶろくの入った袋を引っ込め、アリオンは「渡すのは話を聞いてからだ」とうなった。

 それに翁は目を見開き、

「嫌じゃ、嫌じゃ! 酒が無いなら俺ぁ言わん、なんも言わんぞ!」

「あー! もー! めんどくせぇなクソジジイ! 餓鬼かよ!」

 板の間に亀のようにひっくり返って、バタバタと手足を打ち鳴らして空泣きする翁に、もともと大して気の長い方ではないアリオンはがしがしと頭を掻きむしって叫ぶ。

 これだから嫌なのだ、この翁と顔を合わせるのは。

 だが、今回ばかりはどうにも引き下がるわけにはいかない。

 渋々濁酒の入った袋を献上したアリオンに、翁はころりと泣き真似を止めて起き上がり、「ほれ早くつまみも出さんか」とニタニタと歯の抜けた顔で笑いながら催促する。

 それに青筋をこめかみに浮かべながら、アリオンはドサリと炉端に持ってきた魚籠を置く。

 翁が覗き込めば、そこにはまだビチビチと跳ねるシンコが入っていた。

くりやぐらい貸せよ、クソジジイ」

 心底忌々しげに言い捨てたアリオンに、翁はお安い御用だわいと笑った。


 歯で噛むとぷちりと小気味良い音を立てる、引き締まったシンコの切り身。

 それをひしおと刻み大葉でざっくりと和えただけの簡単な料理を肴に、翁は上機嫌で濁酒をあおる。

 それをじっとりした視線で睨みつつ、これもまた持参した干し魚をかじり、欠けた素焼きの椀に盛った麦飯をわしわしとかきこみながら、アリオンはまだ話を切り出せずにいた。

 元より口の立つ性質ではない。言葉より手が早いのがすなどりの性だ。

 家を出るまでは何としてもこの妖怪から吐かせようと息まいていたものの、いざ翁を前にしてみれば、どうにもこうとしていたことが阿呆の所業のように思えて、アリオンはむっつり口をへの字に結ぶ。

 そんな青年を後目に翁は水のようにとっときの濁酒を飲み、満足げにげっぷをする。

 そして、突き出した腹を撫でながら、聞いた。

「マーレの人らに礼は言ったか」

「マーレ?」

「お前さんが後生大事に握りしめとる、それを下すった方のことだ」

 それと指されてアリオンは腕に巻いた、無骨な海の男には不似合いな美しい赤のリボンを握る指にギュッと力を込めた。

「マーレ、ってのがコイツを俺によこした奴の名前か」

「かーっ! あったま悪いのぉ! マーレの人つったろう。個人の名前の訳があるか。それぐらい悟らんかこの阿呆。これが今代のアリオンかと思うと、俺ぁ情けなくて涙が出るわい」

「その阿呆にお役目をおしつけやがったのは、どこのどいつだクソジジイ」

 ギリギリと歯噛みした短剣の家のアリオンに、先代のアリオンはケケケと歯茎を剥きだして笑った。

「おぅおぅ、もしかしてまだ『すなどりになるぅ』などと寝ぼけたことを言っとるのか?」

「てめぇの腹ン中に入ってるやつは俺がってきたこと、忘れんなよ。で、そのマーレの人らってのはなんなんだ。かがり火の連中とはまた違うのか」

「違う。だが、違わん」

 残り少なくなった濁酒をちみちみと味わいながら、翁は目を細める。

「短剣の家に生まれたお前がマーレの人ら世話になるか……これもまた縁かの」

「……。おいクソジジイ、あんたが語る気がねぇのは分かった。腹に入れた酒を返せとは言わねぇが、代わりにいっこ教えろ」

 茶碗を床に置いて、ぐいと膝を進めてアリオンは訊く。

「命の礼に、何をすりゃ良い」

 強情さとまっすぐな気性が同居する、若いアリオンの目を酔眼で見返して、翁は「んなこた、決まっとる」と酒臭い息を吐き出す。

「どうもありがとうございます、と懇切丁寧に頭下げて、毎日元気に飯食って、クソして、寝て、嫁でも貰え」

「はぁっ? おいクソジジイ、俺ぁ真面目に聞いてるんだ」

「はぁ、やれやれ。お前さんはホントに阿呆じゃのぅ」

 気色ばむ青年を呆れたような目で見やって、翁は知らん顔で酒を呷る。

 もう一杯とひっくり返した山羊革の袋からはもうぽたぽたとしか雫が落ちず、チッと舌打ちして、翁はアリオンの目の前にあった干し魚を遠慮なく奪い取り、バリリと奥歯で噛み千切った。

 抗議の声は当然のように無視だ。

「俺がアリオンだった時ゃあ、女衆にひっきりなしに誘われたもんだが、お前さんと来たら浮いた噂の一つもありゃしねぇ。短剣の家にこんな根性無しが生まれたとあっちゃあ、海に還った連中も、お山にいらっしゃる短剣の姫様もさぞかしお嘆きだろうよ」

「うるせぇ色ボケ。良いから、せめてどこにいるのかぐらい教えろ。頭下げんにも、場所が分からにゃ下げようがねぇ」

「知らん」

「はぁっ?」

「知らん知らん。俺ぁなぁんも知らーんわ! それぐらい自分で探せい」

「ああ、くそ、役に立たねぇなクソジジイ!」

「あん? なんじゃ小童。やるか? あぁん?」

「上等だこら」

 拳を床にたたきつけたアリオンに、翁は凄まじい笑みを浮かべ、どれと腰を上げた。


 アリオンの右頬にできた青あざが消えて、さらに月が二回ほど満ち欠けした後。

 かがり火の連中の所で火の女神の身代わりの娘が逃げ出したとの噂がアリオンの耳に届いたのは、そんな季節の頃だった。

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