第2話 うたびとはおくる

 アリオン。それはうたびとに代々受け継がれる称号。


「アリオン! 浜にお客が来た!」

 すだれを跳ね上げて叫んだ仲間に、彼は網をつくろっていた手を止めてしかめっ面をした。

「俺をそう呼ぶんじゃあねぇよ。俺ぁすなどり(漁師)になるんだ」

「まだそんなこと言ってるのか? 良いから早く来いよ、みんな待ってる!」

 言うなり返答を待たずに走って去っていった仲間に彼はチッと行儀悪く舌打ちし、視線を浮き玉などを吊るした壁の一画に向ける。

 男一人のむさくるしい小屋には馴染まない、赤いリボン――あの沖にけぶるような雨が降っていた夜、浜に打ち上げられた自分の手にあった物。どうして、いつ握ったのかも分からないそれを彼は今もどうして良いのか分からない。

「わぁったよ……行くさ、お客を待たせる訳にはいかねぇもんな」

 ゴリゴリと頭を掻いて、彼は壁に並べた銛の合間から美しい短剣を一振り取った。


 浜には黒山の人だかりができていた。

 そして、輪の中心には卑小な人よりもはるかに巨大な体をもった「お客」が枯れ色の砂の上に横たわり、尾びれだけを波打ち際に浸していた。

 黒く、知性を湛えた優しげな眼はじっと己の定めを見ているようでもあり、集まった漁師たちを見守っているようにも見える。

 美しい流線型の体。

 しかし、漁師たちの暮らす地上には適さない。

(立派なお客だ。さぞや名のある海のものだったんだろう)

「遅れてゴメンな。よぅ耐えてくれた。今、おくるからな」

 固く乾き始めている体を撫で、彼は表情を改める。


 すぅっと吸い込んだ息は濃厚な潮の匂い。


 emu ha hunabina yusisukuru azia ha nadayatu ra

(海の人々 優しき隣人の友達よ)


 tikiri na kiridan nomeru nu tekisonisiu

(力と 体を 眠りに就かせなさい)


 initiha tukiriga wozawou na niru initiha mun mesubame mionu

(あなたの力が災いとなり あなたの身をむしばむまえに)


 inithiha timonu etiumi-suxyoe

(あなたのために歌いましょう)


 yusisuu etin kiasuxyaha etin

(優しい歌を 感謝の歌を)


 hekiu nigekun nakuhinitu kinisumuha kukaken tetemu

(深い嘆きを解き放ち 悲しみの記憶を包み)


 initiha sasawan miyaretimo nigau nomerun itiomi-suxyoe

(あなたの心を守るため 永い眠りを与えましょう)




 波の寄せては退く音。

 海の方から吹き寄せる風に、はらからの声が混ざる。

 かぉん

    かぉん

  かぉぉぉん

 それは別れの挨拶。眠りに就く仲間への言葉。

 ふしゅん、ふしゅんと、沖の方から白い吐息が旗のように吹き上げられる。

 遠目にも分かるしなやかでうつくしい巨体が、どぉんと天と海の境目で弧を描き、再び母なる海へ帰ってゆく。


 さようなら さようなら またいつか それまで いまは おやすみなさい


 歌の最後の一音が長く尾を引いて潮騒しおさい合間あわいに消えると、いつの間にか波間に顔を出していたイルカたちがサッとまた顔を隠し、背びれで白い波の線を引いて沖合へと戻っていった。

 彼はそれを見送って、それから腰に下げた短剣をゆっくりと引き抜く。

 これから、お客を集まった人々に切り分ける仕事が待っている――

 これがうたびとアリオンのお役目なのだから。



 沈むように眠ったお客に感謝の歌を。

 お客を遣わしてくれた海に畏敬いけいの歌を。

 お客の体は仲間たちの中に形を変えて宿り、

 そして仲間たちは海へまたぎ出し、海へまたかえり、

 返した仲間たちは水の底で溶けて海となり、

 そうして漁師たちを生かし続けるだろう。

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