50歳の私と40周年の道場のこと

 2016年12月1日、新しいビルでの勤務が始まりましたが、初日から「えらい所に放り込まれてしまった」と真っ青になってしまいまい、3日目には早くも鬱になってしまいました。それくらい大変な所でした。だって5時台の電車に乗らないと朝礼に間に合わないんですよ。


 朝礼は7時40分からと言われてましたが、実際には7時30分には集合して整列していたり、10分前行動が基本と紙に書いて控室に貼り出してあっても実際は15分前行動だったり。30分立哨を場所を変えて3箇所連続つまり90分連続立哨したり。


 市原先生が電話で言ってた「あそこは大変だぞ」の意味がよく分かりましたが後の祭り。

 入退館の手続きは入口毎、業者毎、グループ会社毎に異なり、ミスをすればセキュリティ上の事案発生として報告が総務に上がりますので神経使います。しかも例外が多い。ミスを誘発させるような変更が頻繁ひんぱんに発生する。

 配属されて3週間経って、ようやくポケットに常備したメモ帳見ながらなんとか仕事ができるようになりましたが、プレッシャーはその後もずっと続きました。


 前の職場との一番の違いは、こちらに決定権が一切無い事でした。

 以前の場所では基本的に1人勤務の体制でしたので、なんでも自分で判断して自分で決定していかねばならず、逆にあれこれあっても上手いこと処理すれば何も問題がなかったわけです。

 ところが新しい職場では、何かあればすぐに上長に報告して判断を仰ぎ上長からの指示を受けてから行動する必要があります。

 ちょっとした事でも自分だけで処理すると「何勝手に判断してるんだ!」と怒られてしまいます。この違いに慣れるまでに時間かかった。

 前の職場はまだ「守衛さん」と呼ばれて当然という感じでしたが、こっちはまるで軍隊です。

 聞けばこの現場、配属されても長続きする人は少なく、しかも総勢40名以上いるのメンバーの3分の1が元自衛官だそうで、こりゃみんな長続きしないわけだ。


 それと、前の職場は私より10歳以上年齢が上の、定年前後の人ばかりでしたが、新しい職場は私より10歳以上若い人ばかり。8年間勤めているうちに、こちらが50歳近くなってしまったのもありますが。

 とにかく、「仕事ができる若手」が一夜にして「仕事ができないオジサン」になってしまったのです。ショック大きかったですね。


 しかも配属されて2カ月後に、更に信じ難いことが起きます。

 まさにジョジョのポルナレフの台詞状態でして


「あ…ありのまま 今、起こった事を話すぜ!。おれは、NTTのグループ企業で働いていたと思ったら いつのまにか某有名警備会社の社員になっていた。な…何を言っているのかわからねーと思うが」


 説明するとですね、私が入社した会社は、警備会社というより「NTTグループで通商産業省や郵政省、総務省の管轄下に属さない、警備や食堂や売店、駐車場管理に電柱の広告といった、雑多な事業の集合体」でして、その中の警備事業部に所属していたわけです。そこが上層部の判断で事業部ごと某警備会社に売却されてしまった。一応は共同出資で新しく警備会社を作ったという形にはなってますが。当時の日経新聞にも掲載されました。


 さて、前の職場では初日に市原先生と出会い最終日に市原先生と会話ができました。精神主義を通り越して神秘主義の発想になりますが、間違いなくそこで仕事をする必要があり、そのサインとして市原先生との関係があったとするなら、この新しい職場は一体何の意味を持つのだろうか。辞めるべきか続けるべきか。判断は難しく悩みながら仕事を続けていきました。

 ただ、前の職場での私の評価は間違いなく高く、空手と柔道の黒帯という事もあってこの元自衛官だらけの職場に放り込まれたようで、ここでドロップアウトしたら前の職場と道場に泥を塗ってしまう、それだけは何としても避けたかった。

 そうこうするうちに4月となり、息子は中学校に、娘は小学校にそろって入学。そしてあれよあれよという間に配属されて1年が経ちました。

 高層ビルのため2時間もかかる深夜の巡回にも身体が慣れてきます。


 2018年1月末、私の50歳の誕生日に、上野の森美術館で「生頼範義展」に行きました。私が高校生の頃から読んできた平井和正や小松左京の書籍の表紙の原画を生で観る事ができて、至福の時間でした。虚弱体質の少年が平井和正の小説と出会いウルフガイやゾンビーハンターを読まなければ、拳法に興味を持たず身体を鍛える欲求は湧かなかったろうなとあらためて思う。ずいぶんデコボコした半世紀の人生であります。


 その2カ月後、2018年3月31日、国際松濤館創立40周年記念パーティーが京王プラザホテルで開かれました。

 そこに出席していた友人「Y」から、市原先生が入院中であると聞かされます。

 癌の手術のためかと思ったが、そうではないとの事。


 直接聞いたわけではないし、確認してもいない事をここで書くのははばかられるのですが、「C・W・ニコルさんも実際に出会ったイギリス柔道の父、小泉軍治氏と同じ」とだけ書く事にします。


 そしてその3ヶ月後、「Y」から市原先生の訃報を知らされます。

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