柔道を始めたこと その2

 今回は柔道を始めて気づいた事を書きます。

 空手ならひじが入る間合いから始めるわけですから、当然ですが戸惑いも多かったです。


 自分の感想を正直に言いますと、「やって良かった」ですね。

 松濤館の間合いは相手が刃物や棍棒などの武器を持った想定の間合いだと思います。もちろんそれは重要な事なのですが、都市部のいさかいごとは電車の中とかの近接距離から始まる事も多く、例えるなら映画「椿三十郎」のラストシーン、すでに互いの間合いに入った状態からスタートするようなパターンが多いと思うんです。

 それと、空手を学ぶ人全てに判りやすく例えるなら、映画「黒帯 KURO-OBI」のラストバトルですよ。あの状態、攻撃を受けられしのがれ互いに転がって掴み合いにもつれ込んだ時、その状態での攻め方逃れ方を知ってるか否かで勝敗が別れます。

 そこまでの窮地に普通の人はなることは滅多にないでしょうが、その対処ができるという事実は自信に繋がりますし、自信は余裕に、余裕は相手への心理的優位に繋がります。


 いや、「空手をしっかりやっていれば他の武術を学ぶ必要は無い」と言う方もいると思います。それは否定しません。空手を追求すればあらゆる局面への対処も可能かもしれません。

 でも、神ならぬ身である側からすれば、空手以外の武術を学ぶことは有益だと思うわけです。体重計はどうやっても身長は測れません。だからといって体重計に価値が無いわけではありません。それどころか身長と体重が判れば体脂肪率が判るのです。(いい事言うなあ、さすが俺だ)


 あ、そうだ。「金澤弘和『館長』のこと その3」でも書いた、道場で教わった事の無い市原先生の蹴り、それが柔道の出足払いだと気づいたのも柔道を習った収穫でした。

「拳児」でも、ショートレンジの八極拳を学ぶ者は、ロングレンジの劈掛拳ひかけんを併せて学ぶとあります。ロングレンジの松濤館に近接戦の柔道の組み合わせは、小銃の銃口に銃剣を取り付けるようなものかもしれません。


 ところで、これだけは柔道をハッキリとうらやましく感じた点があります。それは、自分たちが道場でやっている稽古が、オリンピックまで真っ直ぐ地続きであるという事です。

 様々な流派やルールが並び立つ空手では、この感覚はないので、これに関しては本当にうらやましかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る