ダウンしてからのこと

 うつでダウンしてから1週間ほどは、全く使い物になりませんでした。

 女房が派遣で働きに出ていたので収入が完全にゼロになりはしなかったのですが、主力であるべき旦那が無職無収入になったのは情け無い事この上ない。当時庭付きの借家に住んでいましたが、女房が息子を保育園に預けて仕事に出た後、家に一人だけになると、自分の家なのにまるで不法占拠しているような気分になりました。

 無職無収入で年を越すことが決定した2007年(平成19年)の12月、子持ちの39歳。肩身が狭かったですね。

 引きこもって1週間過ぎてから、少しずつ回復してきました。朝は女房子供と一緒に家を出るようにしました。保育園に子供を預け、女房を駅まで見送ります。その後は1人でトボトボと帰るわけですが、結果的にこれが回復を早めたのかなと思います。朝普通に起きて陽の光を浴びて日中帯に活動する。女房の負担を減らすために洗濯と晩飯の調理をする。鬱は気合いと根性ではどうにもならない代物で、誰かが言ってましたが「脳の骨折」です。時間をかけて動かさずに治療し、動くようになってからもリハビリが必要。

 まあ基本的に、責任感の強い人が鬱になるので、鬱になった途端に会社辞めて、悪いのはこっちじゃなく全て向こうだと考え始めた私は回復もやたら早かったです。無責任なのも悪いことじゃない。


 で、時間だけはあるのでいろいろ考えるようになります。

 鬱について書かれた本も結構読みました。「ツレがうつになりまして」も読みましたね。この数年後、テレビドラマ化され映画にもなりました。

 それから当然、私の次の仕事をどうするかも考えます。

 まだ3歳未満の息子を駅前の保育園に預け、それから家まで歩いて帰る途中、中学生くらいの制服を着た子供たちの通学風景が目に入ります。またIT業界に戻ったとして、うちの子があの年齢になってもやっていけるか? 運良く資格が取れたとしても、IT業界のシスコシステムズやオラクルなどの有力な資格は3年しか期限がない。3年後に再試験です。しかも技術は進歩しています。ついていけないだろうな、と自分の中で結論が出ました。

 よし、選択肢からIT業界は捨てよう。自分を「ITに詳しい者」として、どこかに正社員として潜り込もう。生活の安定を第一に考えよう。でも来年40歳になる人間が正社員になれる道はあるのか?

 この段階で、書店に並んでいる転職情報誌も選択肢から外しました。狙ったのは駅などに置いてあるフリーペーパー。これを片っ端から集めて募集要項をチェックする。私でも長続きできそうな職種を探す。自分の性格からして営業職は無理だろう。自動車免許は持ってるがペーパードライバーだから仕事にはできない。特に履歴書に書ける免許も資格も無いのはツライなあ。何か人が持ってない資格とかあれば履歴書に書けるんだがなあ……。


 あった! 俺空手の黒帯だ!


 こうして、「警備員」という職種にターゲットを絞り、再就職を目指しました。

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