父親になること その1

「お二人とも大塚道場で登録しました。大会出てください」


「はい?」


 鈴木先生から言われた言葉の意味が一瞬わからなかった。

 それが、夏の全国大会へのエントリーだと気づいた時には軽くパニックになりかけてしまった。マジかよ! しかも夫婦2人して! はじめたばかりの女房とブランクあるペーパー黒帯の私だぞ!

 9級の女房に必要な型をキッチリ教え込む自信はあったが、肝心の自分自身が初段に必要な型を忘れてしまってるのだ。まさに自業自得で自縄自縛なのだが、自問自答して自学自習でなんとかなるだろうさすが俺だと自画自賛するのだった。もはや自暴自棄だ。


 さて、そうは言っても稽古は楽しい。仕事は忙しいがなるべく大塚の稽古には参加するようにしたし、オフの日も女房に稽古をつけるようにしていた。自分の方も昔コピーした型の教本部分を引っ張り出して、黒帯として恥ずかしくないくらいには型を演武できるよう必死に復習していた。


 そんな時、女房が言った。

「赤ちゃん、いるかも」

 へ?

 そりゃ、まあ、毎日やることやってれば自ずと結果は出るわけで。

 ホント?

 まず検査キット買ってきて試さなきゃ。

 え? ある? やってみた? どうだった? 線が出た? てことはアタリ? いやまて、慌てるな、もう1本あるなら貸してみろ俺も試すから。


 はい、慌ててたみたいです。


 とにかく病院行かせました。

 結果、妊娠が判明。

 そうか、俺も父親になるのか。

 なんか信じられないな。

 この時、すごくフワフワした感じになったのを覚えている。


 その日の夜、いつものように女房に空手を指導していたら、昨日までと違って腰が引けている。というか、お腹をかばっている。「もっと腰を出して」と指導したら女房から無茶苦茶怒られた。そりゃそうだな。

 ハイ、とにかく稽古は中断。お腹の赤ちゃんが第一です。

 さて、鈴木先生に女房の試合出場辞退を申し出なきゃな。

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