C・W・ニコルさんのこと その6

 今回は予定を変更して、C・W・ニコルさんの事を少し書きます。

 これまでにもニコルさんの事、1993年の黒姫での合宿の事を書いてました。市原先生が合宿に参加していないのにもかかわらずニコルさんの事ばかり書き過ぎたかなと思っていたのですが、まさか亡くなられるとは。


 ですので、武道家としてのニコルさんについて記録を残す意味からも、私の見たニコルさんについて、もう少し書かせてもらいます。


 ニコルさんは黒帯取得後に移住先のカナダに戻り、その後エチオピアへ行き、シミアン国立公園で野生動物の保護省の管理官を務めました。密猟者を取り締まるわけですから当然敵も多くなります。1967年頃、エチオピア最後の皇帝、ハイレ・セラシエの時代です。


〈エチオピアでは、二人の素性の知れぬ暴漢が、鉄のこじりをつけた棒で背後から襲いかかってきたが、私はその一人を殺し、もう一人に重傷を負わせた〉


 ニコルさんの「私のニッポン武者修行」の序文にある一節です。

 この件については「バーナード・リーチの日時計ー青春の世界武者修行」(角川選書)の中で一章を割いて書かれています。是非お読みください。


 自分を襲ってきた密猟者を一人、蹴りで殺してしまった。その事でニコルさんはずっと悩み、それを再来日した後に日本空手協会の中山正敏先生にうちあけます。

「でも君は(反撃できて)生きているんだろ? それでいいじゃないか」

 中山先生からは、そう言われたそうです。

 黒姫合宿の夜、ティピ(ネイティブ・アメリカンの大型テント)の中で、ニコルさんはしみじみと述懐じゅっかいしてました。


 この時、金澤館長(当時)がニコルさんに「中山(正敏)先生も既に亡くなられてしまい、高木(正朝)先生もかなりの御高齢だ。ご挨拶に伺うなら早い方がいい」と語っていました。


 その言葉、金澤先生もニコルさんも亡くなられた今、痛いほど判ります。

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