1994年の世界大会のこと その2
1994年(平成6年)10月29日と30日の2日間、横浜で世界大会が開催されました。
開会式は館長の挨拶から始まります。マイクの前に立った館長が「今日は世界各国からはるばる日本まで来ていただき云々」と言って一区切り。次いで通訳の人が英語に訳したスピーチをする、はずでしたが、何故か通訳の人がマイクの前にいない。気まずい空気が会場に広がり出した直後、館長はにこやかに手を広げ
「サンクスカミング」
ドッと笑いがおこり、次いで選手団が一斉に「OSS!」と返す。ああ、この一体感こそがセンセイ・カナザワとSKIF(国際松濤館空手道連盟)だよとうれしくなってしまう。
2日間に渡る大会は、負傷者は出たけど無事終了。
館長がニコニコしながら試合を見守り、市原先生が審判として睨みをきかせ、総本部の先生たちが必死になって勝ち上がる。今更ながら、凄い環境で稽古させてもらってるんだなと実感。
個人組手は優勝・村上学現最高師範、準優勝・金澤伸明現館長の揃い踏みでした。
さて、大会終了後、選手のみなさんは、そのままバスでセザール修善寺に移動して一泊。
そしてなぜか私も選手じゃないのにちゃっかり参加。
だって館長が「大会に出られない方々も、せっかくの機会ですから是非参加して下さい」というから、真っ先に参加表明したんですよ。結局選手以外での参加は私だけだった。
金澤弘和館長は選手たちに紛れている私を見つけて「あなたみたいな人がもっと増えてくれるといいのですが」と言ってくれる。まあ私みたいなお調子者はそんなに増えないとは思う。
浴衣姿でくつろぐ世界各国から来てくれた人たちと、ブロークンイングリッシュでワイワイ語り合うのは本当に楽しかった。楽しすぎてダックウォークまでやってしまい結構ウケた。
一番衝撃的だったのはロシアから来たという選手。見た目が我々日本人と変わりない。その事を質問したら、一言「サハリン」と返され、絶句してしまった。
今はいい時代です。隣国の文化を自由に学び、互いに自由に行き来できる。この時のロシアの大統領はあの呑んだくれだったが、今の大統領は柔道の黒帯です。まあ確かにいろいろあるけど、文化交流に制限がないというのは、やはりいい時代です。
11月1日、御殿場を観光した後、久が原までバスで移動、解散しました。
観光バスが大きくて、道場前に停められないので、駅の反対側の大通りに停めて、我々は商店街を歩いて道場まで移動。
様々な人種民族の若い男女の集団が整然と移動しているのを商店街の人たちが興味深く見ている。話し声が聞こえてくる。「あの人たちみんな空手の……」「そうだね、あそこの道場の人だよ」「やっぱりみんな強いんだろうね」
そうか! 俺も強く見られてるのか!
当時はそう感じて単純にうれしかったけど、冷静に考えるとうっかり八兵衛のポジションだな私は。
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