金澤弘和「館長」のこと その2

 金澤弘和前館長の特徴を表す言葉に「人格者」があります。

 これ、いろんな人のめ言葉に使われていて、正直「褒める内容が無い人向けの褒め言葉」と思わないこともないわけです。

 ところが金澤弘和前館長に関しては、接した人は例外なくその「人格者としか言い表せないパーソナリティ」に魅了みりょうされました。

 C・W・ニコルさんもその一人です。ニコルさんの「私のニッポン武者修行」から、金澤弘和前館長について書かれた部分を以下に引用します。

〈それまで私は、肉体的な恐怖感でもなければ、感謝や感嘆の情からでもなくて、人を尊敬したことは稀だった。私のカナザワ先生に対する尊敬の念は先生のやさしさによるものであった。私はそのやさしさをこそ学びたいと思うようになった。〉


 実際、空手はその特性から、道場生も師範も性格が「剛」の方にかたよりがちですが、金澤弘和前館長はめずらしく「柔」の側でした。数ある空手指導者の中でも、かなり特殊な立ち位置にいたと思います。


 以前、昇級昇段審査の後(たぶん前々回に書いた1993年末)に、少年部の道場生の母親が、伸明先生(現館長)に「子供の頃は館長先生に叩かれたりしたんですか?」と質問してました。その時の現館長の答えは「父は叩く事は無いですが、一度だけ叩かれました。その時は部屋の反対側まで吹っ飛ばされました」

 うーむ、うかつにリミッター外せない人は怒る時も大変だ。


 その、人を叩かない「突き蹴りの専門家」は、自分の息子(三兄弟のどなたかは失念しました)が学校で教師から叩かれた時、学校まで抗議に出向いたそうです。人が人を叩くという事がどういう事か、その非を説いたそうで、先生も面食らったと思う。これ、道場で前館長自らが語ってました。


 金澤弘和前館長は、また哲学者のようでもありました。

 ある時、稽古の最中にこんな事を言われました。

「数字にも一つ一つ意味があるんです。この世界は無から始まった。無から有が生まれた。0から1が生まれたわけですね。そして無と有、陰と陽の対立する概念が生まれた。これが2です。陰と陽は天と地、そこに第三者の視点が加わり天地人、3が生まれます。それから四大元素、五大元素が生まれ、6が人間です」

まだまだ続きましたが、忘れてしまいました。すみません。


 ある時は、稽古の最後の訓示で、「人に対して優しくならなくてはなりません。どうすれば優しくなれるか。それは空手をしっかりと稽古することです」と言われました。この時は正直、まーたなんでも空手に結びつけてもー、と思ってしまいました。

 ですが、続く前館長の言葉は、おごれる私の脳髄のうずいに正拳突きを食らわせたのです。


「自分が強くならないと、人の荷物を持ってあげる事はできませんから」


 ごめんなさい、私が間違ってました。こんなに説得力のある言葉は後にも先にも聞いた事がありません。


 それに比べてと言いますか、市原先生の性格は「剛」一辺倒。

 いやほんとに、空手の剛の部分だけを集めて煮詰めて固めて人の形にしたような、そんな人でした。


 その剛ばかりの市原先生ですら惚れ抜くほど、金澤弘和前館長の剛の部分もまた物凄かったわけです。

 市原先生は、ある時飲み会で我々に、「いいか、自分が動いていない時も、自分より上手い人の動きをちゃんと見ておくんだぞ。上手い人の動きを見てないと自分も上手くならないぞ!」と言った後に自分で首をひねり「あまり上過ぎても参考にならないか。自分より少し上手い人の動きを見るように」と言って親指をピンと立てて「アレ(金澤弘和前館長)はバケモンだからな」と笑ってました。


 そりゃね、重ねた板のうち指定した部分の板だけ割るとか、遠い間合いから気合いと共に頭上を飛び越えて軽く背中を蹴られて、振り返るとまた遠い間合いで構えているとか、そんなもん参考になりませんもん。

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