C・W・ニコルさんのこと その3

 黒姫に到着した日の午後、さっそく稽古です。

 ニコルさんの案内で、屋外の広場に移動します。

「道場の平らな床とは違う、石や草がある場所で、すり足はできません。それをわかって欲しい」

 わかります。エチオピアのシミアン国立公園で密猟者を取り締まっていた時、どんな体験をしたか、「バーナード・リーチの日時計」を読んでましたから。


 空手着に着替えた私は、スニーカーを履き、手にナップサックを持って広場にいた。稽古を始めるまで少し時間がある。

 私は空手着姿のニコルさんに近づいて、もう何年も何年も前から何度も何度も言いたかった事を、直接伝えた。


「ニコルさん、私はあなたが書いたこの本を読んで空手を始めました」


 ナップサックからニコルさんの「私のニッポン武者修行」を取り出した。病院のベッドの上で読み込んだ本だ、と言いたいところだが実は違う。読み込んだ本は確か西崎にあげて、これはその後に買い直した2冊目。


 サインペンを持ってくればよかったが、そこまで頭が回らなかった。ボールペンでサインしてもらう。


 岡山に戻った西崎の分もサインしてもらう。彼も「拳児」とニコルさんの本を読んでから空手を始めたのだ。とりあえず、私が持ってる本にサインもらって、西崎に渡そう。そう考えて持ってきた2冊目の本は「北極探検十二回」だった。これ、変わりゆく北極とイヌイットの姿を描いた、少し悲しい傑作です。

 この本を取り出した時、ニコルさんは「私のニッポン武者修行」を出した時より驚いた表情をした。

 以下、ニコルさんが私に語ったことを、正確に記します。


「ありがとう、この本、売れるとすごくうれしい。この本のお金、全部植村直己さんの家族に入る。だからこの本が売れると、私一番うれしい」


 私は、ただただ頭を下げることしかできませんでした。

 この人の本を読んで空手を始めた事を、内心誇らしく思いました。


 この直後、ニコルさんと一緒の写真を他の道場生に撮ってもらいました。ガチガチに固くなってる茶帯の私がニコルさんの隣に写っています。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る