総本部放浪時代のこと その1

 さて、話を戻します。


 1992年(平成4年)3月、国際松濤館総本部は、四谷の鈴伝ビルの地下から退去しました。以前から計画されていた新本部道場への移転のためです。

 新本部道場は国際松濤館を支援してくれているマンションのセザールが用意してくれるとのこと。きっと「拳児」に描かれたような、立派なビルが本部になるのだろうと、この春に大学卒業して社会人1年生になる私は勝手に想像しておりました。

 四谷の総本部道場に通い始めて早一年。この後の3月末の審査で6級になりました。やっと帯に色がつきました。緑帯です。嬉しかったねえ。

 色々あって私が引っ張り込んだ友人の西崎も、四谷道場の残り1カ月を体験しました。

 四谷道場最後の稽古の後、全員で並んで撮影した写真が、会報「天地人」にも載りました。当時まだ帯は白いまま。


 で、本来なら予定通り新本部道場へ移るはずだったのですが、そうはならなかったのですね。バブル経済が弾けたため新本部道場が入る建物の完成が遅れてしまっていたのです。そのため、世界的な大組織の総本部が物理的に存在しないという事態になってしまいました。


 で、どうしたかというと、あちこちを転々としながら稽古を続けてたんですね。

 セザール側が責任感じたのか、セザールのマンションの空きテナントを稽古場所として提供してくれました。たしか五反田駅近くのマンションだったかと思います。

 道場はともかく本部事務所がどうなっていたのかは私にはわかりません。


 とりあえず稽古の場所は確保できました。夜の7時からマンションの空きテナントに押忍の声が響きます。稽古の最中、下の階の飲み屋から苦情が入ります。

 もう少し静かにして欲しい、との苦情です。

 店の人が下がってから、市原先生は言いました。

「構うこたぁない! 今まで以上に声出していけ! 」

「押忍!」

 別の日に、また苦情が入ります。

 振動でレーザーディスクカラオケの針が跳ぶ。もう少し静かにして欲しい。

 今度も市原先生は言いました。

「構うこたぁない! 今まで以上に力入れてやれ!」

「押忍!」

 こんな事やってるから、また別の場所に移動することになるわけです。


 次は大崎駅前の公共施設に移動します。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る