国際松濤館と市原先生のこと その3

 市原先生と金澤弘和館長がいつどのように出会ったのか、私は知らないのです。

 年齢差が一回り以上ありますので、市原先生が高校時代に空手の稽古をしている時には、金澤弘和館長は既にイギリスに行っていたはずです。でも帰国した時に直接指導を受ける事はあったのかもしれない。

 そこら辺、想像で語っても仕方ない。

 一つ言えるのは、属していた団体から除名処分を受けた人の下へ、その団体から少なからぬ人たちが駆けつけたという事、その中に、市原先生もいたという事です。


 国際松濤館設立から3年目の1981年(昭和56年)10月4日、北里大学体育館で国際松濤館の第1回全国大会が開催されます。

 その時の一般個人戦の結果は以下の通り。


一般男子組手

 優勝 粕谷均

 二位 小原力男

 三位 西山重夫・蛭田耕太郎

一般男子型

 優勝 粕谷均

 二位 市原重幸

 三位 西山重夫


 市原先生は一般男子型の二位で記録に残っています。

 ちなみに、この大会で組手と型を制した粕谷均氏は、「空手 組手全集」などの教本で市原先生と並んで金澤弘和館長の相手としてかなりの数の写真が残ってますが、私が入門した時には独立して「世界松濤館」を設立していました。どのような事情があったのかは分かりません。

 市原先生は設立当初から四谷の総本部道場を任されてましたが、粕谷均氏は海外の多くを任されていたようです。まるで日本空手協会から金澤弘和館長が独立(除名)となったのと同様の現象が起きてしまったとしか思えないのですが、この点についても詳細を聞いてないので、想像で語ることは止めておきます。

 なお、粕谷均氏の後に金澤弘和館長と共に海外をまわって海外の多くを任されるようになるのが、第1回大会で中学型の部で優勝した村上学先生(現・国際松濤館首席師範)です。私が入門した時には拓大を卒業して指導員として四谷本部道場で教えてました。

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