国際松濤館と市原先生のこと その2

 ところで、入門する前からの謎がありました。

 金澤弘和館長は日本空手協会から独立したのに、なぜ著書の推薦に協会顧問の中山正敏先生や高木正朝先生が寄稿しているのか、ということです。

 これは入門した後も疑問が解消どころかますます大きくなります。

 道場で実際に見てきた金澤弘和館長の性格からして、長年一緒に稽古してきた同門の先輩後輩たちに弓を引くような形で「独立」して、かつての同門の商売敵になるような団体を立ち上げる選択をするようには思えないのです。

 そりゃ男子たるもの、実力があれば理想も膨らむし野心も目覚めるでしょう。でも館長のように、他者を常にめ、強さを賞賛し、その人のマイナスになるような事はたとえ知っていても絶対に口にしない性格を見ていくにつれ、他者のためでなく自分の野心を優先する「独立」という選択は一番不似合いのように思えてくるのです。

 その疑問が解けたのは2002年(平成14年)になってから。館長が出版した自伝「我が空手人生」を読んだ時です。

 館長は日本空手協会を独立したのではなく「除名」させられていたのでした。本にはっきりそう書いてあります。

 拡大していった協会で、段位認定の手続きを望む外国支部と、なぜか手続きを1年以上放っておく協会との間で不協和音が大きくなり、外国側の段位認定費用や各国の大会の運営を巡っての問題がこじれ、金澤は勝手な事をやってるとされて、ついには除名です。

「除名」ってのは重い処分ですよ。「あんたはもうウチの子じゃない」と追い出されたようなもの。クビですよ要するに。


 拓大を出て20年以上、空手の普及のため世界を駆け巡った挙句、除名。なんとまあ……。


 当時の協会内において除名処分を覆せなかった事への思いが、協会顧問の中山正敏先生や高木正朝先生に国際松濤館の教本へ推薦文を寄稿させているのだろうと納得しました。


 1978年(昭和53年)9月、国際松濤館は設立されます。

 この時、金澤弘和館長47歳、市原重幸先生31歳でありました。

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