見学をした日のこと その2

「見学か? まだ早いからな、あと1時間したら来なさい」

 パンチパーマで眼光炯々がんこうけいけい精力横溢せいりょくおういつ。メイクしなくとも節分の鬼の役が務まりそうなその人は、特に荒っぽい態度でも口調でもなく、ぶっきらぼうにそう言った。

 当たり前だけど、当時はホームページどころかネット環境そのものが無いに等しいので、稽古の日時は道場に電話で直接確認するか、街中に出している道場生募集の貼り紙を見るか、武道・格闘技系の雑誌などで情報を探すしかない状況だった。


 とにかく、1時間後には見学ができる。大学は試験休みだしバイトは無いし、時間はたっぷりある。

 私は四ツ谷駅に戻り、当時駅ビルの2階にあった本屋で時間を潰す。余談だが、四ツ谷駅前には上智大学があるにもかかわらず、何故か四谷駅周辺には書店が少ない。少ないどころか令和元年(2019年)現在「無い」のである。

 四谷再開発で高層ビルが完成する来年には、ビル内に書店が備わっていることを期待しよう。


 閑話休題かんわきゅうだい

 1時間後、私は再度道場の入口を訪れた。狭い入口はいくつもの靴が乱雑に脱ぎ捨てられ、道場内では幾人もの道場生が押し合いへし合いしながら道着に着替えていた。あちこちで互いに「押忍」「押忍」と親しげな挨拶が飛び交う。

 この空間で私は明らかに場違いな存在だった。そんな「お客様」である私を見かけた若い黒帯の人が、自分の練習を中断して私のところにやってきた。見学したい旨を伝えると、奥の小さな部屋からパイプ椅子を持ってきて、そこに座るように言われた。私と同年代のその黒帯の人は、鈴木隆昭先生(当時は準指導員)で、これ以降何年もお世話になる。


 道場の左手壁際には先程来た時にはなかったカーテンが引かれていた。何だこれと思ったが、すぐにそこから道着姿の白人女性が出てきた。女性はこのカーテンの向こうで着替えているらしい。


 パイプ椅子に座ってあれこれながめていると、先程のパンチパーマの師範がやってきた。私が再度来た事を意外に思ったような表情で「しっかり見ていってくれ」と言ってから、


「途中帰りたくなったら、静かに帰っていいから」


 と、付け足した。

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