見学をした日のこと その1

 平成3年(1991年)2月、私はJR(に国鉄から変わって間もない)四ツ谷駅を降り、「鈴伝ビル」を探して歩いていた。

 当時カバンに常備していたポケットサイズの東京都の地図を頼りにして、新宿通りから一つ奥まったところにある「鈴伝」という酒屋にたどり着いた。

 1階のビル入口を見ると、道場は地下にあるらしい。地下へと続く階段を見ながら、期待と恐怖が半分半分の心境。空手道場に一度足を踏み入れたら五体満足では帰れない、なんて70年代のスポ根マンガの印象が若干頭の片隅に残っていた当時の私。それでも「今時そんなことやってる道場があったら経営なりたたないじゃん」と考える理性も残っていた。

 恐る恐る階段を降りると、突き当たりには巨大な一枚板に墨痕黒々ぼっこんくろぐろと「国際松濤館こくさいしょうとうかん」の文字が書かれた看板が掲げられていた。硬く閉ざされた鋼鉄の扉の奥から、バシン、バシン、と、何かを叩きつける音が聞こえてくる。

 回れ右をするべきか、たっぷり考えてしまった。

 今思い出すと笑い話でしかないのですが、とても恐ろしい物に見えた鋼鉄製の扉は、ごく普通の防火扉でしたし、木製の看板は現在の国際松濤館本部にある物と同じ物です。でも、あの時は実に恐ろしげに見えたのですよ。

「大丈夫、月謝払う側をとって喰らう道場なんて無い」

 そう自分を納得させて、鉄の扉を開けて、中をのぞいてみた。


 とって喰らいそうな顔つきの男が、自分の拳を壁に打ち付けていた。

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