お通夜の日のこと その2

 お通夜の会場の建物に着くと、エントランスに誰もいない。

 場所間違ったかとしばらくジタバタした挙句、受付が2階にあることに気づいて慌てて上に上がる。

 受付ではちょうどYが記帳を済ませていたところだった。

 挨拶もそこそこ、こちらも記帳して香典袋を渡して、お通夜の会場に入る。

 よく知る精力に溢れた顔つきの写真が、遺影として祭壇に飾られていた。

 この、あり得べからざる光景を見た瞬間、「こんな形で会いたくなかった」との思いに、強く五体を鷲掴わしづかみにされた。喪失感、無力感、罪悪感などが入り混じった感情が押し寄せる。それらを一言で表すなら「後悔」だろう。


 やがて僧侶そうりょの方が現れ、お通夜が開始された。

 唯一知っている般若心経は、お坊さんの読経にあわせて口の中で唱えた。

 お焼香も済み、読経も終わり、出席者に花が配られた。お棺の中、ご遺体の周りに供えるのだ。

 先生のご遺体を見た時、目を疑った。まるで骸骨の様に、容貌が骨と皮だけになっていたからだ。

 ヤクザそこのけに精力的だった顔付きの記憶しか無かったので、ショックだった。

 肺炎で亡くなったと聞いてたが、それが「誤嚥ごえんによる肺炎」と後程知った。だから何も食べられず、長いこと点滴だけを受けていたと。

 お見舞いに行かないで正解だったのかな、と、少し思ってしまった。

 でも「変わり果てた」と言ってもいい容貌ではあったが、よく見るとそれは紛れもなく我々に厳しい指導をして下さったかおであり、肉こそ落ちたものの「あー、面白くない」と言いたげな表情は、まさに私が知っている市原先生だった。

 ご遺体の周りに花を供えながら、ひ弱だった私を黒帯になるまで鍛えてくれた日々を思い出した。

 また先生のこれまでの、おそらくこちらが想像するより遙かにデコボコしていたであろう道のりを思い

「お疲れ様でした」

 と、自然に口にしていた。


 隣室で、用意されていた食事をいただく。

 先生の娘さんと息子さんと挨拶をする。こう言っては失礼かもしれないが、娘さんは先生によく似ていて、話していて(昔みたいに)怒られるような錯覚を覚えた。

 ビールを飲みながら、何かが足りないような気がした。今この部屋にいるメンツが飲み食いしているのに、肝心な人が不在だからだ。

 部屋の正面に飾られた市原先生の写真の前に、ビールを注いだグラスを置く。写真の顔は「お前ら飲みが足んないんだよ!」と言いたげであった。


 この日、市原先生にまつわる様々な話を聞いた。「そんなことあったんだ!」というものや、「そりゃいくら何でもヒデーなぁ」というものまで色々あった。


 次の章からは、私が見聞きした事、ならびにお通夜の席で聞いた事を、思いつくままに書いていくことにします。

 私の記憶違い、聞き間違いがあれば、コメントなどでご指摘願います。

 また「こんなエピソードがある」という方は、是非こちらに教えてください。追加で記載させていただきます。

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