第72話

 まさか風呂に入りながらこんな話をされるとは思いもしなかった。しかし、その話は風呂に入っていて俺は全裸なのだということを忘れさせる内容だった。俺がヤマタノオロチを見ることができるのは、父さんが絵を描けたのと関係する、と言われたのだから。


 ヴィレルがお湯の上を歩くかのように湯船の端から端まで移動し、俺の横に座ろうとする。しかしそこは、当然ながら濡れている。服を着たまま座るのはバカだろう。そう思っていると、ヴィレルがおもむろに右腕を横に払った。するとそこにあった水滴は、ひとつ残らずどこかに追いやられた。


 俺が目を見開いてみていると、


「お主も聞いたことくらいあるじゃろう。イメージ魔法というものじゃ。練習すれば誰でも使えるわい」


 確かに授業で聞いたことはあったが、実際に見たことはなかった。


 ヴィレルが水滴のなくなった湯船の縁に座り、靴とタイツを脱いで、スカートを持ち上げて座ると、両脚をお湯につけた。まあ、足湯とみればいいのだろう。


「……それで、俺があの蛇を見れるのと父さんが絵を描いたのは、どういう関係があるんだよ。父さんがあの絵を描くには、父さん自身も見えていないといけない、っていうのは分かるけど……」


「まさにそれじゃ。お主、聞いたことはないか? リューゼは魔法を破壊する、という噂を」


 聞いたことがなかった。母さんもそんなことは言ってなかったし、父さん自身も言っていたとは思えない。


「……知らない。聞いたこともないよ、俺は」


「そうか。では、恩恵スキルについては知っておるか?」


「ああ、それなら……“転生者”が女神から与えられた、特殊な能力だろ? ジュンやミナの持ってる、“無限剣技”とか“魔法創造”とか」


「うむ。リューゼは、この世界の住人でありながら、その恩恵スキルを与えられた特別な人間。言うてしまえば——選ばれしものだったのじゃ、才能も含めた、多くのことに置いて」


「……それで、父さんの恩恵スキルってなんだよ」


「“魔法破壊”じゃ。リューゼはすべての魔法を無効化することの出来る恩恵を与えられたのじゃ。そして、その能力を使って、多くの敵を相手取り、央都騎士団の隊長の座まで上り詰めかけたんじゃ」


 上り詰めかけた——それは、俺も知っていた。母さんから何度も話は聞いていたから。父さんは何度も当時の隊長に勝ちかけたが、最後の最後で押し負けていたのだと。魔物の討伐数でも引けを取らなかったのだと。まあ、隊長にはなれなかったけど、英雄になったんだけどな。


「リューゼにはヤマタノオロチが見えた。そして、妾やフィミルには見えなんだ……これが何を示しているのか、分かるか?」


 父さんは“魔法破壊”という能力を持っていた。そして、その恩恵を持っている父さんだけがヤマタノオロチの姿を見れた。つまるところ——


「——ヤマタノオロチが見えないのは魔法の効果であって、俺も姿が見えるってことは、俺も“魔法破壊”を持っている……」


「そういうことじゃ」


「じゃあ、エルは何で見えるんだ? エルがその恩恵を持っているとは思えないんだけど」


「あ奴はドラゴンじゃ。爬虫類同士、何か引き合うものがあるのか、それとも人間よりも強い五感や索敵能力で感じ取ったか……そんなところじゃろう。そして、これでお主の攻撃で何故レイラが見えたのかも証明可能じゃ」


「俺の攻撃で、一瞬だけ魔法が無効化されたから……でも、それができたところでどうなるんだよ。俺とせーので攻撃して、奴が倒れるまでそれを続けようっていうのか?」


「そんな面倒なことするわけなかろう。その恩恵は比例型恩恵じゃ」


「比例型、恩恵……?」


「うむ。比例型恩恵とは、その使う者の能力やそれに準じたものに関係して、効果が大きく変わる恩恵じゃ。そして、“魔法破壊”は使用者が与えたダメージ量に比例する。分かったか?」


「つまり、俺の攻撃が強いほど破壊できる魔法の階級の幅も広くなる……でも、俺にはそんな強力な攻撃は出来ないぞ。長時間かけてあの巨体を隠す魔法を消去するとか、今の俺じゃあ無理だ。レベルが上がってたら別だけど……俺のレベルは一だからな」


 完全に自虐ではあるが、反面事実でもあるのだ。レベル一でなかなか上がらないステータスと熟練度——これこそが、俺が冒険者になって一年数か月、ずっと悩んできた根本的な問題である。


「そこは妾に任せろ、ちゃんと考えはある。そこでなんじゃが、お主の血を分けてはもらえんかの?」


「……血?」


 どういうことだろうか。血を欲しいという魔物ならば、吸血鬼が該当するけど、ヴィレルにはそれっぽいものはないし、あるとすれば目立つ八重歯で……いや、吸血鬼と言えば八重歯と言うか犬歯と言うか、とにかく尖った歯だ。まさか、


「お前、ヴァンパイア……!?」


 咄嗟に剣に手を持っていくが、装備は全て脱衣所だ。


「安心せい。妾は魔王軍とは敵対するほうの存在じゃ。お主を襲ったりなぞするものか。それに、お主の血を欲したのは、最近妾の血の摂取量が少ないというのも否定は出来んが、他にも理由はあるんじゃ」


「……なんだよその理由って」


「それは後になってのお楽しみじゃ。ほれ、いいから首筋を出さんか、早いに越したことはないんじゃからな」


 俺はやはり拒否したかったが、ヴィレルのそのからかうような視線の中にある種の真剣みを感じたので、渋々従うことにした。レイラと村を飛び出して以来一度も切っていない髪をかき上げ、首筋の右側を晒すと、ヴィレルがゆっくりと口を近づけてきて、カプリと噛み付いた。


 それほど痛みはないが、血を吸われている感覚は少しある。そして、十秒弱の間吸われ続け、やっとのことでヴィレルが口を外した。出血の恐れを考えたが、そこに触れるとヴィレルの唾液なのか、少しぬるっとしているが傷はなかった。


「ごちそうさまじゃ。久しぶりの血じゃったのぅ」


 口元を手の甲で拭い、満足そうな顔をする。騙されたんじゃないかとも思わなくもないが、今更なのでもう考えないでおこう。


「傷は残らないのか?」


「うむ。妾の唾液には若干じゃが治癒作用があるからのう。出血死されても困るがゆえに、ヴァンパイアにはそのような能力があるのじゃ。ヴァンパイアにとって人間は大事な食料源でもあるからのう」


「しょ、食料源……」


 ぞっとしない言い回しではあるが、ここで少し昔に授業で習ったことを思い出す。


「そういや、授業でヴァンパイアは体液を摂取して……って習ったんだけど、血じゃなくてもいいのか?」


「……」


 ヴィレルが僅かに口元をにやつかせる。


「そうじゃな、確かに体液ならば何でもよいな……どうじゃ、今ここでお主の精液で摂取でもしてやろうか?」


 親指と人差し指でわっかを作り、それを口元に近寄せる。その仕草の意図を悟った俺は、さっと丸くなる。


「じょ、冗談はよせよ……俺裸なんだから言葉の重みが違うんだよ……」


「くくっ、初心うぶな奴よのう」


 喉を鳴らしてヴィレルが笑う。


「まあ、妾も人のことは言えんがな」


 そう言って、ヴィレルが視線を下に落とす。お湯につけた足を交互に上下させ、バシャバシャと音を立てて遊ぶ。なんというか、寂しさを紛らわす動作の様に俺は思えた。


「……」


 そして、引き結ばれていたヴィレルの口元に、小さく笑みが浮かんだ。


「お主は、本当に性格はリューゼに似ておるのう……あやつも初心な奴で、今やったのとほぼ同じやり取りをしたものじゃ」


父さんに似ているというのは、今日初めて言われたのだが……見た目と性格、綺麗に二等分されたものだな。


「おりゃ」


「うおぁ⁉︎」


俺がヴィレルの腕を引っ張ると、抵抗もなくお湯にバシャンと落ち込んだ。


「何するんじゃ⁉︎」


「からかわれた仕返しだよ」


ヴィレルが歯をギシギシと鳴らすが、それを仕返しのからかい笑顔で返しておき、


「あの蛇を倒す手立てが出来たんなら、あとは戦うだけなんだろ。俺は足手纏いにならないようにするから、火力面では頼んだぞ」


「ったく……当然じゃ。お主の能力向上も、しばらくすれば完了するじゃろうから、安心して待っておれ。この戦い、何としても勝つんじゃ……あいつを救うためにも」


最後の方は、またも聞き取りにくいボソボソ声だったが、このことについてはまた今度聞くことにしよう。

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