第6話
俺はひたすら"ヒール"をかけながら走った。そして、再びブオオォォォ……と音がする。第二発目が来るらしい。俺は小さく舌打ちをし、走るルートを二メートルほど左にずらす。直後、さっきと同じ触手が地面を叩いた。
それに目もくれず、俺はそのまま回復しつつ、走り続ける。とにかく、あの巨大ネペントから距離を取らなければいけない。それに、俺の魔力もそう多くはない。やがて尽きるし、そうなればレイラの体内に入った粘液が、体の内側からレイラを殺していく。それだけはなんとしても、防がなければならない。
「死ぬな……! 《ヒール》!」
そして、走るのに必死になりすぎて、
「──うわっ!?」
木の根につまずいた。そして、レイラが飛んでいき、
レイラは、俺らが昨晩や今朝、水の調達に使った小川の、上流部に放り出されたのだ。そして、皮膚を溶かして、体に侵食しようとしていた粘液が、流れ落ちる。
「レイラ!」
俺は急いでレイラを抱き上げる。巻いていたローブを捲って、傷を確認する。なんとか、侵食は止まったようだった。しかし、まだ一刻を争う状況だ。油断はできない。
「《ヒール》!」
再び、俺は回復魔法の連発を始める。しかし、どうやら僅かに体内に粘液が入ってしまったらしい。"ヒール"でなんとか侵攻を防ぐが、このままじゃ回復もままならない。それに、あまり時間をかけると、ネペントがこっちに来る可能性もある。
──一体どうすれば?
「どうやら、お困りのようだね」
突如聞こえた響くアルトに、回復の手を止めてしまった。
「だ、誰……?」
「ボクかい? そうだね。しがない旅人、とでも呼んでくれ。ふむ……これは、ネペントの粘液か」
「あ……《ヒ──」
「待った」
「で、でも!」
「落ち着きな。ボクに任せなよ」
しがない旅人と名乗ったその人物が、レイラを挟んだ俺の対面にしゃがみこむ。そして、コートの中から青色の液体の入った瓶を取り出す。その表情は、目深に被った帽子のせいで、よく見えない。ちらっと茶色の瞳は見えたのだが。
「そ、それは……?」
「回復薬。ネペントの粘液に効果が高い」
そんなものが、あるのか……?
そして、旅人が回復薬をレイラの口に入れる。レイラは意識を失っているが、ごくんと飲み込む。そして、目には見えないが、ネペントの粘液による侵攻は止まった。
「さて、次は──《ヒール・ハイ》」
そして、レイラの皮膚が一度の魔法で治った。俺は目を見張って見守るしかなかった。
「……レイラは?」
「無事だよ。それでは、ボクはお暇するよ」
「あ……あの、ありがとうございます。あと! 向こうにでかいネペントがいるので、気を付けてください」
「分かっているよ。君たちとは、またどこかで会えるよ」
そっと微笑む。俺は何故か、懐かしいような気がした。そして、旅人は姿を消した。一体、誰だったんだ……?
俺は、そのままレイラをどうするか迷った挙句、レイラのポーチの中にある布を使って、服を作っていようと思い、ポーチを探った。
♢
レイラの服は出来上がり──剣で形を切り出し、投擲用に持っていたピックで縫い合わせた──、寝ている間に着せた。
「うぅ……」
どうやら、レイラが目を覚ましたらしい。さっきまで俺も取り乱していたが、既に冷静さは取り戻している。
「大丈夫か?」
「……レン? あれ、私……」
「無事ならいいんだよ。それでさ、レイラ……」
「な、なに?」
俺は、レイラが寝ている間に考えておいたことを言う。
「逃げよう。この戦いから」
「……え?」
「あのサイズは無理だ。外からの火属性魔法で燃やしても、樹皮のせいで中までは燃えない。それに、森に火がついたら、俺らもただじゃ済まない。あのサイズだ。村からも見えるだろうし、しばらくすれば冒険者の討伐隊が──」
「やだ」
「……は?」
レイラの言葉に、耳を疑った。
「やだ。だって、これ、私たちが受けたクエストなんだもん。私たちだけで、勝ちたいもん……」
「死んだら元も子もないんだぞ! それを分かって言ってんのか!?」
「分かってる! けど……私とレンの、初めてのクエストだもん……最後まで、一緒に戦いたいよ……」
子供の言い分だ。聞く必要は無い。そう思った。しかし、レイラの顔は悲しそうだった。ここで逃げたら、後悔する、とでも思っているのだろうか。
「俺たちが逃げても大丈夫だ。さっきも言ったけど、討伐隊が既に編成されてるはず。時間が経てば倒しに来るよ。俺はレベル一で、お前だって二十に満たない。このまま挑んでも、すぐに殺される。あのネペントは、例外中も例外だ」
「……そうかも、しれないけど……」
まったく、子供っていうやつは、どうしてこうも諦めが悪いのだろうか。状況判断をすれば、逃げるのが最前のはずだ。
「レン。何か、方法ない? 樹皮を貫いて、燃やす方法。私の"バーニングネオ"を使えば一発だけど……」
「ダメだ。負担がでかすぎる。それに、もし倒せなかったら、二人とも終わりだ。あいつの体内から燃やしでもしない限り……体内、から……?」
俺は思い付いた。しかし、あまりにも無謀だった。この作戦は。
「何か、思い付いたの?」
「あぁ……失敗すれば、俺もお前も、命はないかもしれないけどな……」
「教えて。それで勝てるなら、それでいこ」
俺は迷った。もし、これでレイラがいこう、と言ってしまえば、あまりにも無茶すぎるのだ。
「……分かった。言うには、言う。——ここは、さっきから攻撃が来ていないから、多分ネペントの攻撃、それか索敵的なやつの範囲外なんだと思う。それで、だ。俺が範囲内に入って、俺がネペントの注意を引き付ける。その間に、あいつの口の中にお前が火炎球を放り込むんだ。中からなら、あいつの樹皮でカバーされて、外が燃えることはない。それに、体内が消滅して、ネペントは死ぬ。成功すれば俺らでも倒せるかもしれないけど、危険がデカ——」
「それでいこ」
やはり、そう言うか……予想はしていた。でも、
「お前、距離もあるし、ここからじゃ見えないんだぞ? 提案者の俺が言うのもなんだけど、ネペントの口に入れるなんて、運に任せても入りっこない。分かっていってるのか?」
「うん。でも、それしかないんでしょ? “バーニングネオ”なしでやるには」
「そ、そうだけど……」
やはり、ここは逃げて冒険者の討伐隊が来るのを待つべきだ。そう言いたかったのだが、レイラの目は真剣そのもので、あまり自己主張をしてこなかった俺には、止めれそうもなかった。エミはまた別の意味で止めれないが、こっちの目は別種の意味で止めれない。止めても無駄だ、と分かっている。何故なら、
「……あの時の俺、こんな目してたんだな……」
リザードマンを倒した時の俺は、まさに今のレイラのような目をしていた——らしい。ケイルたちに聞いただけなのだが、あいつらの言ってた目と、雰囲気が似ている。
「なんて?」
でも、やっぱり子供なんだな。この年代のやつは、みんなこんな目をするのだろうか。
「……分かった。でも、失敗が許されない方法だ。外したらこの辺一帯、焼け野原で、俺らも焼死体だ。いいな?」
「大丈夫。信じてよ」
信じれない——そう思ったが、今のレイラなら、できるような気がしてしまうのが、本当におかしなものだ。やはり、俺ができたのだから、同じ目をしているこいつなら——とかいう、同族意識みたいなことだろうか。笑えてくるな。
「よし。そうなりゃ作戦決行だ。お前はここから動くなよ。じゃねぇと、どこからあいつの範囲か分からない。いいな?」
「うんっ」
俺はレイラを置いて、走り出した。今までの十三年間で、一番の賭け勝負だ。
♢
俺はネペントのいると思われる場所に向かって、走った。すると、今まで二度聞いてきた、ブオオオォォォ……という音が、また聞こえてきた。
「来たか……」
俺は走る位置を三メートルほど右にずらす。どこを走っていようと、どのみち木ばかりなので、変わらない。
そして、ダァァ——————ンという音と共に、大量の木を叩き潰しながら、太いじっとりと濡れた触手が叩きつけられた。俺の一メートル弱左に。
俺は方向を転換し、右に向けて走った。まっすぐ向かっていては、意味がないのだ。それに、俺の役目はネペントの注意を引くこと——戦うことではないのだ。ネペントの攻撃があったことにより、既に範囲に入っていっることを確認する。
「頼んだぞ、レイラ……!」
俺は走りながら小さく唸るように言った。
♢
私は、脇に置いてあるロッドを拾い上げる。付いていた土を落とし、どこも折れていないことを確認する。気絶していた間に、服が替えられていたのに気付き、
「……レンのやつ、何も見てないよね……」
若干顔を赤くしながら、後で問い詰めようと心の中で決めた。
ポーチも腰につけ、短剣はつるす場所がないので、ポーチに入れる。
「よし。あとはレンの作戦通りにいけば……」
——ダァァ——————ン。轟音が私の耳を打った。しかし、レイラのところまでは攻撃は届いておらず、今のはレンが範囲内に入ったことを教えてくれた。
「……レンは、ちゃんと役割を果たしてくれてる。私も、やらなきゃ」
ロッドを両手でもち、音がした方に向く。しかし、空は木に覆われて一切見えず、狙おうにも狙えない。どうすればいいの……?
「おや。まだ君はここにいたのか」
「だ、誰……」
突如聞こえたアルトボイスに、思わず視線を向ける。
「ボクはしがない旅人さ。それで、何をしているだい?」
私は、しがない旅人と名乗った、帽子を深くかぶったその人に、レンの作戦を説明した。
「ふむ、なるほど……難易度は高いけど、合理的な判断、かもね。あのネペントには、普通の攻撃を当てようなら、飛び散った粘液で即退場だ。彼の判断は、間違ってはいないよ。それに、樹皮どうこうも、正しい。——流石、あの人の子供だ」
最後の方は、小さくてうまく聞き取れなかった。しかし、私は問い詰めずに、何か方法はないか聞いていみる。
「そうだね。……なら、ボクが道を作るよ。そこに、君が火炎球を放り込めばいい。あとは、勝手に流れていく。面白そうじゃないかい?」
「そ、そんなの……できるの?」
「ああ、できるとも。けど、君が自分ひとりでしたい、と言うなら、手出しはしないよ。他の作戦を考えよう」
「お、お願いしますっ! やると言っちゃったので、失敗はできないし……成功するなら、確実にいきたいので!」
「分かった。それじゃあ、始めよう」
旅人は、レンが走っていった方向に、手を広げて向けた。どうやら、ロッドは持っていないらしい。
「《アクア・ロード》」
そして、旅人の手から、ほぼ透明の、水の道が現れる。
「す、すごい……」
持続魔法は、かなり燃費が悪い。どんどん魔力は削れるし、失敗すれば大損だ。けど、旅人に迷いはない。だから、私も迷いは──いや、レンに宣言した時から、迷いなんかない。ずっと、勝てると思ってた。だから、
「さぁ、今だよ!」
旅人の掛け声と同時に、
「《フレイムショット》っ!」
私のロッドの先から、火の玉が飛んでいく。複数飛ばす必要は無い。今は一つにして、威力を底上げする。敵は一体だけなのだから。
──お願い!
そして、山中を何かの唸るような重低音が鳴り響いた。ドゥワァァ──────ンッッ! と、音が鳴り響く。ネペントが倒れたのだ。そう、つまり──
「──成功、した……?」
「みたいだね。よかった」
旅人が呟く。私は、しばらく呆然として、旅人の存在すらも忘れていた。
♢
俺のすぐ横に、何かが──いや、間違いなくネペントが倒れてきた。その巨体は、高さ二十メートルを越していただろう。結構距離をとっていたつもりだったが、それでもネペントの体の半ばしか見れない。その体は、ぶっとい蔦三本が、縄のように捻れているようだった。口があるかどうかは、正直賭けだったが、あったらしい。
「レイラのやつ……本当にやりやがった」
俺は、ネペントは放置して、レイラの元に向かうことにした。
逃げ回って十五分ほどだった。しかし、戻るのは歩いても十分程度で着いた。気配でレイラと、謎のもう一人の気配を察知しながら、近付いて行った。その人物に、心配はしてなかった。何故なら、その気配がさっき会った謎の旅人──そして、毎日のように会っているあの人と同じだったからだ。
「レイラ!」
「レン!」
俺が近寄ると、レイラが抱き着いてきた。
「──」
俺が驚いていると、レイラは自分が何をしたのか気付いたのか、急激に紅くなって、俺から離れた。
「ご、ごめん……嬉しくて、つい……」
「いや、いいんだけどさ。にしてもお前、よくやったな。お前があの時、やろうって言ってくれなきゃ、こうはならなかったぞ」
「ううん。私だけじゃない。レンがこの案を思いついたから。それに、旅人さんがいなきゃ、当てれなかったし……」
レイラが件の旅人を話題に出したところで、俺はその人に視線を向ける。
「ありがとうな」
「──!?」
旅人は少し驚いた表情を見せた。おそらく、俺が砕けた言い方をしたからだろう。しかし、驚くのはまだ早いぜ? 俺は、感謝の言葉に、こう繋げる。
「母さん」
「────」
驚いた表情のままだった。レイラまでも、驚いている。まあ、そりゃそうか。こんなところに俺の母さんがいるなんて、誰も思わねーよな。
「……何故そう思ったか、参考までに聞いていいかな?」
明かさないつもりなのか、アルトボイスのまま旅人──母さんは聞いた。
「俺が第六感持ってること、知ってるんだろ? 十三年間も一緒にいたんだ。それに、特訓にも付き合ってくれた。母さんの気配は、よくよく感じれば、感じ分けることくらい出来るよ」
俺は苦笑混じりに答える。実際、最初はわからなかったのだが、茶色の瞳と、気配の感じでなんとなく予想出来たのだ。
「……流石、あの人の子ね。騙せないわ」
声のトーンが、急にメッゾソプラノになる。遂に正体を現した、とでもいうか。レイラは案の定、驚いている。
「つか、なんで母さんがいんだよ。エミはどうした?」
「今日登ったのよ。エミは学園。母さんだって、この山、何十回何百回って登ってるんだから、ここまで来るのに、二時間もあれば十分よ」
「……俺らの苦労は一体……」
「まあ、いい特訓になってよかったじゃない」
しかしまあ、旅人が母さんなのだというのなら、変な回復薬とか持っててもおかしくはないか。この人、村じゃ結構名の知れた冒険者だったしな。
「それじゃ、ネペントも倒せたし、帰りましょう」
「……なんであんたが仕切ってんだよ」
母さんの言葉に、ツッコミを入れておく。レイラはずっと頭にビックリマークとクエスチョンマークが交互に浮かび上がっていた。
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