#5 三頭の黒き悪魔



 俺達が鍛治の町ジェムシリカに着いた頃にはすっかり日は落ちて夜になっていた。

 町の入り口付近で車を止めた俺の目には碧色の宝石をあしらったモニュメントが映り込む。


 やはりこの町にもあるんだな。確かカーネリアンにも同じようなのがあった。


 ミルクに聞くと、これは外敵から町を守る為の結界の役割を果たしているのだとか。

 この国【グラン=カナン】は宝石の加護を受けて栄える大国で、各地を司る宝石がこうして町や村を守っているとか。


 ふとステータス画面を呼び出した俺は、そこに表示された現実を再確認した。

 あの少女に勝利した事で獲得したEXPで、

 俺は瞬く間にLV88まで成長してしまった。えらいこっちゃ、いいのかな。


「シロさまシロさまっ! これでシロさまがゴッドゲームを制するのは間違いありませんねっ!

 今から願い事を考えておかないと!」


 そりゃ気が早いだろ。願い事とか……あまり思い付かないんだけど。


 鍛治の町、か。素手もなんだし、この機会に武器の一つでも買っておくかな。とりあえず今日はもう遅いし、明日にでも町を散策するか。


 と、俺がヨロシク号をバッグにしまおうとした時だった。気味の悪い奇怪な雄叫びが空に響く。


「シロさまシロさま! た、大変ですっ! モ、モーシッシ大森林の上空にっ!?」


「んだよ……アレは……!?」


 正体は咆哮、

 モーシッシ大森林の上空で異様な瘴気を放ち羽ばたく巨大な龍の咆哮だった。


 黒い巨体に大きな翼、三つの頭?

 あんなのがいるのかこの世界にはっ……!


「あれはっ邪龍ですっ! でもでもっ、あり得ませんっ! こんな所に出没する筈は!? あっ、お、降りていきますよっ!」


 邪龍……聞いた事があるな、確か昔やっていたカードゲームなんかでも出てきたような気がする。


 そんな邪龍は森へ降り姿を消した。

 しかしその咆哮は空を突き抜けるように響き渡り町に混乱を招いた。


 町の人々は空を見上げ硬直する人、騒ぎ逃げようと走る人、子供達を抱きしめて祈る人、

 と様々だった。


 ミルクのタブレットで邪龍のステータスを参照したが、個体名以外は不明。解析中と出た。


 俺は車のガソリン残量を確認する。既に底を尽きかけている…車は使えそうにない。


「ミルク……」


「はっ、はいっ、えっと……」


「昼間の子、まだ森にいるのかな……」


 俺はヨロシク号をビジネスバッグに収納してネクタイを締め直す。そして乱れていた前髪をグッとあげて邪龍の降り立った方角を見据えた。


 俺は自分のLVが飛躍的に上がったことで少し気が大きくなっているのかも知れない。


 もし、あの子が森にいたとして昨日まで平和な日本でサラリーマンやってた俺が助けに行く理由なんてないのだが……


「シ、シロさま?」


 くそ……嫌な予感しかしない……でも……


「ミルク、森に戻ろう。」


「シロさま? シロさまはLV88、強くなっているはずです……でもでも、まだ闘い方に慣れていません!

 もし負けたら……ゲームオーバー……」


「それでも、とにかく走るぞっ! ミルク、ガイド頼むっ! 嫌な予感がするんだよ!

 多分、行かないと一生後悔する!」


「シロさま……シロさまが言うのなら! ミルクは否定しませんっ! こっちですっ!」


 ミルクは小さな羽をフルに羽ばたかせて森の方へと飛んでいく。俺はその立派なおしりを追って走った。ただただ、がむしゃらに、


 はやく、はやくっ! もっと!


 何故だろう、俺は何故、今、

 必死に走ってるんだ?


「ミルク! 俺の肩に掴まれっ!」


 この時、俺は自分の身体能力が格段に、いや、別次元のものになっていると自覚した。身体の軽さが尋常じゃない……


 いや、今はそんな事はどうでもいい! あんな弱いやつが、あんな怪物に出くわしたら間違いなく殺されてしまう!

 しかも俺のチョップでダメージを負ったままなら尚更のことだろ!


 ……


 やがて、森に入った俺は来た道とは違う森の深部へ向かった。ミルクのタブレットにも道が記されていない、所謂未開の地へ。


 視界が悪いな。もやまで出てきた。


 しかし確実に近付いている。奇怪な雄叫びに似た邪龍の咆哮が徐々に近付いてきているのがわかる。


 木の根を跳び越え道無き道を抜けた先は少しひらけた場所だった。


 視界が回復した?


 そんな俺の視界には……


「ミルクッ!」


「ま、間違いありませんっ! 昼間の子です! た、大変ですっ! 凄い怪我をっ!」


 地面が真っ赤に染まっている。真っ白なワンピースもみる影もない。

 全身傷だらけの少女が、俺達の目の前でうつ伏せに倒れているのが見えた。


 その時だ、彼女が力を振り絞り血の気の引いた顔を上げた。


 目が、合った?


 力無く顔をあげた少女の桜色と空色の瞳が俺の目と合った。少女は無意識のうちか、小さな手を伸ばし言葉を発しようと口を開ける。


「……て……」


 少なくとも俺には、彼女の助けを求める声が、


 ……聞こえた気がした。


「くそっ……ミルク、俺がコイツを引きつける!

 その間にこの回復薬をあの子に!」


 俺はビジネスバッグから初期アイテムの回復薬を取り出しミルクに投げた。ミルクはそれを両手でキャッチしては首を縦に振る。


 それを確認した俺は、バッグを放り投げ少女の背後にいる脅威を見据え拳を握りしめた。

 そしてメニュー画面を常時解放状態に設定し、【スキル】をタップ。攻撃スキルは勿論、補助、回復といつの間にか増えてる。


 どれを使えば……

 これだけあると……


 しかしその瞬間、俺はすぐに飛び込んで行かなかった事を後悔する事になる。


 何か柔らかいモノに鋭い刃物が突き刺さるような音が静かに響き、俺は視線をそこへ戻した。

 その視界に映るのは小さな身体を鋭い爪で抉られビクビクと痙攣する少女の姿、


 そして、噴き出す鮮血……


 俺は思わず口を塞いだ。そして目を逸らした。


 人が死ぬ?

 今、目の前で人が死のうとしている?


 恐怖で身体が動かない。

 吐き気までもよおす始末だ。

 心臓の音がやけに大きく聞こえる。


 邪龍は咆哮、前脚で少女を掴み空へ。


「シロさま?」


 ミルクの声で遠くに行きかけていた俺の意識が現実へと引き戻された。


「邪龍はあの子を連れて鉱山の方へ向かいました! あの子はまだ生きてますっ! シロさま!」


 まだ生きてる、まだ助けられる。俺の脳裏に、昼間の言葉がよぎる。




 く、悔しいけど負けたし、殺しなさいよ……


 ……私を殺さなかったこと、後悔するんだし



「くっそ……」


 何言ってやがる!


 そんな風に簡単に死ぬ覚悟が出来ちまうような奴を、そのまま死なせてたまるか!


 連れて帰って説教だ!

 

 あの子は確かに助けを求めてた!

 死にたくないと、俺に手を伸ばした……


 生きたいって願ってた!


 俺はっ……助けてやりたいっ!






         ナゼ……?







 何だ……この……    視線?



 俺は咄嗟に振り返った。しかし、

 そこには誰もいない。だが確かに聞こえた。


 シャラン……と、乾いた鈴の鳴るような音が。


 ……

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