海より出ずる神


 宴会が終わったあと、澪丸たちは集会所の外、村の外れにある広場のようなところに案内された。高台になったその場所からは、夜の海が一望できる。


 ふつうならば、その壮大な眺めに目を奪われるところだったが――いま澪丸たちの目を引くのは、広場の中央で燃える巨大な焚き火と、その周囲を流麗りゅうれいな動きで踊る女たちであった。


 なにやら見慣れない文様がついた仮面を被り、呪文のようなものを唱えながら舞うその女たちは、炎の揺らめきに呼応するかのように、柔らかく、そして力強く手足を踊らせる。


「あれは、『まれびと』を歓待したときに行う、カミささぐ踊りだぜ」

カミ……?」


 新八の説明に対し、澪丸は鸚鵡返おうむがえしにそう尋ねる。


「そう。この村には、『おんじき様』っていう、カミがいるんだ。豊漁ほうりょうつかさどる『おんじき様』は、もうずっと昔、魚がとれず飢えに苦しんでいたこの村を救ってくださったんだよ。この村で、外から来る『まれびと』を歓待するのも――昔にそのカミが海の向こうからやって来て、人々を救ったことにたんを発しているそうだ。今日だって――運が良けりゃ、この舞いに誘われて、『おんじき様』が姿を現してくださるかもしれないぜ」

「なるほど……」


 揺らめく炎と、踊る女たちを見ながら、澪丸は呟く。そして、隣に立つがたい・・・の良い男に向けて、問いを投げかけた。


「無知で申し訳ないが――その『カミ』というのは、僧侶たちが信仰するものとは、また違った存在なのか? もちろん、魔族というわけでもないのだろう?」


 その問いに、新八はすこし考えるそぶりを見せたあと、腕組みをしながら告げた。


「うーん、それについては、おらもよく知らねえが……カミが、魔族でも人間でもねぇことは確かだ。そう、あんたも知ってる例をあげると、あの『明神みょうじん』もカミのうちのひとつ……というより、その頭領とうりょうみてーなもんだったらしいぜ」


 明神。


 それは、人間の使うこよみにもその名が使われる存在。


 それ・・について、澪丸が知っていることはあまりにも少ない。澪丸が幼い頃に両親に教えられた「神話」によると、数千年もの昔、「明神」と呼ばれる存在がこの世を治めていたが、およそ六〇〇年前にそれ・・はなんらかの理由で死に……そしてそのときから「明神暦みょうじんれき」が始まったのだという。


 だが、「明神」が果たしてどんな存在であったのか、そしてそれがなぜ死に至ったのかは、まったく語られることはなかった。それは意図的に隠されたというよりは、澪丸の両親ですらも知らないことだったのだろう。


 だが――いまの澪丸には、少しばかり推測できることもある。


(あの山中にあった「時渡り」の力を持った洞穴ほらあなは、「明神みょうじん洞窟どうくつ」と呼ばれていた。じっさい、俺はあそこで「明神文字みょうじんもじ」らしきものを目にしたし……「明神」というものが、「時渡り」と無関係ではないことは、もはや疑いようもないだろう……)


 焚き火を取り囲んで舞う女たちを見て、ふと、澪丸の脳裏に、「明神の洞窟」で出会った、あの女の存在が浮かぶ。


 蛇のような目をしたあの女は、澪丸をこの時代へとふたたび「時渡り」させた。彼女が何者かはまったく分からなかったが……その気配もまた、人間でも魔族でもなかったのだ。


 あれがもしも「カミ」の気配だとすると、彼女はきっと――――



「わんたろぉー。なぁ、わんたろぉ」


 そのとき、遅れて集会所から出てきた雅々奈の声が、澪丸の耳に届いた。後ろを振り向くと、巨犬に体を預けたまま千鳥足ちどりあしで歩く彼女の姿が目に入った。


「ががなちゃんは、なんだかんだいって、おまえのことがすきだぞぉー。もふもふ……もふもふ……」


 どうやら相当酒が入っているらしく、彼女はろれつ・・・の回らない口調で碗太郎へと語りかけ、その体に顔をうずめる。当の碗太郎はというと、なにやら困ったような顔を浮かべて、澪丸のほうをじっと見ていた。――今ならば、澪丸にもこの巨犬の言わんとしていることが、わずかなりにも理解できるかもしれなかった。


「ガガちゃん、いっぱいお酒のんでたからね……」


 それまで踊る女たちを見ていた茜が、澪丸へと顔を向けて、苦笑いを浮かべる。

 

 それから、彼女は少しだけ頬を膨らませて、澪丸へと問いかけた。


「――ところで、お師匠。どうしてさっき、うそでも『わたしと夫婦だ』って言ってくれなかったの?」

「……薄毛だと言ったことを、根に持っているのか?」

「ちがうわ」

「だったら、なんだ」

「……わからないなら、べつにいいわ」


 茜の言わんとしていることが分からず、澪丸は首をかしげる。はて、なにかおかしなことでも言ってしまったかな……と少年は思案するが、いっこうにその答えは出てこない。



 そんなやり取りをしている間にも、焚き火の炎はしだいにその激しさを増していく。仮面をつけて踊る女たちの動きも、それに合わせて大きくなっているように思えた。村人たちはどこから取り出してきたのか、太鼓たいこや笛を鳴らしてその踊りをはやしたてる。


(運が良ければ、「おんじき様」とやらが姿を現すと、そう言っていたな……)


 澪丸がふと新八の言っていた言葉を思い出して、そのカミが来訪するという海の方向をむいたとき――





 ぞわり・・・、と。



 春の夜の暖かい空気を塗りつぶすような、あまりにも不吉な感覚が、澪丸の脳裏を襲った。


(――――ッ!? なんだ!?)


 反射的に刀の柄に手をかけて、澪丸は暗い海のほうをにらむ。


 この広場が存在する小高い丘の下、波が打ち寄せる岩の隙間から、なにか・・・が恐るべき勢いで這い上がってくる。それ・・は一定のかたちを持たず、さながら泥でできた波のようにうねりをあげながら、瞬く間にこちらとの距離をつめる。


「――おんじき様!」

「おんじきさま!」


 そのとき、焚き火の周りを踊っていた女たちがふいに動きを止めて、息も切れ切れに同じ言葉を発した。


「おんじき様!」「おんじき様」「……おんじき様!」「おんじき様」「――おんじき様!」


 女たちが仮面の下から叫ぶ声で、広場は瞬く間に狂乱の様相を見せる。村人たちも、それに続くようにして喝采かっさいをあげ、笛を吹き鳴らす。


「なんだ……なにが、起こっている!?」


 ――そのとき、戸惑う澪丸の前に、海から上がってきた泥の塊が躍り出て……



 焚き火の炎ごと・・・・・・・仮面の女たちを飲み込んだ・・・・・・・・・・・・



「なっ……!?」


 悲鳴ひとつ、あがらなかった。ただ、泥の中に飲み込まれた女たちは、一瞬のうちに手足をその中にうずもれさせていく。彼女たちが抵抗する気配は、なかった。


 そして。


 底のつぶれた球体のような形をつくった黒い泥の塊が、澪丸たちのほうを向いた。その表面に、女たちが被っていた仮面が、ぼこりぼこりと浮かび上がる。


(くっ……これが、「おんじき様」だというのか!?)


 いまだ感じたことのない、不快で不可思議な気配が、澪丸の頭に警鐘を鳴らす。


 それはまさしく、魔族でも、ましてや人間でもなく――



 「カミ」と呼ばれるにふさわしい、恐るべきモノであった。


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