四章 歪む「救い」は微笑みて

丹呉の町


「うんめぇ! 食いもん屋に来たのは十二年ぶりくれーだが、やっぱ自分で作ったメシとは違うなぁ!」


 片膝を立てた、お世辞にも上品とは言えない姿勢で、雅々奈ががなは両手に持った串団子を頬張っている。彼女の目の前には、すでに団子が外されたあとの、串の山が広がっていた。


 茶屋の席に座る大勢の客がこちらに向ける、驚きとも恐れともとれる視線を背中に感じながら、澪丸は冷や汗をかいた。身の丈ほどもある金棒を背負い、大の男よりも豪快な食べっぷりを見せる彼女に対して、注目するなというほうが無理からぬ話だったが――大勢の人間にじろじろ見られるのは、あまり気分の良いものではない。いや、気分がどうこうで話が終わればそれでいいが、澪丸の隣に座る編み笠の娘は、人に注目されてはならないのだ。雅々奈もそれは承知しているはずだったが、彼女は食べ物に夢中になるあまり、自分が周囲の注目を集めていることに気がついていないようだった。


 澪丸は周囲の客から意識を逸らすように、熱い茶をすする。そうして、話題を変えるようにして、彼女へと切り出すのであった。


「……おい。それだけ食って、支払いは大丈夫なのか? さっきも言ったが、俺は文無しだ。おまえが『お金は任せとけ』って言ったから、その言葉に甘えたが……やっぱり支払えませんでした、じゃ洒落にならんぞ」

「ああん? 雅々奈ちゃんを疑ってんのか? ――しょうがねぇ、だったら見せてやるよ。雅々奈ちゃんがどんだけオカネモチかをよ」


 疑うような目で自身を見る澪丸に対し、雅々奈は長い黒髪を勢いよくかき上げ、腰のあたりから下げられた巾着袋きんちゃくぶくろを取り出す。その紐を緩め、彼女が取り出したのは、四角や丸型など、様々なかたちをした貨幣だった。それらは窓から差し込む夕日に照らされて、鈍い輝きを放つ。


 いつにも増して編み笠を目深にかぶった茜が、おお、と小さく歓声をあげた。彼女は魔族であるがゆえに、人間の使う貨幣の具体的な価値はわからないはずだったが、とりあえず「たくさんのお金」ということは理解できるのだろう。


 そして、澪丸もじつは、それが合計でどれほどの価値になるかを知らなかった。なにせ、三〇〇年前の時代の金だ。澪丸が知るような貨幣はなにひとつとしてなかったし、そこに印字されている文字も、見覚えのないものばかりだった。


「……まぁ、それだけあれば、じゅうぶんだろう」


 しかし、それをこの二人には悟られまいと、澪丸は納得したようにそう言ってみせる。


「なんだ、雅々奈ちゃんに支払いを頼もうってんのに、ずいぶん上から目線じゃねーの。『ありがとうございます雅々奈ちゃん様!』くれぇ言ってくれねーと、雅々奈ちゃんの気が変わっちまうかもしんねーぜ?」

「ちゃん様とはなんだ、ちゃん様とは。……ところで、いったいどうして、おまえがそれだけの金を持っているんだ? 人里で働いていたわけでもないだろう?」


 尋ねる澪丸に対し、雅々奈は茶屋の店主に「串団子、あと十本!」と注文してから、野蛮な笑みを浮かべて告げる。


「そんなもん、決まってんだろ。雅々奈ちゃんと喧嘩して負けたやつが、『これで命だけは勘弁してください!』って言って、向こうから差し出してきた金だ。雅々奈ちゃんは金には興味ねーが、きらきらしてるのが綺麗だったからとっておいた」

「やはり、汚い金じゃないか……」


 澪丸は頭を抱えて、この女を旅のともに加えたことを早くも後悔するのであった。





 丹呉たんごの町。


 大酷山だいこくやまから下りた澪丸たちは、間口の狭い家屋が所狭しと並ぶその町へと辿り着いた。行き交う人々の活気ある様子から、この町がどれだけ栄えているかが一目でわかる。夕暮れにさしかかった空の下で、町の子供たちが追いかけあいながら澪丸の横を通り過ぎていった。


 ――澪丸の目的は、「厭天王えんてんおう」に関する情報集めである。どこを当たればその鬼について知っている者がいるのかは分からなかったが、これだけ大きい町のこと、虱潰しらみつぶしに探せばなんらかの情報は見つかるだろうと考えて、少年は広い町を隅々まで回る覚悟を決めた。


 だが、ここで問題になるのが、茜と碗太郎わんたろうである。魔族である彼女たちは、人間の町に不用意に立ち入ることができないのだ。

 とくに茜は、例の村での一件があったために、ここは町の外で待機しておくのが得策ではないかと澪丸は考え……実際に、彼女にもそう提案した。しかし茜は、「人間を恐れて近寄らないこと」がそもそも「悪意ある人間に屈すること」と同じだと考えているようで、澪丸と一緒に町に入ると言って聞かなかった。こうなったときの彼女の強情さは澪丸もよく理解していたため、それ以上はなにも言わず、「絶対に編み笠を外さない、絶対に澪丸から離れない」という条件のもと、少年は彼女の同伴を許可したのであった。


 そして、碗太郎については、さすがに「魔族であることを隠しきれない」という理由で、町から少し離れた場所で待たせることにした。――ちなみに、雅々奈の「でっけぇ犬だって言えばいいだろうが、実際そうなんだし!」という意見は、澪丸が即座に却下した。



 町に入った三人は、とりあえず腹ごしらえ、ということで手近にあった茶屋に立ち寄り――そして、今に至るというわけである。


「……で、実際、どうすんだよ? その、なんとかって鬼の情報集めは。もちろん雅々奈ちゃんはこの町には知り合いなんていねーし、ほんとに片っ端から見知らぬ人間に聞いていくのか?」


 満腹になり、膨れ上がった腹をぽんぽんと叩きながら、雅々奈がそう言った。


 この町の人間らしき客で賑わう茶屋の店内を見回して、澪丸は答える。


「そうだな……地道な作業になるが、そうするしかない。あるいは、情報屋がいれば、そいつを訪ねてみるのも手かもしれないが……」

「情報屋ぁ? なんだ、それ?」

「独自の経路から仕入れた情報を、高値で売る人間のことだ。情報屋にも種類はいろいろとあるが、最も多いのは魔族関連のそれだな。たとえば、商人に対して街道にどんな魔族が出るかという情報を売ったり、移住先を探している人間に魔神の軍勢の手が薄いところの情報を与えたり――と、これは今は関係なかったな。……まぁ、とにかく、金を払えばそれ相応のことを教えてくれる人間のことを、情報屋という」


 そこまで言って、澪丸はこの時代に「情報屋」という職業自体が存在しているかをふと疑った。


 雅々奈が情報屋の存在を知らなかったのは、たんに彼女が山育ちだからだろうが――そもそも、情報屋じたいが、後の時代に成立した職業である可能性もあるのだ。この時代はまだ町や村を結ぶ交通網が発達しておらず、それだけ「情報」というものも行き来しにくいはず。ならば、まだ、情報屋というものが生まれていなくても不思議ではなかった。


「なるほど。つまり、ものしりさんっていうことね」


 そこで、ちまちまと食べていた大福の最後の一欠片を飲み込んだ茜が、ふいにそう言った。


「わたしの住んでいた里にも、いろんなことを知っているお爺ちゃんがいたわ。知らないことはないって、じぶんでも言っていたもの」

「職としての情報屋と、物知りの爺さんはまったく別物だが……まぁ、たしかに、鬼である『厭天王』に関しては、同じ鬼であるその爺さんのほうが詳しいかもしれないな。……だが、その爺さんは、もう――」


 殺されてしまったのだろう、という言葉を、澪丸は飲み込む。



 少年はぬるくなった茶をひといきにあおると、仕切り直すように立ち上がった。


「とにかく、だ。俺はこれから、聞き込みをしつつ、情報屋も探す。茜は俺に着いてくるとして、雅々奈、おまえはどうする?」

「うーん、雅々奈ちゃんはせっかくだから、強えやつに喧嘩を売りにいきてぇな。こんだけ人がいっぱいいるんだ。ちょっとは骨のあるやつがいるだろうよ」

「おまえな……。町中で誰彼かまわずそんなことをしたら、警団に捕まるぞ?」

「だいじょうぶだ。どっかの町角まちかどに構えて、『雅々奈ちゃんに勝てたら大金をやる』って触れ込みで相手を募るつもりだからよ。文字通り『喧嘩を売る』んだ。それなら、ただの商売として、警団とやらには捕まんねー」

「それでもかなり危ういと思うが……」


 くれぐれも大事にはしてくれるなよ、と釘をさして、澪丸は彼女に店の支払いを頼む。「なんだよー奢られる分際のくせしてよー」と雅々奈は悪態をついたが、うまいものを腹いっぱい食べて上機嫌であるらしく、それ以上はなにも言わずに、鼻歌を歌いながら店主に代金を支払った。


 ひと息をついて、澪丸はふと、茜を見る。


 彼女が人間の町で行動するのは、それなりに危険が伴う。だが、つのを隠している限り、彼女はただの町娘にしか見えないし――気配で鬼かどうかを探るという芸当も、澪丸ほどの達人でなければ不可能なはずである。


(……まぁ、最大限気をつければ、大丈夫だろう)


 そう考えて、少年が茶屋の戸を潜り、広い通りに出たとき――



「鬼だァ、鬼が出たぞ――ッ!!」



 澪丸の思考を、あざ笑うかのように。


 夕暮れ時の静かな空気を引き裂いて、町人の叫びがこだました。


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