金棒の雅々奈(ががな)


 やがて坂道が終わり、大酷山だいこくやまの頂上へと澪丸たちは躍り出る。そこには、小さな村ならばおさまってしまいそうなほどに広く平らな空間が広がっていた。


 その、黒くごつごつした岩が転がる山頂の、ちょうど真ん中に。


 ――ひとつの影が、胡坐あぐらをかいて座っていた。


(あれは……)


 じりじりとにじり寄りながら、澪丸はその正体を探る。


 影は、近くに建てられた石造りの小屋のほうを時折ながめて、なにかを話しながら、肉のようなものを焚き火であぶっていた。どうやら、まだこちらには気づいていないようだ。


 澪丸は茜を背から降ろし、岩陰に姿を隠しながら、徐々に近づいていく。そうして、彼我の距離がおよそ二十歩ほどになったところで、少年は改めてその影をまじまじと見つめた。


 長い黒髪に、ぼろぼろにすり切れた檜皮色ひわだいろの着物。体つきからは「彼女」が女であることが分かるが、野生的な筋肉がついたその肉体には、たおやかさは感じられない。胡坐をかいた姿勢といい、肉を無造作に焼く手つきといい、「粗野そや」という形容がぴったりと似合う。


(「厭天王えんてんおう」では、ない……?)


 正面からその顔を見ようと、澪丸が足音を殺して動いたとき――


 

 こつん、という音をたてて、後ろにいた茜が、足元の小石を蹴飛ばしてしまった。それと同時に、女のもとに向けてころころと小石が転がっていく。


「……なんだあ!?」


 そこでついに、肉を焼いていた女が、澪丸たちの存在に気づいた。彼女は手にしていた食い物を放り投げると、小石が転がってきた方向を睨む。


(まずい……!)


 澪丸は茜を抱き寄せ、とっさに大きな岩の陰に体を隠した。だが、その位置はすでに相手にばれてしまっている。


 ざり、ざり、とゆっくり歩いてくる音が、澪丸の耳に届いた。その足音から察するに――彼女はただの「野生児」ではない。


(明らかな、殺気。あいつは、俺たちに攻撃を仕掛けようとしている)


 息を飲んで、澪丸は宝刀「王水」を鞘から引き抜いた。左腕に茜を抱いたまま、少年は刀を構える。


 やがて、足音が止まった。その気配は、澪丸たちの隠れる岩の、ちょうど反対側に位置している。


(来るならば、右か、左か……)


 心臓の鼓動が早くなる。全身から、冷たい汗が噴き出す。右、左、そして頭上。いかなる方向から相手が来ようとも迎撃できる姿勢を整えて、澪丸はただ、相手が動くのを待った。


 だが。


「すううううううっ……」


 聞こえたのは、大きく空気を吸い込むような、音。



「――――うをらああああああああっ!!」



 次の瞬間、空気を引き裂くような雄叫びとともに、べぎん・・・、という破壊音が周囲に響いた。それと同時に、澪丸たちが隠れていた大岩に、無数の亀裂が入って――


 砕け散った黒い岩の向こうに、巨大な金棒を振り下ろした姿勢で固まる女の姿が、澪丸の目に映った。




(嘘、だろ……!?)


 粉々になった巨石と、その向こうに立つ女を交互に眺めて、澪丸は言葉を失った。右、左、そして頭上。あらゆる方向からの襲撃を予想していたつもりが、その斜め上を行く「正面突破」をきられて、さしもの「千魔斬滅せんまざんめつ」もどう動いていいか分からなくなったのだ。


 固まる澪丸の前で、女は振り下ろしていた巨大な金棒を軽々と肩にかつぎ上げた。その、以外にも端正な顔立ちに野蛮な笑みを浮かべ、どこか嬉しそうに彼女は言う。


「どうだ、雅々奈ががなちゃんの怪力にびびったか!? それとも、ちびった・・・・か!?」


 嬉々として語る彼女の額に、鬼が持つはずのツノはない。それどころか、その外見や気配のすべてをとっても、彼女は正真正銘の「人間」であった。


 ただの人間が魔族をしのぐほどの怪力を持つことに、澪丸は驚愕したが――いま考えるべきは、この大酷山だいこくやまにいるという鬼のことである。彼女が鬼でないとしたら、いったいどこに、そいつはいるというのだろうか。


 澪丸は目の前の女を警戒しながら、彼女が最初に座っていた場所を見やる。――そして、その近く、石を積み上げて建てられた小屋の中から、「魔族」の気配を感じ取った。


 だが。


(この気配……魔族ではあるが、鬼ではない……?)


 石の小屋の内部から漂う「におい」は、鬼のものではなく、もっと獣臭いものであった。


 意識を研ぎ澄まして探ってみるが、この山頂には、ほかに気配と呼べるようなものはない。澪丸たちのほかには、金棒の女と、小屋の中の魔族しか、ここにはいないのである。


「……待て、女。おまえと争う気は、ない……!」


 そこで澪丸は、刀を一度鞘さやにおさめて、両手をあげた。ここに鬼がいないとなれば、澪丸が彼女と戦う理由はない。


 その行動に、女のほうがどう反応するかを、澪丸は冷や汗をかいて見守ったが――幸いにも、彼女は殺気をおさめて、拍子抜けしたような顔で金棒を下げた。


「なんだあ? もう降参か?」

「降参もなにも、そもそも戦うつもりはない。俺は、ここにいるという、鬼に用があるんだ。そいつがどこにいるか、知らないか?」


 できるだけ穏やかな声を作って、澪丸は言った。もちろん、この女が鬼の仲間である可能性がある以上、「そいつを殺すために来た」と告げることはできない。はぐらかした言い方になってしまったが、正直に言うよりはいくらかましだろう。



 ――という、澪丸の心中を知ってか知らずか、その女は少しだけ含み笑いをしたあと、大口を開けて笑い出した。


「――――っはっはっは! おめえも、雅々奈ががなちゃんのことを鬼だと思ってやって来たクチか!」

「……え?」

「最近多いんだよなー、そういうやつ。雅々奈ががなちゃんは、なんにも悪いことしてないのによ。ちょっとばかしその辺の人間に喧嘩けんかを売ったくらいで、鬼だなんだと言われるのは勘弁だぜ。……まあ、たしかに雅々奈ががなちゃんの相棒は、魔族だけどよ」


 彼女は笑いながら、後ろに建てかけられている小屋のほうを振り返って、ひゅう、と指笛をふいた。


 すると、石の小屋の入り口から、大きな四つ足の影がのそりと這い出てくる。


「なっ……!?」


 そこに魔族がいることは分かってはいたが――実際にその姿を目の当たりにして、澪丸は驚愕の声をあげる。


 それは、澪丸の背丈よりもはるかに大きな「犬」であった。人懐こそうな顔立ちに、真っ白な毛で覆われた体。人が飼っているそれをそのまま大きくしたような見た目に、少年は本当にこれが魔族か、と疑わずにはいられない。


「紹介するぜ。こいつは碗太郎わんたろう。犬だから、わんたろうだ。雅々奈ががなちゃんとは、もう十年の長いつきあいで……ものすごく弱っちいが、かわいい奴だから雅々奈ががなちゃんはこいつのことが好きだ」


 白い巨犬は、太い尻尾を振りながら、「飼い主」の前に歩み寄り、行儀よく座った。愛嬌のある、丸っこいふたつの瞳が、澪丸と茜を物珍しそうに眺めている。頭を女に撫で上げられると、「碗太郎」は気持ちよさそうな鳴き声を発した。


 その様子を見て、澪丸の後ろに隠れていた茜が身を乗り出した。先ほどまでの緊張感はどこへやら、彼女は犬に夢中になったように目を輝かせている。


 苦笑いを浮かべる澪丸の前で、金棒を持った女は、空いた手で自分自身を指さして、言う。


「――そんでもって、雅々奈ががなちゃんは雅々奈ががなちゃんだ。齢十七よわいじゅうなな、まだまだ若い。三度の飯と喧嘩が大好き。あんまりにも無差別に道ゆく人間に喧嘩を売ったせいで、絶賛ぜっさん鬼だと言われ中だ」


 あまり正確でない言葉遣いで、雅々奈ががなと名乗った女はそう語る。その立ち振る舞いや話し方からは知性というものがまるで感じられなかったが、不思議と不快さはなかった。むしろ、溢れ出る野生の活力が、乾いた空気を通して澪丸にまで伝わってくる。


 だが、澪丸はまだ、完全には警戒を解いていなかった。低い声で、雅々奈ががなに向かって問いかける。


「何も悪いことをしていないと言ったが……おまえは、追い剥ぎをしていると聞いたぞ。そして、剣術や法力の使い手がおまえに挑んだが、帰ってきたものはいない、とも。まさかその人間たちを、殺したわけではあるまいな」


 迫る澪丸に対して、彼女はしかし、「めんどくさい」とでも言いたげな表情を作る。


「なんだなんだ、誰が雅々奈ががなちゃんのことを悪く言ったんだ? 雅々奈ががなちゃんは、追い剥ぎなんかしてねーよ。ケツをまくって逃げたやつが、荷物を落としていっただけだ。……そんでもって、ケンジュツだとかホーリキだとかを使うやつについては、たしかに戦ったかもしらんが、その後のことまでは知らん。おおかた、若い娘っ子に喧嘩で負けたことが恥ずかしくて、里に帰れねーだけじゃねえの? 少なくとも、雅々奈ががなちゃんは人殺しなんかしてねーよ」


 土で汚れた端正な顔立ちに欠伸あくびを浮かべて、金棒の女はそう語る。その声色に、嘘をついているような響きはなかった。



 そのとき、澪丸の後ろに隠れていた茜が、こらえきれなくなったように、犬の魔族――碗太郎わんたろうのもとへと駆け出す。澪丸は彼女を制止しようと腕を伸ばすが、時すでに遅し、茜は巨犬の白い毛並みにうずもれるように飛び込んだ。


 まるで布団にくるまるようにして自分の体毛に身を預ける娘を、犬の魔族はまんざらでもなさそうにじっと見つめている。その眼差しは優しく、これまた澪丸が知るような血生臭い魔族の雰囲気は、その巨犬からは感じ取ることができなかった。



「なんだなんだ、こいつ鬼じゃねーかよ・・・・・・・・・・。……まあ、弱っちそうだから興味ねえけど」


 雅々奈ががなは、編み笠の下から見える茜の角をその目にとらえて、ぽつりとそう漏らした。――彼女にとって、茜が鬼であるかどうかは、些細ささいな問題であるらしい。


 その反応に澪丸は驚き、思わず口を開く。


「……鬼が、恐ろしくはないのか?」

「ああん? 鬼が、恐ろしい? そりゃなんでだ」


 重量感のある金棒を軽々と肩まで持ち上げ、雅々奈ががなは訝しげに澪丸を見た。


「弱っちいやつは、べつに人間だろうと魔族だろうと恐ろしくはねーよ。逆に、強いやつは、人間でも魔族でも怖……くはねーか。むしろワクワクする。ありゃ、そういう意味じゃ、雅々奈ががなちゃんに怖いものはねーのか。――とにかくだ。大切なのは、喧嘩の強さ。人間だ、魔族だってくくりは、雅々奈ががなちゃんには無意味なんだよ」


 びしっ! と人差し指を向けられて、澪丸はハッとしたように彼女を見た。


 ――人間だ、魔族だというくくりは、無意味。


 彼女の思考が論理的であるかどうかは置いておいて、その言葉は、深く澪丸の心に刺さった。激しい波のような揺らめきが、少年の心中で渦を巻く。


(――そんな考え方ができる人間も、この世にはいるのだな。……ならば。ならば、俺もまた――)


 深い思考に入り込もうとした澪丸であったが、とつぜん目と鼻の先に金棒を突き付けられて、ふと顔を上げる。そこには、野蛮な笑みを浮かべた、雅々奈の姿があった。彼女は風に長い黒髪をたなびかせながら、嬉々とした声で、告げる。


「魔族が魔族どうし、遊んでるんだ。こっちも人間どうし、じゃれ合おうじゃねーの」


 彼女はそこから一歩下がると、金棒を大きく振りかぶった。そして、澪丸がなにかを言う前に、恐るべき速度で少年との間合いを詰め、両手で握った鉄の塊を振り下ろす。


 がぎん! という破砕音と共に、澪丸が一瞬前まで立っていた地面が砕かれる。無数の石の破片が、曇り空にまで飛翔した。


「……おい! 俺はおまえとやり合う気はないって、言――」

「おめえにその気はなくとも、雅々奈ちゃんはおめえとヤりてえんだよ! 見たとこ、そうとう腕が立つみてーじゃねえか!」


 後方に大きく飛びすさりながら、澪丸は刀をふたたび抜き放ち、雅々奈へと抗議する。しかし、彼女は好戦的な笑みを崩さないままに、またしても黒い金棒を振りかぶった。


 いかに「鬼界天鞘流きかいてんしょうりゅう」が最強の流派だとはいえ、この威力の一撃を正面から受け止めた場合、澪丸か刀、もしくはその両方が壊れてしまうことは想像に難くなかった。少年は足元に転がる岩に気をつけながらも、華麗な身のこなしで雅々奈が放つ攻撃を避けつづける。


「避けてばっかじゃ、つまんねーだろォ!」


 長い黒髪を振り乱し、金棒を振り回す女が叫んだ。

 しかし、澪丸は「これ以上は何を言っても無駄だ」と判断して、口を閉じたまま反撃の機会を伺う。


(こいつの、攻撃。大振りなようでいて、隙が少ない。なるほど、伊達だてに戦闘狂をしているわけではなさそうだ)


 冷静に分析をしながら、相手を「不揃いな岩が多く転がっている場所」まで誘い込む。


 雅々奈は巨大な獲物エモノを扱うがゆえに、体重を乗せた一撃を放つには大きな「踏ん張り」が必要だった。それはつまり、足場が悪いところではその威力は半減するということである。



 逃げ続ける澪丸に、女がしびれを切らしたように叫んだ。


「くそっ! いい加減……雅々奈ちゃんのブツを食らいやがれぇッ!」


 自分が澪丸に誘導されているとも知らずに、不安定な足場の上で、無理やりに金棒を大きく振りかぶる。


(――ここだ!)


 次の瞬間、澪丸は風を斬り裂くほどの神速で、瑠璃色の宝刀を振りぬいた。



 がきん!! という音が、大酷山の頂上に響き渡る。



 それと同時に、黒く太い鉄の棒が、持ち主の手を離れて宙を舞う。金棒はしばらく吹き飛んだあと、はるか後方の地面へと激しい音をたてて叩きつけられた。



 鬼界天鞘流きかいてんしょうりゅう、六の型――浅葱返あさぎがえし。それは、相手から武器を振り落とす、迎撃型の一閃であった。


「……勝負、あったな」


 金棒を失い、茫然と立ち尽くす雅々奈の喉元に、澪丸は宝刀の刃をつきつける。もちろん首をはねるつもりなどなかったが、こうでもしなければ、この女はまだ抵抗を続けそうで――――


「いーや、まだだね! 雅々奈ちゃんは、負けてねえ!」


 否。


 この女はまだ、このに及んで、抵抗を続けた。首をするりと動かすと、その生えそろった硬い歯で、刀の刃へとかじりついた・・・・・・・・・・・のだ。


「――なっ!? おまえ、自分がなにをしているか分かっているのか!?」

「わふぁっふぇるほ!」


 刃によって切れた口の中から血を流しながらも、雅々奈は刀を離そうとはしない。そうしている間に、彼女がかじっている部分から、「みしり」と不吉な音が生まれた。


「嘘、だろ……!?」


 その、あまりにも強い「噛む力」に驚愕をあらわにして、澪丸は慌てて彼女の口から刀を離そうともがく。


「お……おおおっ!」


 全力を振り絞り、ようやくその口から刀を引き離すことに成功した澪丸は、間髪入れずに、雅々奈の首の後ろへと峰打ちを狙う。鬼界天鞘流きかいてんしょうりゅう、三の型――群青堕ぐんじょうおとし。かつて人売りの男たちを一撃で昏倒させたその技は、暴れる女のうなじに炸裂し、その動きを止める。


 だが、彼女は意識をすぐには手放さなかった。岩の転がる地面に倒れ伏し、もがきながら、澪丸を強く睨む。


「負けるか……負けるか……負けるか! 雅々奈ちゃんは、最強さいきょーに、ならなくちゃいけねーんだよ……!」


 野生の獣をもしのぐような、生命力。澪丸はここまで丈夫な人間を、これまでに見たことがなかった。


「強いこと、負けないことが、雅々奈ちゃんの生きる意味なんだ……! こんなところで、それが揺らいで、たまる、か、よ――――」


 だが。


 脳を揺らされた衝撃には、さすがに耐えきれなかったらしく。



 吠えるように叫んでいた彼女は、眠るようにしてその場で意識を失った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る