第3話 羞恥心は童貞をも殺す

「先輩、おはようございます」


僕と水薙が付き合い始めた次の日の朝。家を出ると可愛い彼女が迎えてくれた。

昨日、帰宅後SNSで多少やり取りこそしたが、なんの約束もしなかったので驚いた。

まあ、家も遠くないらしいし、彼氏彼女の関係になったら一緒に登校するものなのかな?


「おはよう」


どうしているのか理由を聞くのは流石に憚れるので、普通に挨拶だけを返す。

これ、明日からも来てくれると思っていいの?あ、でも水薙は部活あるし朝練とかあるのかな?


「先輩、忘れ物ないですか?おトイレすませました?」


「ん、ああ。大丈夫だと思うよ」


『君は僕のオカンかよ』的なツッコミでも入れたらよかったかもだが、家出てすぐでそこまで頭があまり回らなかった。


「先輩、私昨日やり忘れてたことがあったみたいです」


微笑みを絶やさず話す水薙はおもむろに片手を差し出した。

ただのハンドシェイク、ってわけじゃないよな。これは、もしや風の噂に聞く手繋ぎ登校というやつでは?

手汗大丈夫かな?ティッシュとか手にこびりついてないかな?それ以前に僕の身なりは大丈夫だよね?禍々しいオーラとか出てないよね?いや、別に出る故もないけど。


「先輩?」


おっと、なかなか手を握らない僕を不審がって水薙が上目遣いで見つめてきた。可愛いな。

水薙の手に目を向ける。水泳で鍛えられたのであろうその手は白くて傷ひとつなかった。こんな手に僕が触れていいのだろうか?憲法的に問題とかない?問題ないならないで憲法に問題ない?あれ、なんの話だ?


「ご主人様?」


「あ、ごめん。別に先輩という呼称だったから反応しなかったわけじゃないよ」


結構、その呼び方気に入ってるのかな?


「大丈夫ですか?」


「ああ、ノープロブレムだ」


急がないと遅刻する、てことはまだないがいつまでも水薙を待たせるのは忍びない。第一男で先輩の僕が手一つ握るのにこんなになよなよするのは女々しすぎる。

震える手を奮い立たせゆっくり手を近づける。そして、僕の手が水薙の手に触れた。


「先輩、案外かわいいとこあるんですね」


手が触れた瞬間、水薙が僕の方へ一歩踏み込み僕の肩に抱きつき耳元で囁いた。


「かわいいは勘弁してくれ」


「そうですか?それで、その、どうです?」


肩に抱きついたまま、水薙が感想を求めてくる。なんの感想?まあ、今の状況を総括すると、


「嬉しいよ」


「ですか、ですか。他には?ほら、当たってますよ、当たっちゃってますよ」


朝から水薙はテンション高めだな。おそらく当たってるとは胸の話であろう。だが、水薙の慎ましやかな胸には残念ながら感想を言える余地はない。いやけど、それは本人が一番わかってるわけで。


「水薙、そろそろ行こ」


悩んだ末に逃げました。あ、水薙が膨れた。怒ってるのを示したいんだろうけど、やっぱり可愛いさしかない。これが小説なのが悔やまれる可愛いさだよ。


「私は先輩から離れませんからね」


多分、離れないで歩く邪魔してやる的な意味合いだろうけど、なんていうかすごく可愛い。例えるなら、そう、世界一可愛い。うん、例えてなかった。


「まだいいけど、そろそろ人がいるぞ。恥ずかしいぞ、笑われるぞ」


「だったら、私は先輩の温もりを感じれない憐れな人たちと笑い返してやります」


余程の極寒でもない限り僕の温もりに価値はないと思うんだが。


「先輩こそいいんですか?」


「別に僕はいいよ。可愛い彼女ができたってイキってやる」


そもそも学校なんて狭いコミュニティで隠し事など無理がある。どうせいつかはバレるなら堂々とイキってたい。これで見られて恥ずかしいのは僕にべったりな水薙だけだ。

ところで、ナチュラルに地下鉄使わずに徒歩で通学してるのは何故だろ?二人の時間を増やすという意味では正解だけど。


「先輩、私が付き合ってるってわかったらどんなリアクション取られると思います?」


「僕が弱みを握ってると思われるな」


今ではよくわからない内に僕にべた惚れの水薙だが、本来は高嶺の花だ。好意を抱いていた奴も少なくは決してないだろう。そいつらからは敵意を向けられるんだろうな。よし、イキるのはやめておこう。


「ありがちな感じですよね。優等生な私の弱みをたまたま握った下衆な先輩が私をなんでも言うことを聞く奴隷にしちゃって、ご主人様なんて言わされたりするんでしょうね」


「妄想力豊かだなぁ」


勝手に僕が下衆になってるし、てかご主人様好きだな。


「先輩を好きになってから昨日までいろいろ妄想しましたからね。けど、案外いざ付き合ってみると会話だけでも嬉しくて満足しちゃってる私がいます。もっと先に進みたいのに」


後半になるにつれ水薙の声は小さくなっていった。


「そんなのゆっくりでいいだろ。こちとら童貞だし交際にスピード感を求められても困る」


実際、こんなみっちりくっついているが2人とも心臓バクバクなわけで。


「そうですね。とりあえずしばらくの目標は先輩の童貞を奪うことです」


「なんてコメントしづらい目標なんだ」


「因みに私は処女です」


恥じらいがないわけではないだろうに、水薙はこんなことは臆面もなく言う。女子からの下ネタの返しって男子の永久の問いだよな。


「ぼちぼち同じ制服が見え始めましたね」


「どうする?やめるか?」


個人的には恥ずかしいからやめてほしいけど、もっとくっついていたいからやめてほしくない。ああ、これがアンビバレンツってやつか。


「やめませんよ。見せつけてあげましょう、私たちの愛を」


「なんかそう言われると嫌だな」


「え、なんで⁉︎」


バカップルみたいだろうが。まあ、手遅れっぽいけど。


「あれって蓋品さんだよね、水泳部の」

「だよね、隣のは誰?」

「え、彼氏?」

「朝っぱらからバカップルか」

「リア充、爆破しろ」


なんか思ってた以上にテンプレ的なリアクションを取られて恥ずかしい。水薙ってこんなに有名人だったんだ。


「みんな、見てますね」


「そうだな。…ねえ、離れない?」


「嫌です」


水薙はコンマも置かず即答する。学校に近づくほどに僕らを噂する声は膨れ上がった。


「オイ、町田ぁ、どういうことだぁ!どうして蓋品がお前と」


不意に背後から怒鳴り声が聞こえた。振り返るとそこには1人の男子生徒がいた。水野晃、僕のクラスメイトだ。確か水泳部所属なので水薙の部活の先輩でもある。


「僕たち、付き合い始めたんだ」


さすがに水薙も僕から離れる。


「おい、蓋品、どうして、町田なんかと」


本人を前になんかはひどくない?まあ、水野はこういう奴だ。顔はいいし、金もある、成績もいいだが、それを驕る性格が残念。典型的な地雷物件だ。今だって周りからだいぶ視線を集めてるのに気にする素振りもない。


「水野先輩、前も言いましたけど私あなたとは付き合えませんから」


水薙が唐突に水野を振る。どうやら過去に水野が水薙に告白したみたいだ。


「違う!なんで、僕が、ダメで、町田なんか冴えないやつとって話だ!」


水野の僕へのディスりがひどい。え、こいつ僕のことそんな風に思ってたの?確かに冴えないけどさ。朝からそんな熱り立って疲れないのかな?


「私が先輩と付き合ってる理由?教えてあげすよ」


水薙は先輩である水野の前でも堂々としていた。そして、息を深く吸い込んだ。


「私は蓋品水薙は弥霧先輩がだからですよ」


水泳部で鍛えられたその肺活量は周囲一帯に恥ずかしい台詞を撒き散らす。誰が始めたのだろうか、いつのまにか拍手が起きていた。こうして僕と水薙のバカップルっぶりは多くの生徒の知ることとなった。視線の多さで辛み。


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